五
ラースがセラ達を連れて宿屋に戻ると、ラムおばさん達が外で待ってくれていた。セラを見つけるなり、ウェッジは地面にへばりつく勢いでセラに土下座をしたのだが、その土下座がかえってセラを困らせていることには気づいていないようだった。先程失神していたクレスも一緒に外に出ていたのだが、普段クールな彼の顔が酷くげっそりとしていたことが、ラースとあかねはおかしくて仕方がなかった。
冷めかけのディナーを食べ終えて空腹を満たすと、ラース達はそれぞれの寝室へと向かった。左右の角にベッド二つしか置かれていない、寝るだけのためにあるような小さな部屋だ。
部屋は三室借りており、セラはあかねと、ビックスはウェッジと、そしてラースはクレスとペアを組み、一つの部屋でくつろいだ。セラが無愛想なあかねと同じ部屋に入ることに、ラースは少し不安を抱いていたのだが、二人の笑い声が絶え間なく聞こえてきたので、心配は無用かなと、ラースは気にするのを止めた。
夜の寂しさを紛らわそうと犬が遠吠えを上げるようになった頃には、はしゃぎ疲れてしまったのか、セラ達はすっかり寝静まってしまっていた。ビックスとウェッジの方はとても気持ちよさそうに、ガーガーと大きないびきをかいて寝ていた。
そしてラースは……まだ床に就いてはいなかった。真剣な顔つきでベッドに腰かけ、反対側に座るクレスと向き合っていた。コナン城に行ったときから、ラースが訊こうとしてずっと訊けなかったことを、改めてクレスに尋ねようとしていたからだ。
「兄貴。そろそろ聞かせてくれないか? 何故アルテリア帝国の騎士団長が、赤の他人である俺を信じてくれたのかを」
前のめりになって、ラースはクレスに言った。例え、捕らえる相手が部下であるクレスの弟であったとしても、それがラースを信じる理由になるようなことは、絶対にありえない。
ラースの言葉を聞くと、クレスは視線を落とし、太ももに腕を置いて両手を組み、そして口を開いた。
「……まずは、十五年前の話をしようか」
アルマン国王と話していたときと同じように、クレスは重い口調のまま言った。
「覚えているかい? 十五年前のあの日、ゴンガノにたくさんの騎士が押し寄せてきたことを。僕達を除いて、母さんや村の人達が一人残らず殺されてしまったのを」
ラースも視線を落とし、そして眉間にしわを寄せた。
――許せるはずがなかった。何も罪を犯していないのに、母達が何故殺されなければならなかったのか、ラースは今でも理解できなかった。そんなに人を殺したいのならば、帝国の騎士団同士で勝手に殺し合っていればいいじゃないかと、そんなことを幼い頃に考えたこともあった。
「調べてみて分かったよ。あの時、ゴンガノを含めて世界各地を襲撃したのは、全部バルドロス帝国の仕業だったんだ」
クレスの言葉に、ラースは目を丸くした。
「全部、だと? 戦闘に巻き込まれてしまったとか、そんなんじゃなくてか?」
「それよりももっと悪質な理由だよ、ラース」
首を振って、クレスは言葉を続けた。
「当時、アルテリア帝国は未知なる強大な何かを手にしていたらしい。その存在を知ったバルドロス帝国は、邪魔なアルテリア帝国の壊滅も兼ねて、その未知なる何かの強奪を目論んだ。そのためにまず、バルドロス帝国は世界各地に騎士を送り、襲撃させたんだ」
「どうして……?」
クレスは鼻で一息つき、眉間にしわを寄せて答えた。
「アルテリア帝国の勢力を極限まで減らすためさ。当時、バルドロス帝国騎士団は総勢千人以上いたのに対して、こちらの勢力は数百人程度しかなかったらしい。バルドロス帝国が世界各地の襲撃に半数の騎士を割いたとしても、それを防ぐのに、アルテリア帝国は勢力のほとんどを減らす必要があった。結局、帝国内に残った兵は三十人ほどしかいなかったそうだよ」
ラースは息を呑み、そしてボロボロになるくらいに強く歯を食いしばった。念を入れて敵の勢力を減らす……ただそれだけの、あまりにも利己的な理由で、バルドロス帝国は世界中の人々を襲い、罪のない人達を、そして母を亡き者にしたのだ。
「そんなの……勝ち目なんかあるのかよ」
