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140 夜に見たもの

性的表現あり。


「あたしだ。大丈夫だよ。まずいことはないから、開けとくれ」


 エンフの声がして、扉が叩かれた。


 みなそれぞれ動かないので、カルナリアが開けた。


「…………何だい、こりゃ?」


 屋内の奇怪な状況に、いい匂いのする鍋を持って入ってきたエンフは困惑の顔をした。


 自分の子供を抱きかかえて、部屋の隅で震えているパストラ。


 それを無言で威嚇し続けるレンカ。


「あ、あの、もう……良くなって……ひぃっ!」

「よいではないかよいではないか。そういう態度取られると何というか()()()してあげたくなっちゃうんだよねえ……むふふ」


 元から色白なのがさらに青ざめる細身の人妻アリタと、それにからんでゆく豊満なファラ……。


「ええと……色々、ありまして……」


 カルナリアはとりあえずそれだけ言った。


 鍋を持つエンフに続いて、別な案内人の男が、水をいれた大きな桶と、それとは別に水瓶を持ってきた。


「大きな方の水は湖のだ。飲むんじゃないよ。体拭いたり洗い物に使いな。飲むのはこっちの、濾過(ろか)した方にすること」


 食事が配られた。

 魚を煮こんだものだった。湖で獲れたものだろう。

 恐らく、日干しにしたものと焙った骨でベースを作り、魚肉と何種類かの野草を入れてある。


「連中にとっちゃごちそう。こっちの肉は連中に提供した。割といい取引になったみたいだよ。しっかり食っときな」


 カルナリアはまだ獣肉は口にできそうになかったので、魚はありがたかった。


 一緒に渡された硬いパンを浸し、柔らかくしてから口へ運ぶ。

 こういう食べ方も平気でできるようになった。


(ご主人さま…………ちゃんと、食事はなさっていますか?)


 荷物の中に食料を入れておいたし、あの蜜生成の魔法具もあるし、飢えるということはないだろうが……。


 自分が一応は灯りと屋根のあるところで、人と共に食事をしているのに、暗い中、ひとりきりでものを口へ運んでいるフィンの姿を想像すると、どうしても胸が詰まって、目が潤んできてしまうのだった。


 とはいえ、泣き出すことはせず、与えられたものは残さず食べた。


 自分がしっかり食べて、よく体を動かせるようになるのが、最もフィンのためになることなのだから。


 ここで()()()()して体力も落とすなど、ご主人さまに迷惑をかけるだけの、甘ったれのすることだ。


 あれはまあ大丈夫だろうと、フィンが山の中でたかをくくってのんびりしていられるようになるのが、自分の目指す姿。


 そのためにも、食べる。

 食べて、体力を回復させ気力を満たす。


 そのあと、体を拭った。


 女たちはそれぞれ、服をはだけ、肌着姿になったり、めくりあげたり、少しずり下ろしたりする。


「背中、やってやる」


 ここでもまた、衣服の質の良さを隠すために服の中に手を入れるだけにしていたカルナリアだったが、レンカが手伝ってくれた。


 まさかここで自分を害することはあるまい。ありがたくお願いすると、レンカの手が服の中に入ってきて、背中の自分の手では届かない場所を拭いてくれた。幸せな心地になる。


「うへへへ…………ん~~、旦那さんに愛されてる、きれいな体ですなあ……」


 一番の危険人物は、どうやら人妻にターゲットを定めたようだった。


「あ、あの、じ、自分で、できますから……」


「まあまあ。お互いさまってやつで。人にやってもらう方がいいところも。こうして。ここを。こんな風に」


「やっ、あっ、んっ……ふっ…………んっ、はぁっ……やめて…………ください…………はぁ……いけません…………あ……」


 抗いつつも、弱々しく、時折悩ましげに聞こえる吐息も漏らすアリタの反応を耳に入れているうちに、カルナリアは何だかおかしな感覚に襲われ始めた。

 (はかな)げな人妻の、ふと漏らす鼻にかかった短い吐息が、やたらと胸をかき乱す。


 ファラもごくりと喉を鳴らした。


「ええと、これは、まずいね。しゃれにならなくなる。この辺にしておくよ! おわびに、元気になる魔法もちょいと!」


 実際にアリタの体に、何らかの魔法が施されたのがわかった。


 アリタは、ファラ争奪戦に参加していないし、居丈高なところもない平民で、身につけているものはパストラと比べてもそれほど質のいいものではなく――その結果、雨に長く打たれたこともあってだろう、かなり弱ってきていた。


