四
「よかった……。私達のピンチに、本当に駆けつけてくれたんですね!」
鳥に乗るおじさんの姿を目にするなり、セラは心から安堵するように言った。
「え。俺、何か約束したっけ」
一瞬戸惑いの表情を見せる男だったが、思い出したかのように「あっ」と声を上げると、すぐに胸を張って威勢よく返事を返した。
「おうとも! セラちゃんのためならば、例え嵐や吹雪の中だろうが……」
「こいつ、たまたま通りかかっただけだな……」
ラースは呆れ気味に鼻でため息をついた。
「……ラース。この方が、ラース達の言っていた『鳥に乗るおじさん』なんだね?」
クレスが男を見つめたまま尋ねた。ラースが振り向くと、クレスがとても驚きを隠せない様子であることに気付いた。
「知っている奴なのか?」
ラースが気になって尋ね返すと、クレスは男から目を逸らすことなく答えた。
「知っているなんてものじゃない……。彼は、十五年前の戦争を終結させた、アルテリア帝国騎士団の英雄の一人、キルバード・レインズだ……」
クレスの言葉を聞き、ラースは思わず息を呑んだ。男と初めて対峙したときから、ただ者ではないと感じてはいたのだが、この男が騎士団の人間であったことなど誰が想像できただろう。しかし、クレスの言っていることが本当であれば、この男は数百もの兵を相手に打ち勝ち、バルドロス国王の首を討ち取った張本人ということになる。
「……素性を明かすつもりはなかったんだけどなぁ」
クレスの言葉が聞こえたのか、男――キルバードはやれやれと言わんばかりに首を振った。
「それに俺、自分のことを英雄だなんて思っちゃいないって」
キルバードはクレスの言葉を否定したが、クレスの態度が変わることはなかった。
「そんな……。あなたとジュード騎士団長がいてくれたからこそ、多くの民の命は救われたんです!」
キルバードは頑なに首を振った。
「それでも。例えそうだとしても、俺とあいつは、自分のことを英雄だと思ったことは一度もないさ。人を斬るだけ斬って、本当に守りたかったものは何一つ守ることができなかったんだから」
断固として言い張るキルバードに、クレスは思わず開きかけた口を閉ざした。キルバードの後悔と憂愁の入り混じった表情を見てしまっては、クレスもこれ以上反論する気にはとてもなれなかった。
「……それより、さ」
またいつもの調子に戻って、キルバードは尋ねた。
「皆、どうしてこんな海のど真ん中で遭難してるわけよ? どうも物騒なことがここであったみたいだけど。何かあったの?」
セラが真っ先に答えた。
「カダルナ港で襲撃を起こした犯人達の船を追っていたんです。でも、犯人の一人にその船を燃やされちゃって……。犯人達にも、用意していた別の船で逃げられてしまって……」
「ふうん……なるほどね」
辺りを見渡しながら、キルバードは納得してうなずいた。
「そこらに散らばってる木の破片は、その燃やされた船の残骸と……そういうことだったわけね」
セラに続いて、ラースも立ち上がりながら言った。
「キルバード。俺達をイーストの港町へ連れて行ってくれないか? 俺達は、逃げていった犯人達を捕まえたい」
ラースの頼みを聞き、キルバードはにっと笑ってみせた。
「構わないさ。俺も元より、君達を助けるためにここまで降りて来たわけだし」
キルバードの快い返事に、ラースはほっと安堵の息を吐き、セラは顔を綻ばせ、クレスは胸に右拳を当てて頭を下げることで、敬意と謝意を示した。そしてあかねはというと、セラの背後に隠れながら相変わらず震えて縮こまっていた。
「トト。ラースくん達をまた背中に乗せてやってくれ」
キルバードが巨鳥の首筋をポンと叩くと、巨鳥――トトもまた甲高い鳴き声で快く返事した。そして、ラース達の近くに浮いている船の破片に軽やかな足取りで着地し、ラース達が乗りやすいようにと、大きな翼を器用に折り畳んで身を屈めた。
最初にラースとクレスが乗り、続けてセラがラース達の手を借りながら乗ったところで、突然トトは屈めていた身を起こした。怖気づいて未だにカタカタと震えながら乗ろうとするあかねのことが、トトはどうも気に入らない様子だった。トトに威嚇されて怯えるあかねを見かね、セラは優しい口調でお願いした。
