第五十四話 天にも昇る幸福感
ダケルやテルテル、そして周囲の男性隊士たちの目を避け、リサはようやく浴場に入ることができた。浴場にはもうすでに訓練に疲れた体を洗っている他の男性隊士の仲間たちが何人もいたが彼らが特別リサに注目することは無い。
リサが話に聞いていた通りこの共同の浴場は人との距離が十分に取れるほど広く、これなら自分が羞恥に耐えられなくなることは無いだろうと彼女はホッと胸を撫でおろす。
つい先ほど更衣室で仲間たちから好奇の眼差しで体を見られていたことを考えれば、浴場内の環境はリサにとってむしろ居心地が良いとすら思えた。
(これが共同浴場!!久しぶりのお風呂!こんなに広くて素晴らしい場所があったのね!)
リサは久しぶりの温かい湯舟を目の前にして高揚する気持ちが表に出てくると子供のようにはしゃぎながら早く入浴したいという気持ちに駆られたが、それでもまだ彼女は恥じらいを感じており一歩ずつ浴場の中を歩き進む。
最後にきちんとした浴場で体を洗えたのは何時ぶりだろうか?あまり好きでは無かった屋敷のリサ専用の浴室すら王都で訓練を開始してからは恋しく感じていた。
これまで水場で一人寂しく凍えながら体を洗っていたリサにとっては、この広く整備の行き届いた無骨な浴場がまさに楽園のように見えていたのだった。
リサは壁際に設置された半個室状の仕切りのついた洗い場に進むと、置いてある木製の椅子に座る。
栓をひねると待望の暖かいお湯が流れ出してくるとリサは感動に身を震わせる。
(ふふふっ…!やった!やったわ!あんな恥ずかしい思いをしてまでここに来た甲斐があったというものね!)
アイラス・ル・ビア国内においては魔導機関車の普及に伴い、その動力となる炎の魔石を用いた給湯設備が開発され、この訓練場内に設置されているような大衆浴場の施設が広く普及していた。大衆浴場の施設の普及にはリストヴァル領内における魔導機関車の普及を推し進めたという父リグラスの功績も含まれていることを感じると、リサは誇らし気な表情を浮かべると共に偉大な父への尊敬の念が浮かんだ。
(そういえば今日会った二人の女の子たちも今頃入浴時間なのかしら…。)
リサは今朝の出来事を振り返る。
僅かな時間ではあるが同世代の女性と話ができたことは訓練生活で疲れたリサの心の癒しとなっていた。彼女たちとこうした浴場で他愛の無い会話がもしできるなら自分はどれだけ救われるだろうかとリサは決して実現するはずのないシチュエーションに思いを馳せる。
「いた…あいた…いたたた…。」
その時、リサの身体に痛みが走る。
それはリサの腹部や腕、足といった部分からであり、リサは最も痛む脇腹の辺りを手でさするようにして上半身を捻りながら痛む部分を見る。
その原因は本日午後に行われた体術の実技訓練にあった。
(回復魔術で癒して貰ってもまだ跡が消えて無いわね…アルクスの奴、散々好き勝手殴ってくれちゃって…今度覚えてなさいよ。)
体術の実技訓練では二人一組で組み手が行われた。
リサから声をかけた訳では無いのにアルクスからリオ・ドルスに相手をするよう声をかけてきたのだ。
そして始まった二人の組み手は壮絶なものであった。
リサに向かって立て続けに放たれたアルクスの攻撃には一切の躊躇は無く、明らかに訓練の域を超えた打撃が何度も打ち込まれたのだ。長身のアルクスのリーチ、そして体格差から繰り出される強烈な一撃をリサはかわしきることができず、訓練中に何度も激しく殴られ蹴られ、そして豪快に投げ飛ばされたのである。
アルクスが異様な殺気をまとい訓練という名の攻撃を続けるその様子を見て、最後には教員から静止が入るほどであった。
(くそぉ…、痛い…それに悔しい…アルクスの奴め…私が何をしたというのよ…!)
リサの受けていたアルクスの組み手の訓練という名の暴力を周囲の仲間たちも目にしていたが、今朝のリオ・ドルスによるモニカと言う少女に対する無礼と、アルクスとモニカの関係を知る彼らはただ黙って傍観するしか無かったのだった。
体は痛むがリサの顔に笑顔が戻る。そう、今は訓練中では無い。
久しぶりの待ちに待ったこの入浴という行為、目の前の温かいお湯そして立ち上る蒸気、それはリサの憂鬱な気持ちや今後の不安を一時的にかき消すには十分魅力的なものであった。
桶に汲んだ一杯の湯を頭からかぶるとリサは一瞬、天にも昇るかと思える程の幸福感に包まれた。
(あ…あ…ああっ!あああぁっ…!やばいっ!やばい…これっ…!温かい、いや気持ちいい!?お湯が体を伝ってしみわたるっ…!!)
