終わりの後の始まり
第一章 冒頭
マナが存在する世界において、力とは単なる生き残るための手段ではなかった。
それは、人間の価値や地位さえも決めるものだった。
西方四大王国の一つ、ゼフィリア王国。
風の王国として数百年もの歴史を刻んできたその国では、すべてが穏やかに見えていた。
王城ではいつもと変わらぬ日常が続き、騎士たちは鍛錬に励み、王女は静かに王国を見つめていた。
誰も知らなかった。
この平穏が、嵐の訪れる直前の静けさにすぎないことを。
やがて訪れる嵐が、一つの王国を滅ぼし……
まだ運命が交わることさえ知らない者たちを、死へと導くことを。
これは、すべての始まり。
『運命の影』の物語、その始まりである。
終わりの後の始まり
第一章:運命の影
魔法暦7211年。
西方の果て、緑豊かな山々が広がり、絶え間なく吹き抜ける風が草原を撫でる場所に、ゼフィリア王国は存在した。
西方四大王国の一つであり、数百年もの間「風の王国」として知られてきた国。
この王国にとって風は単なる自然現象ではなく、国そのものを象徴する存在だった。
王家の者たちは代々、風属性を操る特別な力を受け継いできた。
ゼフィリアの民にとって、風魔法とはただの力ではない……王家が支配する正当性を示す象徴だった。
広大な王都の中心には、白い丘の上に建てられた王城がそびえ立っていた。
広々とした庭園が城を囲み、花々はそよ風に合わせて揺れ、緑色の旗が石造りの塔の上ではためいている。
庭園を見渡せるバルコニーでは、一人の少女が静かに装飾された木製の椅子に座っていた。
長く美しい金色の髪は風になびき、青い瞳は遠くの地平線を見つめている。
まるで、そこに存在しない何かを探しているかのように。
彼女の名は――
アイシャ。
ゼフィリア王国第二王女にして、王位継承者。
年齢:22歳。
基本魔法:風。
背後に立つ侍女が軽く頭を下げる。
「アイシャ様……何か必要なものはございますか?」
しかし、アイシャは答えなかった。
ただ静かに窓の外を見つめ続ける。
侍女はしばらく待った後、再び頭を下げた。
「失礼いたします。」
扉が静かに閉じられる。
そして、辺りは静寂に包まれた。
アイシャは頬を手に乗せ、小さくため息をつく。
「……退屈ね。」
彼女の視線は庭園へと向かった。
そこには、一人の青年が黙々と訓練をしていた。
彼が振るう剣の一撃一撃が周囲の砂埃を巻き上げる。
額からは大量の汗が流れていた。
それでも、彼の剣を握る手が緩むことは一度もなかった。
アイシャは小さく微笑む。
「なるほど……彼が皆の噂している新しい護衛なのね。」
しばらく彼を観察する。
「聞いた話では、不器用で弱いと言われているけれど……」
少し目を細める。
「でも、彼の体は決して弱そうには見えない。長年鍛錬を積んできたことは明らか……魔力も安定している。だからこそ王国騎士団に入れたのかもしれないわね。」
庭園の下では――
青年は休むことなく訓練を続けていた。
ササキ。
年齢:20歳。
階級:王城裏門の守護兵。
魔法属性:強化。
深く息を吸い込み、何度も何度も剣を振る。
やがて腕が震え始める。
「もっと強くならなければ……」
再び剣を振るう。
「もっと努力しなければ……」
さらに一撃。
「私にとって大切なものを守るために 」
「ササキ!」
その声を聞いた瞬間、彼はすぐに振り返った。
「はい、隊長!」
そこに立っていたのは、長身で広い肩幅を持つ男だった。
赤い鎧を身にまとい、その表面には炎のように輝く紋様が刻まれている。
アイゼン。
王城護衛隊隊長。
年齢:36歳。
炎魔法の使い手。
彼は軽く微笑みながら近づいてきた。
「相変わらず訓練しているな。」
ササキは汗を拭いながら微笑む。
「はい、隊長。」
アイゼンは顎に手を当て、彼の構えを観察する。
「意志の強さは素晴らしい……だが、剣の構えが間違っている。」
彼は近づき、ササキの腕を掴んだ。
「もう少し手を上げろ。」
そして剣の角度を修正する。
「剣先は目の高さに合わせるんだ。」
一歩下がる。
「さあ……振ってみろ。」
ササキは深く息を吸った。
足をしっかりと固定する。
そして――
シュッ!