「トト。あかねのこと、許してあげてくれませんか?」
トトはため息にも似た鳴き声で返事し、再びしぶしぶと身を屈めた。
セラに励ましてもらいながら、あかねもようやくトトの背中に乗れたところで、キルバードは再びトトの首筋をポンと叩き、合図する。それに応じ、トトが身を起こして翼を広げると、日の光に照らされた朱色の羽毛が、海面に煌々と映し出された。大きく踏み込み、優雅に翼をはばたかせ、トトは間もなく上昇を始めた。
* * *
見渡す限りの海の上を飛びながら、ゼブラは先に逃げた仲間を捜していた。
本来はカダルナ港を襲撃し、試作品の出来栄えを確認した後、貿易船に乗って逃げ切るつもりだったが、追っ手を振り切るためにその船を燃やすことになるのは、ゼブラにとっても想定外の出来事だった。難なく逃げられるだろうと高を括っていたが、あの人物――ラース・オルディオが関わると、なかなかどうして一筋縄では行かなくなるものだと、ゼブラは鼻で笑う。
ふと、海の上に浮いている小さい何かが目に映り、ゼブラは凝視した。それが小船であることに気付くと、あそこに仲間がいると確信し、ゼブラは魔法で一気に急降下した。目前で速度を落とし、小船の上にゆっくりと着地すると、ゼブラは先に腰かけて乗っていた仲間二人に頭を下げ、「遅くなりやした」とお詫びした。
「随分と派手にやっていたようだが……アルテリア帝国の騎士共は振り切ったか?」
仲間の一人である騎士の男が問うと、ゼブラは顔を上げて答えた。
「奴らは火の魔法で船ごと撃ち落としておきやした。万が一しぶとく生き長らえていたとしても、魔法を使えねえ奴らがすぐにここまで追って来ることはねえはずでっせ」
「あの単細胞の方はどうした?」
ゼブラは口の端を上げた。
「ご安心を。奴の始末はもう済ませてまっせ。今頃焼死体となって、海の底に沈んでいってることでしょうよ」
「そうか」
騎士も愉快そうに鼻で笑った。
「あの生意気な面をいつ叩き潰そうかと考えていたんだがな。余興が一つ減ってしまった……」
途端、高貴なローブを着たもう一人の男が苛立ちを募らせながら、ゼブラに向かって言った。
「貴様、さっさと船を運べ。いつまで我輩をこんなガラクタに乗せるつもりだ?」
ゼブラは、落ち着き払った様子で再び頭を下げた。小船は三人を乗せるのに十分な広さはあったのだが、それでも些細な波で簡単に揺れてしまうことが、男は気に召さないようだった。
右手に黒い光を灯し、魔法で船を動かそうとかざした途端――微々たる魔力を察知し、ゼブラは手を止めて後ろを振り向いた。
「どうした?」
眉間にしわを寄せながら問う騎士に対し、ゼブラは視線を逸らすことなく答えた。
「……アルテリア帝国の騎士達が追ってきていやす」
「な、何?」
動揺する騎士を気に留めることなく、ゼブラは空の遥か遠くをじっと見据えた。
魔法のエネルギーである魔力は、例え魔法を使えない人間でも、少なからず体内に存在している。そして、外見や性格と同じように、一人ひとり異なっている魔力の性質を記憶しておくことで、人探しをする際などに何かと好都合となることを、ゼブラは理解していた。
――目に見える魔力の灯は全部で五つ。それらが魔法による飛行と同程度のスピードで迫って来ている。ラース・オルディオ達は空を飛ぶ手段を持っていなかったため、突然現れた五人目の人間が手を貸していると見て間違いないだろう。このままでは、彼らに追いつかれてしまうのも時間の問題だと、ゼブラは推察する。
「奴らは確かに撃ち落としたと言ったな? なぜ奴らが追って来れる!」
立ち上がって問い詰める騎士になおも目を向けることなく、ゼブラは言った。
「さぁ……。直接確かめてみねえと何とも言えやせんね」
ゼブラはにやりと笑った。――やはり、あの男は面白い。リバームルのときといい、これほどまでに厳しい局面を切り抜けてくるとは、あの男も運だけではない何かを持っているなと、ゼブラは確信する。