一杯の湯ではリサは満たされない。リサは口を開けたまま急いで栓をひねる。
次を、次をと彼女がはやる気持ちで2杯目を汲もうとし、桶に7割ほどお湯が溜まったその時…
ガンッ!!!
突如、リサの座る横の仕切りが大きな音を立てて揺れた。
リサはその大きな音に驚き、椅子に座ったままさりげなく金色の長い髪を払い後ろをゆっくりと振り返る。
「リオ・ドルス、話がある。」
そこに立っていたのは、アルクス・エーリッツであった。
彼がその大きな拳で仕切りを強く叩き、午後の訓練で見せた殺気立った表情を上から見下ろすようにしてリサに向けていた。
「…何だ?俺はお前に用なんてないぞ?まさか昼のじゃまだ俺を殴り足りないっていうのか?」
リサは不機嫌そうにお湯の入った桶を持ち上げ冷たく言い返す。
アルクスはその怒りに満ちた目でリサを見下ろし、昼の訓練の時同様に殺気を放つと浴室の和やかな空気が一変した。リサは背後に立つアルクスが全裸であることに気づくと恥ずかしくなり少し目を反らしたが、自分の至福のひと時を邪魔されたことには変りがなく、そう簡単に苛立ちが収まることは無い。
「なんだよ、話があるんじゃないのか?用が無いならどっか行け。俺はお前に構ってる暇は無いんだ。」
目を反らしながらも気丈に返したリサに対してアルクスは上からリサを睨みながら話を続ける。
「訓練中に痛めつければ自分から話して頭を下げてくるかと思ったが……お前にはあの程度じゃ足りないようだ。やはり直接問い正すべきだったな。」
「話?問いただす?一体何のことだ?」
「まだシラを切るというのか?いい加減にしろよ…?」
「なんで俺がお前に頭を下げる必要がある?」
(うーん…私が何かアルクスを怒らせるようなことをしたかしら?まさかあの時の事かしら…。)
リサに思いついた出来事は一つだけだった。
以前体力強化の訓練でアルクスと運ぶ荷物の量を張り合ったことを思い出した。
そして二人して意地を張り合った結果、二人とも大量の荷物を抱えゴールとともに限界を迎えて倒れてしまったのだ。その時の結果はリサの方がほんの少しだけアルクスより早くゴールに着いたのだった。まさかあの時のことだろうかとリサの記憶が蘇る。
「なんだ?アルクス。お前まさかあんな事で起こっているのか?」
「あんな事…だと…?」
アルクスの顔が見る見る怒りに染まる。その状況を見た他の男性隊士たちは、また始まったのかと急いで浴場から避難を始める。
「あんな事で怒るほうがどうかしてるだろ。なんだ?お前もしかして俺に負けたのが恥ずかしいのか?」
「負けただとっ…!?リオ・ドルス…言わせておけばっ!」
「なんだ?俺の方が早かったからな。お前の負けには変わりないだろ?悔しいってんなら受けて立ってやるぜ?」
「…うるさい…!お前が一体何をしたのか正直に話して頭を下げれば許してやると言っているんだっ!」
(何をしたも何も…たくさんの荷物を運んで競争しただけじゃない…!コイツまさか私がズルをしたとでも思っているのかしら…!?)
「何をしたって…こんな感じで前と後ろで抱えてだな…。」
バキィッ!!!
アルクスは思い切り拳と腕を振りぬき、リサの横にある仕切りを粉々に破壊する。
「もういい、黙れ。」
粉々に砕けた仕切り板の小さな欠片が濡れたリサの頭や肩に張り付く。
驚いたリサは思わず後ろにのけ反りそうになったが、お湯が桶からこぼれそうになことに気づき桶を両手で掴む。リサは必死にバランスを取り、お湯の液面を落ち着かせるとこぼさずに済んだことに安堵した。落ち着かせたお湯の水面を見ると光が反射して上からリサを睨みつけるアルクスが映った。
(何っ!?なんなのよコイツ!?情緒不安定なのっ!?お湯がこぼれたらどうするのよっ!?意味が分からないんですけど!?)
☆~☆☆☆☆☆ 何でも構いません。
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