110 最初の試験
「名は?」
と、フィンは獣人に訊ねた。
カルナリアはぎょっとする。自分の知る限り、フィンの方から他人に興味を示したのは初めてだ。
「バウワウ、と呼ばれております。もうひとり、ガンダという者がおります」
「私のことは、他の客と同じように扱ってもらいたい。名も、ぼろと、他の客と同じように呼べ」
「承知いたしました」
獣人は立ち上がり、まだにおいを確認していないらしい客のところへ移動していった。
「……今のは……?」
「ちゃんと登れたか」
手をすりむいていないか確認された。
しかしそれよりも。
「あの、今のあれは……?」
「獣人、それも犬系のは、上下関係をはっきりつける。他の者たちは自分以下だが、私のことは、自分より強いと認めたのさ」
「強い…………ご主人さまが、ですか?」
獣人がかぎとるということは、はったりではなく、本当に強いのか?
「まあ、人間の考える強さとは違う基準のようだが。詳しく聞いても根本のところが違うのでどうもよくわからない。前にも同じような対応をされた。犬系の獣人には私はそう扱われるようだ。猫系は逆でとにかく嫌われよく威嚇される。いきなり襲われたこともある」
フィンの説明は、いつもより少し早口な気がした。
何かをごまかしたい時、人は饒舌になるというが……。
「全員、そろったな。杖を持っていないやつ、配るから受け取れ。山を歩く時は使った方が疲れないですむし、何かが出てきた時の武器にもなる。太さは色々あるから、手に合うものを選べ」
山歩きでの杖の有用性もまた、教わっている。
カルナリアは一番細いものを選び、何度か地面に突いて確認してみた。
フィンは必要としないのだろう、まったく動かない。
最後に登ってきた案内人が、ロープを引き上げ、巻き取った。
荷物運びの、背の低く足の頑丈な亜馬が三頭いた。
ロープの束はその一頭の背に積まれた。
防具をつけ金属の穂先のついた槍を持った案内人が先頭に立った。
その槍の、穂先の下のところに灯りがくくりつけられて目印にされる。
荷を乗せた亜馬、大荷物をかついだ案内人たちがその後に続いて動き出した。
それぞれ手に合う杖を受け取った「客」たちがそれに続く。
最後尾に、獣人のバウワウがついた。
「あの化け物を近づけないでくれんか」
「俺たちの大事な仲間だ。いやならさっさと歩け」
モンリークに、案内人は冷淡に言った。
「……あれは、私たちが何か目印や、後を追えるものを残していかないか、監視する役目でもあるな」
フィンが小声で言ってきた。
「この山脈を越える道は、お前は知らなかったし、私も、タランドンではまったく聞かなかった。カラントもバルカニアもぜひとも知りたいことだろうに、隠され続けている。ということは、そこを暴くような真似は、されたくないだろう。やるやつは、恐らく、殺される」
「…………」
「私たちの持ち物や、経験、技術なども確かめられた。これからさらに色々試されるだろう。それを頭に入れておけ。試しだと知っているだけでも違う。とにかく案内人の言うことに従うように」
「はいっ」
左右に握る杖をリズムよく突きながらカルナリアは足を動かした。
夜の山道を、一行は延々と進み続けた。
道そのものは割と整えられていて、段差のあるところには丸木の階段などもつけられている。
タランドン領へ入ろうとしてレントとエリーと登った、あの道の方がよほど険しいほどだ。
だが、夜で、周囲は何も見えず、足元は怪しく、時折奇怪な鳴き声が響いてきて、案内人たちは何もしゃべらず、だから「客」たちも言葉がなくなり、ひたすら地面に杖を突く音ばかりを立てて、黙々と歩き続けると…………驚くほどあっという間に、疲労が心身をむしばんできた。
「おい、いつまで歩くんだ。どこで休むんだ」
モンリークが文句を言い始めた。
その気分はカルナリアも少しわかった。
日が落ちてから、食事はしていない。
水は筒に入れたものを飲めるが、この先で補給できるかどうかわからないので、節約した方がいいかもしれない。
空腹をおぼえはじめ、周囲は闇、どこまで歩かされるのかまったく教えてもらえない。
神経が尋常ではなくすり減ってゆく。
モンリークは腹立ちすぎたのか押し黙り、その代わりのように他の者たちが少しずつ愚痴を言い始めた。
「お父さん、つかれたよぉ……」
「我慢して歩きなさい」
「どこまで、行くんだ…………まさか、朝までなんてことはないよな?」
「これ、俺たちを、だましてるんじゃないのか……」
一行の雰囲気が重苦しい、よどんだものになってゆく。
「……ご主人さま。これが、試しでしょうか」
「ああ、間違いないな。こちらの体力や、我慢強さ、苦しい時にどうする者かを測っている。
他の者には関わらず、気にせず、自分のことだけ注意していろ。靴、足、荷物、服、杖の握り心地、色々確かめろ。今晩のうちは、不具合があってもまだ、新しいものに替えてもらったり、用立ててもらうことはできる。本格的に山奥に入ったらそれもできなくなるからな」
「はい……」
「なるほど」
会話を聞かれていたのか、案内人の声がした。
下の家で「面接」をやったあの男だ。
「ぼろ、あんたは、頼りにできそうだ」
「できる限り、手伝いはさせてもらう」
「え」
カルナリアは変な声を漏らした。
「何だ」
「本当にご主人さまですか」
「こういう所では、積極的に働いた方が、結果的に一番楽ができるからな。何もしないでいると、かえって苦労が増える」