込み上げる怒りを押し殺しながら、ラースは訊いた。
「うん。アルテリア帝国への襲撃、バルドロス帝国の防衛、どちらにも数百の兵が割り当てられていたらしい。倍以上の戦力差だ……状況は絶望的だった。でも、アルテリア帝国は戦争を止めることができたんだ。二人の騎士の活躍でね」
クレスは両手を解き、片手で二本の指を突き立てた。
「一人の名は、ジュード・アルゼルク。もう一人の名はキルバード・レインズ。どちらも相当な実力の持ち主でね。当時のアルテリア国王は、バルドロス国王の首を討ち取りに、二人を向かわせた。そして、数百もの兵を相手にして、二人は打ち勝ってみせたんだ。バルドロス国王の首も討ち取り、二人は戦争を終わらせることに成功した」
ここで、クレスは鼻でため息をついた。
「けど……それまでに多くの死者を出してしまった。世界中の民は四割近くが殺されたし、アルテリア帝国に残った国王や姫、親衛の騎士達も、手にしていたものを守り抜くために、当時の騎士団長を除いて、皆犠牲になったんだ」
少しの沈黙の後、クレスは顔を上げて言った。
「ラース。これが、騎士団長がラースを庇ってくださった理由だよ。僕達アルテリア帝国は、バルドロス帝国を全くと言っていいほど信用していないのさ。罪のない者達を躊躇なく殺すような奴らを、簡単に信用できるはずがないだろう?」
クレスの言葉に対し、ラースは無言のままこくりとうなずいた。返事を聞かずとも、ラースの険しい表情を見れば、その答えは明らかだった。
「『あの』戦争後、死んだバルドロス帝国の王の子息は、次期国王の座に就いた際、『二度と同じような過ちは犯さない』と宣言した……。けど、アルテリア帝国はそれが上辺だけのものだと疑っている。またバルドロス帝国が悪事を起こさないよう、僕ら騎士団は、任務をこなしながらもバルドロス帝国の動きに目を光らせているのさ」
あぁ、と思い出したかのようにクレスは声を上げた。
「『帝国平和条約』もその一つだよ」
「帝国平和条約?」
聞き慣れない言葉にラースは首を傾げたが、またすぐに、同じ言葉を聞いたことがあるのを思い出した。ネムヘブルでの事件に直接関係のないアルテリア帝国がなぜ関わってくるのかと、ラースがビックスとウェッジに尋ねたときに、二人が理由として挙げたものだった。
「前まで、アルテリア帝国とバルドロス帝国の間では、互いに騎士団の任務に関与してはならないというルールがあった。このルールのせいで、バルドロス帝国が妙な動きを見せたとしても、探りを入れることができなかったんだ。それが、結果的に十五年前の惨劇を招いてしまった。
だから、今のアルテリア帝国の王は、終戦直後に『協力して平和を築くために』という名目で、敵国の騎士団の任務に関与できる条約を作ったんだ。平和を築くためのものならば、バルドロス帝国も立場上、条約を結ぶのを拒否することはできないだろうからね」
ラースは、クレスの説明に納得しながら、ビックス達と対面していた時のことを再び思い返した。自分達がビックス達に狙われたのも、バルドロス帝国が帝国平和条約を逆手に取って、アルテリア帝国を利用したからなのかもしれないと感じた。
「そして、今日……セラさんの弁護を聞いて、バルドロス帝国に対する疑念が確信に変わった」
クレスの言葉に、ラースもセラがビックス達の誤解を解こうとしていたときのことを思い出した。セラが旅に出る決断をするきっかけになったのも、バルドロス兵の襲撃である。セラのことは兄貴に詳しく話した方が良いと思い、ラースは言った。
「アイツは、自分が何者なのかを知りたくて旅をしているんだ。昨日、アイツはバルドロス帝国の騎士達に襲われて、連れ去られかけている。それはきっと、バルドロス帝国の王が、アイツに何か秘密があることを知っているからなんだ」
ふと、ノアールでのあかねの発言も思い出し、ラースは言葉を続けた。
「あの、あかねってニンジャもそうだ。ノアールでアイツと会ったとき、アイツは、姉や他の仲間が騎士の連中に連れ去られたって言っていた。さっきビックスとウェッジにも訊いてみたけど、アルテリア帝国騎士団内でニンジャを捕らえたって話は聞いていないって言ってたし、これもバルドロス帝国の仕業と見て間違いないはずだ」