「早く蠅共をどうにかしろ!」
焦りを見せながら、ローブを着た男が怒鳴り声を上げた。
ゼブラは、先程小船に向けようとした右手を空にかざしながら、今度はどのように妨害するか黙考した。――相手が飛行する手段を持っているとなると、大型の魔法を使っても容易に躱されてしまうことだろう。そうなると、質より量で攻めた方が効果的か――。
考えがまとまるや否や、ゼブラは右手に黒い光を灯し、早速呪文を唱えた。すると、空のあちこちにソフトボールほどの火の玉が現れ、分散を始めた。仲間二人が目を奪われているうちに、空は数百もの火の玉で埋め尽くされ、辺りはじりじりとした熱気に包まれた。
これだけあれば、一発くらいは彼らに命中してくれるだろう――そう目算を立てる一方で、彼らはこの攻撃をも掻い潜ってくるのだろうか――そんな懸念を頭の片隅に抱いてしまっていることに、ゼブラは思わず苦笑した。――彼らなら、自分達の障害も取り除いてくれるかもしれない。そんな期待を募らせながら、ゼブラは全ての火の玉を解き放った。
* * *
晴天の下、ラース達を乗せたトトは、翼を広げて北の空へと滑空を続けた。セラとあかねが高所で震えている横で、ラースは次第に遠ざかる船の残骸をずっと見つめていた。
亡骸となったバーゴがあそこに沈んでいる――そのことを思うと、ラースは胸が痛まずにはいられなかった。そして同時に、カダルナ港の人々をも襲った犯人達に対する義憤がより強く込み上げてくるのをラースは感じた。バーゴの仇は必ず取る──そう胸中で誓い、ラースは船の残骸から目を離した。
「そういえば、兄貴」
また犯人達を追うことを考えたところ、ふとある疑問が浮かび、ラースは後ろにいるクレスに尋ねた。
「さっき、アルテリア帝国の城下町でバーゴ達を捕まえようとしたとき、仲間のテレポートする魔法で逃げられたって言ってたよな。もしその仲間が今逃げて行った奴なら、何でその魔法を今使わなかったんだろうなって」
あごに指を当てる仕草をしながら、クレスは言葉を返した。
「敵は逃げることより、僕達を足止めすることを優先したのかもしれないね。それに、こうして僕らに尻尾を掴まれた以上、証拠となる船を残しておく理由もないだろうから」
「……足跡とか指紋とか、か。なるほどな」
納得しながら、ラースは前方へと向きを直した。物的証拠さえなければ、現場から去った後はいくらでも白を切ることができる――そういう魂胆なのだろう。
「ねぇ! もう少し低く飛ぶことってできないの?」
我慢の限界が来たのか、必死にトトの背中にしがみつきながら叫ぶあかねに、キルバードは愉快そうに声を上げて笑った。
「悪い悪い、すっかりいつもの調子で飛んでた」
そう詫びながら、トトの首筋にポンと手を置き、合図を送ろうとしたとき――迫りくる気配に感づき、キルバードは即座に下を見下ろした。
「上がれ、トト!」
キルバードが叫ぶ。要求とは真逆の指示に「はぁっ?」と怒りを露わにするあかねだったが、トトは構わず翼を一振りした――次の瞬間、下から小さな影が意思を持っているかのように襲い掛かり、上昇するトトの爪を掠めた。ラースが影を目で追いかけると、影は旋回することなく上昇し、やがて爆発音と共に砕け散ってしまった。
「な、何が起こったんです?」
セラが混乱しながら尋ねるも、キルバードに返答する余裕はなかった。
「前からだ!」
トトが体勢を整える間もなく、キルバードの言葉通り、前方から別の影が突進してきた。今度はラースも影を見逃さなかった――じっと目を凝らし、そしてようやく影の正体が火の玉であることに気付いた。翼をもう一振りする猶予はないと判断したのか、トトはあえて翼を振らずに降下することで、迫りくる火の玉を避けた。
「あれは奴の……ゼブラの攻撃に違いねえ」
ようやくトトが体勢を立て直したところで、ラースは振り落とされかけていたセラの体を支えながら言った。
「理由は分からねえけど、奴は俺らがまた追ってきていることに逸早く気付いたんだ。でなければこんな攻撃……」