 その体に与えられた魔法は、とてもありがたく、心地良いものだったのだろう。

 アリタははだけられた体で衣服を抱いて、しばらく息をついていた。

 その呼吸音、ひとつひとつがまた妙に悩ましかった。


「ファラ。客人、それも休ませなきゃなんないあんたに頼むのは悪いんだけどね。わたしも拭いてもらっていいかい?」


 エンフが、堂々と上を脱ぎ、豊かなものを丸出しにした。


 年配ゆえにやや垂れぎみではあるが、まだ充分に張りがあり、また体は筋肉質で、見応えのある裸身であった。


「よろこんでーーーお姉さまっ!」


 ファラはすぐ絡んでいって。

 年の功と性格か、手が変なところに来てもエンフはまったく動じることはなく、やりたいようにやらせて、じっとり目尻を垂れ下げた。


「うまいねえ。気持ちいいよ」

「慣れてるっすね」

「あんたこそ。()()()()行けたりするのかい?」

「まー、攻め専門っすねえ」


 自分の服を直しつつ横目にそれを見るカルナリアは、少しうらやましく感じてしまった。


 手をわずかにわきわきさせる。

 すぐそこに、あの泥の中で自分の体を預けた、小さな背中がある。

 自分はレンカの体について知っている。拒まれることはないはずだ。


「次は、私が拭きます。背中、出してください」


「ん…………いや、待て」


 上着をめくりあげかけたレンカは、エンフが持ち歩いていた棒に手を伸ばし、握った。


 石造りの土台と木の修復箇所の合わせ目。

 そこにあったわずかな隙間に、棒を突きこむ。


 殺気は特に発しない、軽い突きだったが――。


「ぎゃっ!」


 男の悲鳴が上がり、壁向こうをばたばた逃げてゆく足音がした。

 それも複数。


「…………やっぱり、のぞきに来てやがったねえ」


 エンフがファラを手で追い払い、悠々と肌着を身につけた。


 あの手の連中を見入らせ、気配を察知させるために、大胆に脱いだようだ。

 その剛胆さは見事と言うしかなかった。


 女性たちはその後は、緊張感を抱いて体を拭い終えた。


 レンカは、肌に触れさせてくれなかった。


 誰にも触ることができず、残念な気持ちでカルナリアは服を整えた。


「窓、しっかり閉じてあるね? どうしても外に出なきゃならん時は、あたしか誰かに必ず声をかけるように!」


 ここでも、夜の後半を守ってくれるのだろうトニアのことは言及されなかった。


 最初のときに言われているので、隠しているわけではないのだろうが……自分のようにたまたま出くわすことがない限り、その存在を意識することができないようにされている。


(あのひとは、どういう存在なんでしょう……)


 不思議に思いつつも、カルナリアは床の上で寝る準備を整えた。


 寝台で寝る人たちには申し訳ないが、この辺りの草を詰めた寝台よりも、自分の上質なマントや衣服の方が、よほど温かく快適に眠れるのは間違いない。


 自分の横で、レンカも同じように横になり、目を閉じて――すぐに寝入ったようだ。

 休める時には即座に意識を落とし、体力を保つということが、身に染みついているのだろう。

 うらやましい。


 カルナリアは、しばらく眠れなかった。


 今日もまた、色々あった――ありすぎた一日だった。


 レンカと話した早朝はまだ、フィンに撫でてもらえたのに。

 雨が降り、濡れながら坂を登り、ゴーチェの治療を頼み、モンリークが刺され、腹を切って血みどろのところに手を入れて治し……ファラが爆発し、おぞましい死の汚泥の上を突っ走り、フィンを助け、怖がり、離れられ……山をまたひとつ越えて、ここへ。


(ご主人さまと、いつ、また一緒に寝ることができるようになるのでしょうか……)


 夜の間に、様子を見に、こっそり近づいてくるかもしれない。


 その時には、勘の鋭い者たちや獣人たちよりも早く、自分が真っ先に気がつきたい……しばらくは起きていてくれるエンフよりも……。


 そう思いながらも――どこかで、意識が溶けてしまった。






「…………?」


 真っ暗な中で目覚めた。


 割とすぐに、ここがどこでどういう状況かを思い出せた。


 何度か、起きていようとしたのにだらしなく寝こけてしまったことを思えば、進歩だ。

 身の回りのものは、全てある。

 首輪の中のものも、寝る前のまま。


(……誰……?)