「安心しました。いつも通りですね」
ぴしっ、と頭を弾かれた。
夜の山歩きはひたすら続き、疲れきった子供がすすり泣きながらもう歩けないよつかれたよもうやだよと繰り返し始めて、父親のなだめる声がだんだん険しくなっていって、モンリークが黙らせろと怒鳴って、誰もがうんざりしてきたところで。
山襞の稜線をひとつ越えると、木々の間、下の方に明かりが見えた。
焚き火。
それもいくつも。
ひらけた、平らな場所。
すぐ近くを川が流れている。
焚き火の側に、別な案内人や、客らしい者が何人もいて。
天幕もいくつか張られていた。
野営地のようだ。
やっと休める。食事もできそう。
みな、足に力が入った。
「こういう時が一番危ない。転ぶなよ」
フィンの声は少し大きめだった。他の者にも聞かせているのだろう。
「う…………」
夜の山道を下るのは、カルナリアにとってトラウマである。
慎重に、呼吸を整えながら足を動かした。
それでもまた体が強ばり、腹や指やあちこちに、あの時の痛みがよみがえってきた。
レントとエリーの死に様、死に顔も浮かんできてしまう。
肩に手を置かれた。
今度は、フィンの手は肩から、フードの内側に入ってきた。
頬を撫でられる。
「あ…………」
ほんのわずかである。ひとさすりだけ。
だがその手が抜け出ていくと、体の強ばりはなくなっていた。
カルナリアはそこからは冷静に、足元に気をつけて降りていくことができた。
野営地は徐々に近づいてくる。
自分たちも合流すると、数十人、いや百人近くになりそうだ。
亜馬もたくさん見える。
かなりの大所帯になるようだ。
「……グライルに入ったのは、私たちだけではなかったのですね」
「今の情勢で、バルカニアへ戻ろうとする者が、これしかいないわけがないからな。稼ぎ時だとも言っていたし。
一気に大人数を動かして足がつかないように、どれかの隊が捕らえられても全滅はしないように、ばらばらに山に入ったのだろう」
今までずっとフィンと二人きりだったので、変な気分になった。
その大半はバルカニア人だろうから、緊張もおぼえた。
野営地に入ると、あの案内人は、獣人バウワウを伴って、全体の長らしい者のところへ向かっていった。
「あんたらは、この辺りで休んでくれ。食事はこれから作るが、自分で持っているものを食べるならそれでもいい」
場所を指定されるなり、大半の者はその場にへたりこんだ。
すでに来ていた「客」たちが同情するように見てくる。彼らも恐らく同じような目に遭っていたのだろう。
案内人たちが、手早く火を起こし、丸木を組み合わせ大きな鍋を吊るして焚き火にかけ、水を汲んで、色々なものを煮こみ始める。
カルナリアはその手際の良さに目を見張った。ギーに教わりそれなりにできるようにはなったが、だからこそ専門家の動きのすごさがよくわかる。プロとはこういうものなのだと感動すらおぼえた。
「む…………」
フィンが、妙な声を漏らした。
「どうしました?」
「いやな予感」
「え!?」
このご主人さまのその手の感覚は、鋭敏というどころではない。
この野営地に危機が?
危険な獣でも。
あるいは他の何かが。
「ぼろ、来てくれ」
緊張しているところに、呼ばれた。
「俺らの頭に紹介する。あと、戦闘担当の者たちと顔合わせもしておく」
「戦闘?」
カルナリアの問いに、丁寧に答えてくれた。
「危険な獣が出た時に対処する役目の者だ。客の中にも、戦うのが得意で、案内料代わりに手伝うと言ってきてるやつらがいる。それぞれの得意な武器や戦い方を知って、連携できるようにしておく必要がある」
「当然だな。わかった、行こう」
フィンに従って野営地を横切った。
案内人たちはみなそれぞれ精悍だが、その中でもひときわ体格に優れ気配も鋭い者たちが集まっていた。
それぞれ、弓矢や槍を携えている。
なるほど戦闘担当者かと納得できる。
カルナリアの「目」で見ても、なまじな騎士団に匹敵する武の才能持ち集団だ。
その中に、ひときわすばらしい才能の色が見えた。
だがとても悪い色も同時に見えた。残忍な真似を平気でできる者。
魔導師がいた。
きわめて強い魔力を宿した、女性――胸の大きな、メガネの。
「え…………」
「は…………?」
カルナリアと、ファラは、ほぼ同時にお互いを認識して、変な声を上げた。
「なぜ…………ここにいるのですか?」
「なんで…………ここに、いるっすか?」
その問いもほとんど同時に発せられて。
「言ったでしょう、こうなる可能性があると」
ファラの向こう側に、美形ではあるがネチネチした青年がいた。
セルイ。
そしてその傍らに、顔かたちは平凡なのに才能がとてつもない男と。
小柄な、危険すぎる、少年であり少女である存在――。
レンカがいた。
チャキッ。
妙な音がした。
ぼろ布の中から。
円錐形が、低くなっていた。
その後方へ、剣の鞘が伸びていた。
タランドンの、あの屋敷で見た――オーバンに斬りかかる寸前の姿勢だった。
殺気が場に満ちた。
「客」たちは自分がひどい目に遭わされていると思っているかもしれないが、案内人は案内人で、おかしな者をそうと見抜けず連れていってしまうと厄介なことになるので、できるだけ早く危険人物を見抜こうと必死である。そして意外なところで敵と遭遇。次回、第111話「予想外の再会」。抜刀寸前のフィンに対してセルイたちはどう動く。