剣が空気を切り裂き、以前よりも速い速度で振り抜かれる。
鋭い風切り音が響いた。
アイゼンは微笑む。
「よくやった。」
ササキは剣を下ろし、息を切らしながら尋ねる。
「本当ですか?」
「ああ。この構えなら、お前の力を最大限に引き出せる。このまま努力を続ければ……必ず強くなれる。」
ササキは深く頭を下げる。
「ありがとうございます、隊長。」
アイゼンは手を振る。
「礼などいらない。」
しばらく沈黙が流れた後、アイゼンは王城を見つめながら口を開いた。
「聞け、ササキ……第一王子アダムは風魔法を継承する資格を失った。」
ササキは剣を拭いていた手を止める。
「そのため……王位継承者の座から外されたのだ。」
ササキは驚いた表情で顔を上げる。
「だから、アイシャ王女が王位継承者になったのですか?」
アイゼンは頷く。
「ああ、その通りだ。」
そして、真剣な声で続けた。
「だからこそ我々には責任がある。彼女を守り、いつか彼女がこの国の王となるに相応しい相手と結ばれるその日まで、支え続けることがな。」ササキは少し迷った後、尋ねた。
「ですが……王族の者は全員、風魔法の使い手であるべきなのではないのですか?」
アイゼンは小さく微笑み、首を横に振った。
「必ずしもそうではない。現在、この国には五人の王子がいる。アイシャ王女と第四王子ユミだけが、生まれつき風属性を持っている。他の者たちは、それぞれ異なる魔法属性を持っている。」
ササキは眉をひそめた。
「では……なぜアダム王子は見捨てられたのですか?」
アイゼンは腕を組みながら答えた。
「彼には、どの魔法属性も存在しなかったからだ。」
数秒の沈黙が流れる。
「正確には……彼が使えたのは一種類だけだった。我々が『雷魔法』と呼んでいるものだ。」
ササキは驚いたように顔を上げる。
「雷魔法? それの何が問題なのですか?」
アイゼンはため息をついた。
「どうやら、お前は一度も学校で学んだことがないようだな。」
ササキは照れながら後頭部をかいた。
「その通りです……すみません。」
アイゼンは微笑む。
「謝る必要はない。説明してやろう。」
アイゼンは地面から小さな枝を拾い、土の上に円を描いた。
「人間の体内には、誰もがマナを持っている。しかし、マナはそれだけでは働かない。マナが神経や筋肉の中を流れることで、身体に存在する自然な電気信号を強化する。」
円の中に小さな線を描く。
「その結果、人間は通常より強い電気を生み出し、それを使って身体能力を高めたり、体外へ放出したりできる。そして、その姿が雷に似ていることから……人々はそれを雷魔法と呼ぶようになった。」
ササキは感心したように頷く。
「では……これが人類が最初に発見した魔法の形なのですか?」
「その通りだ。」
アイゼンは指を一本立てる。
「だが、本物の雷属性を持つ者は、生まれつき雷の力を宿している。一方でアダム王子には、そもそも属性が存在しなかった。ただ長い訓練を積めば誰でも習得できる、この基本的な雷魔法しか使えなかった。」
「それが、彼が見捨てられた理由なのですか?」
「そうだ。」
アイゼンは王城を見上げた。
「ゼフィリア王家は、王になる者は純粋な魔法属性を受け継がなければならないと考えている。特に……風属性をな。そして、生まれつき属性を持たない者には王座に座る資格がないとされている。」
ササキは視線を落とした。
「それは……あまりにも厳しいですね。」
アイゼンは小さく笑った。
「この世界は、少年。誰にでも優しいわけではない。」
そして続ける。
