表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新スワン・レイク  作者: 赤堀貴子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/10

7. 小さなステージ

 薄暮が街を藍色に染め始める頃、小さなライブハウスの扉が静かに開いた。

客席は三十席ほど。古いアップライトピアノと小さなステージだけが、この店の誇りだった。

「次は、新人シンガーのオディールです」

紹介はそれだけだった。拍手もまばらなまま、オディールは愛用のギターを抱え、ゆっくりとステージへ歩く。日雇い契約の歌手。今日歌えたとしても、明日もこの店に立てる保証はない。それでも彼女は深く息を吸い、静かに微笑んだ。最初の曲では、客たちはグラスを傾け、思い思いの会話を続けていた。だが二曲目、自ら作詞作曲した歌を歌い始めると、店の空気が少しずつ変わる。飾らない声は、どこか切なく、それでいて未来を信じる力を秘めていた。曲が終わる頃には店内は静まり返り、やがて温かな拍手が広がる。オディールは何度も頭を下げた。その拍手だけで、今日も歌い続けてよかったと思えた。楽屋と呼ぶには小さすぎる控室でギターをしまうと、店主が封筒を差し出した。

「今日の出演料だよ。また都合が合えば頼む」

決して多くはない金額だったそれでもオディールは大切そうに封筒をバッグへしまい、「ありがとうございます」と答えた。

 店の外へ出ると、オデットが待っていた。

「お疲れさま」

「待たせちゃった?」

「ううん。最後の曲、本当に素敵だった」

オデットはそう言って、そっと親友を抱きしめる。

「いつかもっと大きなステージで歌えるよ」

オディールは照れくさそうに笑い、首を横に振った。

「今はね、こうして一人でも私の歌を聴いてくれる人がいるだけで幸せ」

 二人は駅前の小さなカフェへ入った。ワインのグラスを傾けながら、夢の話をする。

「あなたは世界一の時計職人になって」

「じゃあ、あなたは世界中に歌を届けて」

二人は顔を見合わせて笑った。

「まだ小さなステージだけれど、一曲一曲、大切に歌っていきたい」

オディールはグラスを見つめながら微笑んだ。その横顔を見て、オデットも静かに頷く。

「きっと大丈夫。あなたの歌は、人の心にちゃんと届いているもの」

そのとき、店のベルが澄んだ音を立てた。

「失礼。ここ、空いているかな」

振り返ると、そこにはジュリアンが立っていた。

「ジュリアン!」

驚く二人に、彼は少し照れたように笑った。

「実は、さっきまでライブハウスにいたんだ。後ろの方で聴いていた」

オディールは目を丸くする。

「来てくれていたの?」

「終わったあと声を掛けようと思ったけれど見失ってしまって。外を歩いていたら、窓辺に君たちの姿が見えたんだ」

そう言うとジュリアンは、そっと花束を差し出した。

「今日のステージも、本当に素晴らしかった。おめでとう。君の歌声に敬意を表して」

オディールは少しだけ目を潤ませながら、その花束を両手で受け取る。

「ありがとう……。こんな花束をもらったの、初めて」

「君の歌に、お礼を言いたかっただけさ」

テーブルを包む空気がふっと柔らかくなる。オデットはそんな二人を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。

「今日は乾杯がもう一回必要ね」

三人はワイングラスを静かに重ねた。澄んだ音がカフェに響く。それは、友情と、まだ名前のついていない小さな想いが、静かに動き始めた瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