クレスはうつむき、先程と同じように深刻な顔をして言った。
「セラさんの件と、あかねさん達ニンジャの件……。僕達アルテリア帝国の見えないところで、バルドロス帝国はまた何かを企んでいるんだ」
ラースは身を乗り出して言った。
「兄貴。セラの秘密を探るのと、あかねの仲間を助けるのに協力してくれないか?」
クレスは顔を上げて、大きくうなずいた。
「もちろんだよ。バルドロス帝国の悪事を暴くことにも繋がるだろうからね」
クレスの言葉に、ラースはほっと胸を撫で下ろした。――例え騎士になったとしても、やはり兄貴は信頼できる。今のタイミングで兄貴に会えてよかったと、ラースはありがたみをしみじみと感じた。
「……ラース。僕からも一つ質問していいかい?」
突然のクレスの言葉に、ラースは目を丸くした。
「何だ? あかねの方はまだ分からないことが多いんだけど」
質問を予想して答えるも、クレスは首を横に振った。
「違うよ、ラース。お前自身の旅の理由さ」
クレスの言葉を聞き、ラースは自分がなぜ旅をしているのか、まだクレスに話していなかったことを思い出した。今はセラの旅に協力するつもりでいたのだが、自分にも、何のために剣を振るかの答えを探すという目的がある。だが、自分の口から話さない限り、旅の理由が相手に伝わることは間違いなくないだろう。
ラースは、人を殺さずして守れないものは何か、自分が何のために剣を振っているのか、その答えを見つけるべく旅をしていること、そしてそのきっかけになった黒マントの男との出来事について、全てをクレスに話した。最初に旅の理由を聞いたとき、クレスもセラと同じように呆然としていたのだが、黒マントと会ったときのことを話すと、それなりに納得してくれた。
全てを話し終えたところで、ラースは改めてクレスに尋ねた。
「兄貴は、騎士になってからも剣を振っているんだろ? どんな思いで剣を振っているか、教えてくれないか?」
クレスは首を振り、視線を落としながら口を開いた。
「剣の鍛錬を積めば、世界の平和に少しでも貢献できると思っていた……。そこまで深く考えたことはなかった……。ごめん、役に立てなくて」
「そうか。……いや、いいんだ。こんなことを訊く俺がおかしいだけだ」
そう言って、ラースはクレスから目を離し、ベッドの上に仰向けになった。クレスに大丈夫だとは言ったものの、胸の内では、何のために剣を振るかのヒントをクレスから得られなかったことを、少しばかり残念に感じていた。
剣のことを考えるようになったときから、兄には一度でも話を聞いてみたいと思っていた──いや、そういう人物はもう一人だけいたか。
「兄貴」
影のかかった天井を見上げたまま、ラースは言った。
「親父はいたか?」
ラースには、母と兄以外に、騎士として務めるもう一人の家族がいる。だが、ラースが生まれたときからアルテリア帝国にいて、実際に顔を見たことは一度もなかった。どんな人物なのかも、幼い頃に母から何度か聞いた程度しか分からない。
十五年前の戦争で、騎士が故郷ゴンガノを襲撃し、母や村人達に刃を向けたときも、父がゴンガノに来ることはなかった。だが、そのことにラースは腹を立てておらず、何か来られなかった事情でもあったんだろうと察していた。
もし、父と会える機会があるとするなら──今まで帰って来てくれなかったこと、十五年前に母を助けてくれなかったこと、それらを怒ろうとは思わない。ただ、一度会ってみたかった。実の父親の姿を、顔を、人柄を、一度でもいいから、見てみたかった。
「そうだった……ごめん。何よりも先に、そのことをラースに話すべきだったね」
再び詫びると、クレスは鼻で大きく深呼吸して、答えた。
「国王が直々に仰ったよ。父……ルーク・オルディオは、十五年前の戦争で死んだって」
クレスが再び口を開くことはなかった。それ以上もそれ以下もない、ありのままの事実を、クレスは伝えた。