同調するようにクレスもうなずいた。
「そうだね。そして、このタイミングで攻撃を仕掛けてきたということは、犯人達がテレポートの魔法を使わないものと見て間違いない! まだ追えるよ、ラース!」
「だな!」
力強くうなずくと、ラースはキルバードに目を向けて言った。
「キルバード! このまま突っ込んで犯人達を追ってくれ!」
「合点承知の助!」
キルバードも威勢よく返事し、片膝をついた姿勢でトトに速度を上げるよう合図した。前方から二、三個ほどの火の玉が迫ってくるのが見えたが、トトは怯むことなく加速し、ジグザグに飛んで弾幕を躱しながら突き進んだ。
「左右から来る!」
全速力の飛行に振り落とされまいと堪えながら、あかねが叫ぶ。キルバードが左右に目を配ると、二個の火の玉が挟み撃ちをするように向かって来るのが見えた。このまま突っ切れば――とキルバードは判断したが、前方からも火の玉が飛んできていることに気付き、一瞬躊躇した。
別の回避ルートを探しても良かったが、絶え間なく来る火の玉を、このままトトに全て捌かせるのは負担が大きすぎる――ましてや、五人も背中に乗せているのだから、例え反応できたとしても、体が追い付かずに被弾してしまうことだってあり得ると、キルバードは危惧の念を抱いた。
――それなら、俺がトトの負担を減らしてやらなければ。思い立つや否や、キルバードは背に担いでいた黒と銀の薙刀を右手で掴んだ。
「セラちゃん達は少し下がってな」
背を向けたまま忠告すると同時に、キルバードは薙刀を片手で巧みに回し、また握り直して身構えた。
「このまま進め!」
前方から飛んでくる火の玉をじっと見据えながら、キルバードはトトに向かって叫んだ。トトはどのように避ければいいのか戸惑っている様子だったが、キルバードの指示を耳に入れるなり、従順に速度を上げて前進した。
火の玉がトトの顔面に迫ってきても、トトが恐怖で目を瞑ることはなかった。それは、キルバードが必ず守ってくれるからと、信じて疑わないからこそできることだった。
キルバードが右手で薙刀を振り上げると、今にも直撃しそうになっていた火の玉がトトの眼前で真っ二つに裂かれ、砕け散っていった。辺りに漂う粉塵を払いのけ、残りの火の玉を置き去りにし、トトは加速を続けた。
火の玉の攻撃は留まるところを知らないばかりか、より一層激しくなっていった。しかし、どれだけ弾幕が厚くなっても、キルバード達の猛進が止まることはなかった。薙刀を回せば目前の火の玉が弾き返され、横に払えば一掃され、そして光の速さで一突きすれば、迅雷の如き一閃が、数十メートル先の的を刺し貫いた。
ラースやセラ、あかね、そしてクレスも、キルバードの薙刀捌きに思わず見入ってしまっていた。どんなに態度が軽薄でも、この男は確かに十五年前の戦争を止めた英雄なんだと、今ならラースも十分納得できた。
「ほ、本当に凄い……」
セラが無意識に呟くと、キルバードは薙刀を肩に乗せながら振り向き、突然ふふんと鼻を鳴らし始めた。どうやら、セラの一言がキルバードを調子に乗らせてしまったらしい。
「ま、この程度の攻撃でやられるような俺じゃないから! セラちゃんには傷一つ付けさせや……」
「なぁーに浮かれてんだよ! 上見ろ、上!」
あかねが切迫した表情で怒鳴った。キルバードがのんびり見上げると、火の玉が今にもキルバードの顔面にぶつからんとばかりに向かってきていた。身の危険を察したのか、トトも注意を喚起するかのように甲高く鳴いた。
油断しすぎていたことに今更気付き、すぐに薙刀を構えようとしたが、火の玉はもう目と鼻の先のところまで迫ってしまっていた。あぁ、この一発は諦めるしかねえか……と悟りながら、キルバードが目を瞑ろうとしたとき――突然火の玉の形が崩れ、ぶつかる寸前で弾け散ってしまい、キルバードは目を丸くした。
「鼻の頭、斬っちまわなかったか?」
声のした方を振り向き、そして火の玉がなぜ弾け散ったのかをキルバードは理解した。キルバードの視線の先で、ラースが振り上げた剣を下ろし、次の攻撃に備えて身構えていた。