「もちろん、この世界には何百万もの魔法や術式が存在する。しかし、国ごとに得意とする分野がある。我々の国は風で有名だ。だからこそ、誰もが他の属性より風を重視している。」
ササキは少し考え込んだ。
「ですが、先ほど他の王子たちは風を使えないと言いましたよね?」
「そうだ。」
「では、なぜ彼らは見捨てられなかったのですか?」
アイゼンは微笑む。
「彼らには別の魔法属性があるからだ。水、炎、土……貴族たちにとっては、たとえ何の属性も持たないよりは、どんな属性でも持っている方が価値がある。」
ササキはため息をつく。
「でも、マナを持っているだけでも普通のことだと思います。」
アイゼンは肩をすくめた。
「私もそう思う。だが、偏見というものはどこにでも存在する。」
ササキは何かを思い出したように尋ねた。
「アダム王子は王家の魔導書を使って風魔法を学ぶことはできなかったのですか?」
アイゼンはすぐに答えた。
「試みた。」
「成功したのですか?」
彼は首を横に振る。
「残念ながら……無理だった。」
「なぜですか?」
「人間の中には、ごく稀に存在する特別な者たちがいるからだ。」
ササキは興味を示す。
「特別な者?」
「どれだけ努力しても、どんな魔法も習得できない状態で生まれてくる者たちだ。」
ササキの目が大きく開く。
「アダム王子も、その一人なのですか?」
「それが……皆が信じていることだ。」
再び静寂が訪れる。
ササキは小さな声で呟いた。
「それは……気の毒ですね。」
アイゼンは彼の肩を軽く叩きながら微笑んだ。
「人生は、誰にでも同じ始まりを与えてくれるわけではない。」
そして続ける。
「ところで、魔法を最初に発見した人物を知っているか?」
ササキは首を横に振る。
「いいえ。」
「偉大なる研究者、ノアだ。」
ササキの顔に驚きが浮かぶ。
「本当ですか?」
「今から7211年前のことだ。」
「だから……魔法暦と呼ばれているのですか?」
「その通りだ。魔法が発見された日から、人類はその日を基準に年を数え始めた。」
ササキは感心したように笑う。
「本当に物知りですね、隊長。」
アイゼンは笑った。
「これは一般常識だ。ただ……お前は子供の頃、本を持つより荷物を持っていた時間の方が長かったようだからな。」
ササキは顔を赤くし、照れながら笑う。
「そうかもしれません……。」
アイゼンは王城へ向かって歩き出した。
「さて、私はまだ仕事がある。」
ササキは敬礼する。
「了解しました、隊長。」
アイゼンは一定の歩調で去っていった。
その後、再び庭園には剣が空気を切り裂く音が響き渡る。
しかし、首都の穏やかな日常から遠く離れた場所では――
別の風が、今まさに吹き始めようとしていた。
その風は……血と死を運ぶ風だった。
第一章 終わり
アイゼンが庭園を去り、ササキは再び鍛錬へと戻った。
静かな王城に、再び剣が空気を切り裂く音が響き渡る。
ゼフィリアの塔には風が吹き抜け、緑色の旗がいつものようにはためいていた。
すべてが、いつも通りだった。
穏やかで。
静かで。
そして――安全に見えた。
だが、王都から遠く離れた場所では、すでに何かが闇の中で動き始めていた。
誰も知らなかった。
その災厄が、いつ始まるのか。
そして、最初に誰が倒れることになるのか。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
何百年もの間、ゼフィリアに繁栄をもたらしてきた風は――今や、血の匂いを運ぼうとしていた。
その瞬間から――
運命は、静かに動き始めた。