父の死を聞き、ラースは少しの間呆然とした。だが、不思議と悲しみの感情は湧いてこなかった。どちらかというと、今まで頭の中に抱いていた大きな疑問がなくなり、すっきりしたという気持ちの方が強かった。
「……そうか」
それだけ呟いて、ラースは仰向けのまま後頭部で両手を組んだ。クレスは何か一声かけようとしたが、途中でそれを止めた。クレスの見たラースの表情が、どこか穏やかだったからだ。
「サンキュー、兄貴。……お休み」
そう言うと、ラースはゆっくりと目を閉じ、寝息を立て始めた。ラースが意識を放すのに、時間はさほど要さなかった。
再び目を開けると、ラースは暗闇の中に一人横たわっていた。顔だけを動かして、前後、左右と見渡してみるが、どこも先の見えない闇ばかりが広がっていた。そうでありながら、自分の体だけはっきりと見えているのは、何とも不思議な気分にさせられた。
地面に手をついて起き上がり、再び真っ暗な空間を見渡したところで、ラースはふと思い出した。ここは、ネムヘブルで悪夢を見たときにいた場所と同じだ。だが、今回は見えない『何か』に自身の体を蝕まれてはいない。
最初にここに来たときは、『何か』に殺されかけていたため、一刻も早く抜け出したい――眠りから覚めたいと考えていたが、今はその『何か』に命を握られているわけでもない。せっかく無事でいるのだから、少しだけこの暗闇の中を探索してみようとラースは考えた。
くるりと後ろを振り返り、ラースはまっすぐ走り出す。その方向に突き進もうと考えた深い理由はない。ただ、この先に何かがあると直感しただけだった。
色も、温度も、空気すらも感じない空間の中を、ラースはひたすらに走り続けた。だが、いくら走り続けても、眼前に広がるつまらない光景が変わることはなかった。
しばらく進んだところで、ラースはぜいぜいと息を上げ、膝に手をついた。少し走っただけで息が切れてしまうのは、前に進んでいるという実感が湧かないからだろうか。もしくは、これまでの旅の疲れが抜けていないからなのか。それとも、単に体力が落ちてしまっただけなのか──。
いろんな理由が浮かんだが、やがて、疲労で考えることすら煩わしくなり、ラースは大の字になって倒れた。
上を見上げても、視線の先にあるのは光のない一面の闇だ。しかしラースには、そこに青く澄んだ空がどこまでも広がっているように感じていた。
――思い返せば、こうして地面の上に仰向けになるのは子供の頃以来になるのだろうか。無意識に目を閉じ、ラースは当時のことを振り返った。
兄とチャンバラごっこをしていたときは、負けて何度も地面に倒れていたのだが、じっくりと空を眺めたのは、それよりももっと前の記憶だ。まだ三歳にも満たない頃、ラースは外で兄と遊び、疲れると草花の上に寝転がり、今のように空を眺めていた。
淀みのない青空を見上げ、動物などに似ている雲がないか、兄と一緒に探すのが好きだった。空を眺めながら、そのまま眠りについてしまうこともしばしばだった。
夕ご飯の時間になっても戻らなかったときには、母が自分達を起こしに来てくれていた。クレスは素直に起きてくれたものの、ラースの方は、「あと五分だけ」と、よく母にわがままを言っていた。だが、そんなラースに怒ることなく、母はいつも優しくしてくれたのだ。
――分かった。じゃああと五分だけね。私もそばにいてあげるから。
そう言って、母と兄と三人で、黄金色に輝く夕日を眺めながら寝たことを、ラースは鮮明に覚えている。母には、感謝してもしきれない。もし幼いころから母に死別することが分かっていたら、あんなに迷惑をかけるようなことはしなかったのにと、ラースは後悔する。
「母さん……そこにいるのか?」
目をぱちりと開け、ラースはひとりでに呟いた。
すでにこの世を去った母が、姿を見せてくれることなどあり得ないことは分かっている。だが、昔のように仰向けになると、また母がそばで見守ってくれているような、そんな気がした。
急いで立ち上がり、母の姿を探そうと辺りを見渡す……そして、もう一度口を開いた。
「いるなら返事をしてくれよ――」