 きわめて小さな声で、女性同士が会話している。


 この家の、扉が開いた。


 外はまだ夜だが――屋内より、ほんの少しだけ明るい。

 風も感じた。


 人影が入ってきて、カルナリアに近いところに腰を下ろし、横たわった。


 その体格や息づかいでわかる。エンフだ。


 ということは、不寝番の交替の時間ということか。


 レンカが起こされ、動き出して、エンフおよびトニアと、受け継ぎをした。先ほどの声はそのやりとり。そういうことだろう。


 エンフはほどなくして寝息を立て始めた。


 カルナリアはできるだけ静かに身を起こし、動き始めた。


 扉のところへ行って、一度、小さく叩いた。


 それから、闇の中で、記憶を頼りに手探りで(かんぬき)を外す。


 わずかに扉を開き、声は出さず、息づかいを聞かせた。

 手も少しだけ出した。


 それでわかってもらえたようで、外からも扉が開かれ、通り抜けるに十分な隙間ができた。


「……どうした」


 レンカがいた。

 扉のかたわら、暗がりに身をひそめている。

 認識阻害効果のあるマントにくるまっているので、それを知らないここの住人たちには、ほとんど知覚できないだろう。


「心配で、目が覚めちゃって」


 小声で言う。

 誰の心配かは、レンカには言う必要がない。


「まだ来てない」


 これも、誰のことを言っているのか訊く必要はない。


「ここ、いい?」


「誰か来たら、動かず隠れてろよ」


 そういう表現で許可された。


 空を見上げた。


 雨雲は完全に通り過ぎたようで、空には星が無数に輝いている。

 屋内よりも外の方が明るい理由はこれだ。


 湖畔に出て、満天の星を見てみたくもあったが――見たいというだけでそんな真似をするほど、今のカルナリアは無鉄砲ではない。


 それにしても、ドルー城からはじまりひたすら追い回され、タランドン城では怨念をぶつけられ殺されかけたというのに、その相手とこうして並んで腰を下ろして夜空を見上げ、同じ相手のことを思っているとは、どういう運命の転変なのか。


「…………ひとり?」


 そういえば、トニアがいない。

 この家の、反対側で番をしていたりするのだろうか。


「ああ。今日は、朝まで自分ひとりだ」


 体調不良か何かか。あるいはさらに別な何かに備えてのことか。


「どうかしたんでしょうか?」


「詮索するな。エンフに言われてただろ」


 どのことだろう……と少し考えた。


 あれか。

 意味のよくわからなかった忠告。

「妙なものを見ても、気にするな」という……。


 やめておけ、と言われたものは本当にやらない。

 それがここでの、このグライル越えでの鉄則ではあるが――気になった。


「………………」


 レンカに訊いても、怒られるだけだろうと思ったので、押し黙る。


 すると、徐々に耳が慣れてきて――。


 しんと、痛いほどの沈黙……だと思っていた夜の世界に、色々な音があることがわかってきた。


 湖の、水音。

 浮いている水上住居の方から、かすかな人の声や、動いている者がいる気配がする。


 そして――陸地、すなわちこちら側に。


 明らかな、大きめの、人の声がした。


 会話ではなかった。

 悲鳴のようだった。


 女性のものではないが――。


「!?」


 ぎょっとしたが、レンカに肩に手を置かれ、首を振られた。

 関わるな、という仕草。


「でも……」


「殺し合いとか、そういうんじゃない。そうならエンフを起こしてる。用事がないなら、戻って、寝ておけ。横になってるだけでも違う。明日もきっと色々あるぞ」


「それは………………そうですけど…………っ!」


 また、聞こえた。


 誰かが、苦しんでいるような、うめいているような。


 方向もわかった。

 指さし、目で問うた。


 やめとけ、と仕草で答えられた……が。


「……ずっと気にされても鬱陶しいし…………教えた方が、面白いか」


 意地悪い笑みを浮かべて、レンカは言った。


「誰か来やがったら、すぐ戻る。いいな」


 踏むと音を立てる、よく乾燥させた木の葉を家の周辺に何枚か置いて、レンカはカルナリアを導いていった。


 カルナリアも、ある程度は音を立てず、身をかがめたまま移動することができるようになっている。


 この村に十軒ほどある家の合間合間に、案内人たちが休む天幕が立てられていて、その隙間を縫って移動し――。


 天幕からも離れた、村の外堀に面した端の建物から、灯りが漏れていた。


 はっきり、その中から人の気配がして、声がして。


 また、男のうめき声が漏れ出てきた。


 不手際をやってしまった者が、制裁されてでもいるのか……あるいは住人たちと案内人とで何か争いごとか……カルナリアの心臓は不安に高鳴ってしまう。


(動くな)


