プロローグ
《主要登場人物》
オデット・・・スイスの時計学校に通う少女
神崎健・・・日本の老舗時計メーカー「神崎ホールディングス」専務取締役
キット・・・スイスの売春宿「SWAN LAKE」マダム
ヴィヴィアン・・・オデットの亡き母
神崎智・・・「神崎ホールディングス」代表取締役社長 健の父
鈴木・・・「神崎ホールディングス」秘書
クレイ・・・オデットの通う時計学校の理事長
ジュリアン・・・クレイの息子
オディール・・・「SWAN LAKE」で働く少女。オデットの親友
ーーそして、愛すべきSWAN LAKEの女たち
朝のレマン湖は、まだ誰のものでもなかった。
観光客の足音も、時計フェアへ急ぐ人々のざわめきも、まだ街の奥で眠っている。湖面は夜明けの光を薄く受け、銀色とも青ともつかない色をしていた。遠く、アルプスの稜線が霞の向こうに浮かび、岸辺の並木は風に小さく葉を鳴らしている。
白鳥たちが、音もなく水面を滑っていった。
朝の散歩を終えたオデットは、いつものベンチに腰を下ろした。石畳を歩いてきたせいで、靴底に残る冷たさがまだ足の裏にあった。肩まで落ちるダークブラウンの髪を片手で押さえ、コートのポケットから小さな煙草の箱を取り出す。
一本だけ。それが、彼女の決まりだった。
火をつけると、細い煙が朝の湖風にほどけた。煙草の香りは、オデットにとって大人の匂いだった。幼い頃から「スワンレイク」の女たちが、夜明け前の台所や、客が帰ったあとの裏口で、同じように煙を吐く姿を見てきた。彼女たちは笑いながら吸い、怒りながら吸い、泣き終えたあとにも吸った。煙草は、彼女たちが一日をやり過ごすための、小さな句読点のようなものだった。オデットにとっても、それは反抗ではなかった。格好をつけるためでもない。ただ、心の中で散らばったものを、一度だけ静かに並べ直す時間だった。
白鳥が、彼女の前を横切った。
煙草を吸い終えると、オデットは立ち上がり、湖に背を向けて家へ向かって歩き出した。背後で白鳥が羽を震わせる音がした。その朝が、いつもと違う朝になることを、彼女はまだ知らなかった。
「新・スワンレイク」のプロローグをお読みいただき、ありがとうございました!こちらでは、映画の《副音声コメンタリー》的に、作者のあふれる想いや、登場人物の本音やつぶやきを記してまいりたいと思います。
スイス・ジュネーブの象徴として観光客や地元の人々に広く親しまれているレマン湖には、日本に冬鳥として渡ってくる一般的な白鳥とは異なり、多くのコブハクチョウが年間を通じて生息しています。コブハクチョウは、童話『みにくいアヒルの子』のモデルとしても知られ、ヨーロッパでは古くから公園や湖で親しまれているのだそうです!(by 作者)