その瞬間、ラースの背筋にぞくりと悪寒が走った。突如、背後にただならぬ殺気を感じたからだ。それは母のものでも何でもない……だが、ラースはその気配をよく覚えていた。夢の中で自分を襲った『何か』が、再び姿を現したのだ。
まだ、体を硬直されているわけでも、蝕まれているわけでもない。ごくりと唾を呑み、ラースは恐るおそる振り返った。その先には、今まで見えなかった『何か』が、はっきりとシルエットとして現れていた。
よく目を凝らしてみると、それはラースと同じくらいの体格をした男だった。額に鉢巻を巻いており、右手には大きな剣が握られている。片膝をつき、剣を地面に突き刺して杖のようにし、下を向いて息を整えているかのようなその姿は、まるで傷を負った兵士そのものだ。
「……アンタが、俺を殺そうとしていたのか?」
握り拳を固めて恐怖を紛らわしながら、ラースは男に向かって叫んだ。
「答えろ! アンタは一体何者だ! 何故俺の夢の中に……」
途端、ラースの口がぱたりと止まった。男が顔を上げ、ラースに人のものとは思えない視線を向けたからだ。
黒い影に浮かぶ、血色の眼光。鋭い瞳孔に殺意の火を帯びた、ドラゴンのようなおぞましい目に、ラースは息を呑み、立ちすくんだ――それにより、ラースは男の仕掛けた攻撃に反応することができなかった。
男の攻撃がラースの足元に絡みつき、もぞもぞと這い上がり、駆け巡り、そしてラースの体内に潜り込む。侵食が進み、ラースの中で気味の悪い感触が徐々に広がっていく。以前と同じ、体が溶けるように熱くなる感覚を覚える。「止めろ」と何度も叫んでも、男の攻撃は止まる気配を見せない。意識までをも喰われてしまいそうになったとき、次第に、ラースの叫びも懇願へと変わっていった。
「頼む……止めてくれ……!」
生にしがみつきながら必死に命を乞うも、男は残酷な目を向けたまま、攻撃の手を緩めなかった。――もう、諦めるしかないのか。地べたに血を吐き散らしながら、ラースはついに死を悟った。しめたとばかりに、男はラースを骨の髄まで喰らい尽そうと、侵食の速度を上げる。
途端、男の侵食の手が止まった。先程までの攻撃的な姿勢とは打って変わり、男はラースに向けていた攻撃を打ち消すと、よろよろと立ち上がり、ふっと姿を消した。
瀕死の状態で、ラースはどさりと横に倒れた。口元についた血の後を拭くこともできずに横たわったまま、何故急に男がいなくなったのか、ラースはぼんやりと疑念を抱いた。だが、ふと視線を空に向けたとき、その理由が何となく分かった気がした。真っ暗だった空の奥から光が差し込み、闇の中を強く照らしてくれたのだ。
「ラース! しっかりしろ!」
馴染みのある声が聞こえ、ラースはゆっくりと瞼を開けた。虚ろな目を向けると、クレスが体を支え、緊迫した表情でこちらを見つめていた。クレスのみならず、セラやあかね、ビックスやウェッジも、すぐ近くでラースの様子を見守っていた。
「よかった……ラース殿が目を覚ましてくれたのです!」
ラースが起きるのを目にするなり、あかね以外の四人はほっと胸を撫で下ろした。
「一体どうしたの? さっきからずっとうなされていたけど」
あかねが腕を組みながら尋ねる。あかねの言葉を聞き、ラースはまた同じ悪夢を見たのだと理解した。あのまま目を覚まさなかったら、今度こそ命を失っていたのかもしれない。兄貴に助けてもらわなかったらどうなっていたかと、ラースもまた安堵した。
「別に。最近夢見が悪いだけでどうってことねーよ。気にすんな」
ラースがそう言ってはぐらかすと、あかねは「はぁっ?」と怒りを露わにした。
「何だよそれ! せっかくアンタのこと心配してあげてるってのに!」
「大丈夫だっつの。夢を見た程度でどうにかなるわけじゃ……」
ラースが言葉を返しながら、ベッドから降りて立ち上がろうとしたときだった。ぐらりと、一瞬視界が乱れ、ラースは思わず床の上に手をついた。息も普段と比べて荒い。再び立ち上がろうとするも、体に上手く力が入らない。夢の中で受けたダメージが響いているというのだろうか?