「頼むぜ。この中でトトを従えるのはアンタしかいねえんだからよ」
ため息混じりに言うラースに続き、クレスも剣を抜きながら言った。
「避けきれない攻撃は僕達が防ぎます。キルバード殿はトトへの指示を続けてください!」
ラースとクレスを交互に見ながら、キルバードはひゅうと口笛を吹いた。
「いいね、お二人さん。頼もしい限りだ」
口元に笑みを浮かべながら、キルバードは前を向き直して声を上げた。
「もう一回飛ばすぞ、トト!」
キルバードの指示に応じるかのように、トトは甲高い鳴き声と共に、大きく翼を一振りして速度を上げた。セラもあかねも、トトが少し加速しただけで振り落とされそうになっていたのだが、今弱音を吐いたりすれば邪魔になるだけだと思い、何も言わずトトの背中にしがみつき続けた。
火の玉が四方八方から矢継ぎ早に飛んできたが、ラース達は屈することなく、その全てを各々の武器で叩き落としていった。そればかりか、危険な状況であるにもかかわらず、ラース達は無意識に含み笑いを浮かべながら戦っていた。
もし自分一人しかいなかったら、これほどの弾幕を捌ききることなど到底不可能だっただろう。だが三人でなら、どれだけ妨害されようが乗り越えられる……そんな根拠のない自信が、ラースを笑わずにはいられなくさせた。どんな攻撃が来ようが、どんな敵が立ち塞がろうが、恐れるものは何もない――。
「少し自惚れすぎじゃありやせんかね?」
不意に、後方から冷たい声が聞こえた。ギクリとして全員が振り返ると、トトの背中の上に立つ、ゼブラの姿がそこにあった。
セラ達が息を呑む一方で、ラースはドクンと鼓動が高鳴るのを感じた。――こいつはバーゴを虫けらのように殺した。邪魔だからという、あまりにも利己的な理由で……。二度目の鼓動と共に、ラースに強い衝動が走った。こいつは今、倒さなければならない――斬らなければならない。
血走らせた目を開くと共に、ラースは怒りに身を任せた。躊躇なく剣を振り上げ、ゼブラの胴体目掛けて剣を振り下ろそうとした……が、相手の方が少しばかり早かった。
黒い光を灯した右手をトトに向けて、ゼブラは飛び退きながら呪文を唱えた。次の瞬間、ゼブラの右手から電撃が迸り、トトの体を無慈悲に襲った。火の玉に気を囚われていたからか、トトは不意打ちの魔法に耐えることができず、間もなく気を失ってしまった。
「つ、掴まれ!」
キルバードが叫ぶ。それと同時に、トトの体が大きく傾き、頭から真っ逆さまに落下していく。セラが必死に名前を呼ぶも、トトは一向に目を覚まさなかった。為す術もないまま、ラース達はバシャンと大きな水飛沫を立てて、海に沈んだ。
最初に海面から顔を出したのはセラだった。ごほごほと咳き込みながら周囲を見渡すと、大の字になって浮かぶトトの姿が目に飛び込んだ。息を整えないまま、セラは真っ先にトトのもとへ向かった。
「トト、しっかりして!」
再び呼びかけながら、セラがトトの体に手をかざして念じる。セラの両手に温かい光が宿り、大きくなり、次第にトトの体を優しく包み込んでいく。しかし、それでもトトの首は垂れたまま、起き上がる様子を見せなかった。セラがいくら体を揺すっても、トトはピクリとも反応を示さなかった。
「どうしよう、このままじゃ……」
不安のあまり涙ぐむセラの肩に、突然誰かの手が置かれた。涙を拭うことなく振り向くと、キルバードがセラに柔和な顔を向けていた。
「大丈夫だよ、セラちゃん。トトは息をしてる。それに、あれくらいの攻撃でころっと死んじまうような、やわな体はしていないさ」
セラの頭を撫でながら、キルバードは優しい言葉でセラを宥めた。セラは俯いたままだったが、やがて無言のままこくりと頷いた。まだ不安が残っていたものの、キルバードの言葉を聞いて、セラは少しだけ落ち着きを取り戻せたような気がした。
遅れて、ラース、クレス、あかねの三人が海中から戻ってきた。すぐにセラ達と合流し、セラ達が無事であることに安堵する一方で、ラース達はまだ目を覚まさないトトの身を案じたが、突然上空から手を叩く音が響き、一同の目はそちらに向けられた。