 レンカに手で制され、カルナリアは停止した。


 闇の中を、動くものがあった。


 男だ。


 案内人ではない。ここの住人。


 こんな深夜なのに、眠たそうでもなく――それこそ、先に寝ておいて、今になって起きてきたかのような軽い足取りで。

 マントをかぶった自分たち小さな者にはまったく気づくことなく。


「いいんだよな? まだ間に合うよな、な!?」


 鼻息も荒く、扉をノックし、中から開けてもらって。


 夜の闇に慣れたカルナリアの目には、痛いほどの光があふれた。


 その中に――見えてしまった。


 複雑なつくりの家などここにはなく、扉を開けただけで、奥の方まで丸見え。


 床の上に。

 敷物が広げられ。


 トニアが。


 美しい肌をさらして。


 男たちと共に。


 ――扉が閉まり、また、男のうめき声が聞こえてきて。


 わずかに、女性の、淫靡な声も流れてきた……。






「………………」


 カルナリアはしばらく、一切身動きできないでいた。


 どれほどそうしていたのか、レンカに袖を引かれて、我にかえった。


 声をあげそうになるのを、ぎりぎりのところで自制した。


 何か言ったら容赦なく口をふさごうとレンカが準備しているのもわかったので、耐えて、無言のままでいた。


 頭がくらくらしてくる中、何とか、女性班の家まで戻ってきた。


「! あ! ……!」


 大声が出そうになったので、それもこらえて、あれは何ですか何だったのですかと腕を振り回して質問する。


 落ちつけ、と頬をつねられた。


「……オレにはわからねえけど、ああいうことをしたがるやつは沢山いて、求める男に、応える女がいる。お前がいたあのラーバイってのも、そういうのをする所だっただろ」


「………………!」


「だから落ちつけ。あんなの、どこでも、みんなやってる。やるから、子供ができて、お前も生まれてきたんだ」


「……!」


「あの女のことなら、心配すんな。あれは、ただ者じゃねえぞ」


「!?」


「とんでもなく腕が立つ。何が得意かはわかんねえが、多分、知った時は殺されてる。そういうやつだ」


「………………」


 このレンカがそれを言うとは。


「だから、あれは、無理矢理とかそういうんじゃねえ。嫌だったら、あいつら皆殺しにして出てきてる」


「…………」


「だから、何も言うな。エンフが言ってたのはあれのことだ。だから触れるな。騒ぐな。言いふらすな」


「……」


「本人にも、言うな。気がついたことを気づかれたら、殺しに来る可能性がある。それも事故に見せかけて。それこそ明日、何か投げつけてきて血を流させたり」


「!」


「あいつ、本当にただ者じゃねえからな。案内人たちともああいうことして、手駒にしてるっぽい。見たわけじゃねえが、そういう気配だ。ゾルカンはともかく、他のどの案内人よりも力持ってるぞ。あいつのために死ねるやつが何人もいる。オレはそういうのはわかるからな」


「…………………………」


 これまで二度ほど話した、あののんびりした口調の、優しげな女性が……?


 カルナリアの頭の中で、トニアの美しい風貌と、今見てしまったものと、レンカが語ることとが、まったく重なってくれず、混じり合わないままぐるぐるするばかりになってしまった。





夜の世界。闇の世界。明るいものに囲まれて育ってきたお姫様は知らない世界の一端を見た。

そしてまた、カルナリアがひたすら想うご主人様も、そちら側の住人である。

次回、第141話「第三日、早朝」。


※余談

レンカもまた忍びの技の一環として色仕掛けのやり方も教えられています。本人に欲望がありませんし下手に上達すると貴族を相手にする役目につけられそうだったので、必要最小限のことしか学んでいませんが、それでも純粋培養のカルナリアよりはこの面でははるかに大人。

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