「いやはや驚きやしたよ。これほどまでにしぶとく追って来れるとは思いもしやせんでした」
ラース達の視線の先では、ゼブラが魔法で宙に浮いたまま、称賛の言葉と共に拍手していた。
ラースはゼブラを睨みつけた……そして、これ以上ゼブラ達を追うことはできないのだと理解し、悔しさで歯を食いしばりながらわなわなと震えた。
「お前は……お前らだけは絶対に許さねえ。俺達の手で必ず捕まえてやる……!」
憤怒の表情で言うラースに対し、ゼブラは拍手を止めて言葉を返した。
「へえ、そうですかい。あっしは大歓迎なんですがね」
嫌味な笑みを浮かべながら、ゼブラは続ける。
「あんたらも既に気付いている通り、あっしは今やバルドロス帝国の一味だ。あっしらを捕まえたけりゃ、バルドロスの兵を相手に打ち勝ってみせてくだせえ。元より、あんたらもバルドロス帝国に用があって、ここまでやって来たんでしょうしね」
ラースは無言のまま、当然だとばかりにゼブラを睨み続けた。セラが襲われたのも、あかねの仲間がさらわれたのも、全てバルドロス帝国の連中によるものなのだ。それに何より、下種な行為の数々を目の当たりにして、連中をこのまま見過ごせるはずがない。
「……その子、もしかしてニンジャの生き残りですかい?」
途端、あかねの存在に気付いたゼブラが尋ねた。布地の見慣れない格好、そして額に巻かれた額当てを見て、あかねをニンジャだと認識したらしい。突然の言葉に当惑しているあかねに、ゼブラはさらに質問を重ねた。
「姉さんは元気にしていますかい? 親しい間柄なもんでね」
あかねの血相が一瞬にして変わった。姉が今どういう状況にあるのかなど、ゼブラ達にとって聞くまでもないことなのは明白だ。無事でないと分かっていながら、ゼブラはあえて自分に尋ねている――笑っている、弄んでいる――。
両目を血走らせ、あかねは怒りに震えた手を腰にある小刀に伸ばす。すぐにクレスが制止しようとしたが、あかねは小刀を振り回して遠ざけ、一目散にゼブラを追いかけていった。糞野郎、殺してやると罵言雑言の限りを尽くそうが、それでセラ達に何と思われようが構わない。今はただ、あの男が憎くて仕方ない……。
殺気立った面持ちであかねが近づいて来ても、ゼブラが焦りを募らすことは一切なかった。巨鳥が気を失った今、相手にまともな攻撃手段はないと確信していたからである。そしてゼブラの確信通り、あかねが小刀を振り上げても、十メートルほど上にいるゼブラには掠りすらしなかった。
ならばとあかねが小刀を放り投げる素振りを見せた途端、ゼブラは逃れるようにさらに上昇を始めた。そして、ラース達を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべ、ゼブラは向きを変えて北の方角へ飛んで行ってしまった。
「あ、あかね……!」
ゼブラが去っていくのとほぼ同時に、セラがあかねのもとへやってきた。あかねは怒り狂って興奮を抑えられずにいたが、セラの心配そうな顔を目にすると、あかねの中で憎しみの感情が徐々に萎んでいくのを感じた。代わりに惨めな気持ちだけが残り、あかねは堪らず大粒の涙を零した。
「セラ……あたし、悔しいよ。お姉ちゃんや仲間を奴らに好き勝手されて……何もできない自分が、情けなくて……」
俯いたまま咽び泣くあかねを労わるように、セラはあかねの背中にそっと手を置き、優しくさすった。そしてそのまま振り向き、同情を求めるような目をラースに向けた。
ラースもまた無言のまま、返事の代わりに力強く頷いてみせた。ゼブラという名の男、バルドロス帝国の騎士団、そして黒幕である国王……。自分達が戦わなければならない相手が、ラースはようやくはっきりと分かったような気がした。
連中をこの手で捕まえるまで、今回の無念を忘れることはないだろう。既に敵の見えなくなった空を見上げながら、必ず連中を捕まえてやると、ラースは固く決心した。
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