「ラース、無理をしない方がいいよ。お前の見た夢がどれほど酷いものだったか、まだ眠っていたときの様子を見て、分かっているつもりだ」
肩を貸してゆっくりと起き上がらせながら、クレスはラースに言った。クレスの言葉を聞き、ラースは「ごめん、分かったよ」と謝り、ようやく強がるのを止めた。
「結局どうってことあるんじゃん。全く、変にかっこつけないで……」
ラースへの悪口を並べるあかねだったが、途中でぱたりと止まった。セラに、厳しい目つきでじっと睨まれていることに気付いたからだ。
「あかね。ラースさんのこと、もう少し気遣ってあげてください」
頬を軽く膨らませながら、セラはあかねを咎めた。今度はあかねが謝る番だった。
「ラースさん、本当に大丈夫なんですか?」
セラがラースに尋ねた。ラースが悪夢にうなされる様子を見るのはこれで二度目なので、心配するのは当然のことだった。
「大丈夫だよ、セラ。起きてしまえばなんてことはない」
「でもラースさん、あの時も――」
「セラ。……頼む、そのことは黙っておいてくれ」
ラースが少しだけ厳しい口調で言った。できればこれ以上、クレス達に面倒をかけるようなことはしたくなかったからだ。セラは抵抗しようとしたが、ラースの心境を察したのか、すぐにしゅんとしながらうなずいた。
「皆」
セラ達に顔を向けて、クレスは言った。
「後は僕一人で十分だから、皆は先に身支度を済ませてきてくれないか。朝食を食べ次第出発する」
クレスの言葉を聞き、ビックスとウェッジは「承知しました、隊長ォ!」と勇ましく返事し、セラはこくりとうなずき、あかねはつんとそっぽを向きながら、ラース達の部屋を後にした。
「もうここを出るんだな」
クレスから離れ、ベッドに腰掛けながら言うラースに対し、クレスはうなずいて答えた。
「うん。こうしてラースが見つかった以上、ここに長居する理由はないからね。早速アルテリア帝国に向かうよ、ラース。セラさん達には、すでにそのことを伝えてある」
その後、ラース達も準備を整え、朝食の席に向かった。後になってラースが気付いたことだが、クレス達は鎧でなく、似たデザインの動きやすそうな布地の服を着ていた。理由を訊くと、「今回の移動では、船で海を渡ってイーストに向かうからね。もし海の上で、例えば乗客が海に落ちてしまった、なんてことがあったときに、鎧を着ていたらすぐに助けに行けないだろう?」とのことだった。
朝食はというと、パン、サラダ、ベーコンエッグにホットミルクと、昨夜と比べると少なめの品数だった。セラもベーコンエッグ作りに参加したそうなのだが、今回はラムおばさんの指導を受けながら調理したらしい。全員分のうち一皿だけセラが作ったとのことなので、ラースはそれを頂いた。辛味の加減がまだ酷かったものの、今までのものに比べたら大分マシになったなと、ラースは感じた。
もう少しここにいて、ラムおばさんに料理のことを教えてもらえば、セラも腕をもっと上げることができただろうにとラースは思ったが、そういうわけにはいかなくなった。クレスの言葉通り、お別れのときはすぐやってきた。クレス達は甲冑とショルダーバッグを、あかねはウエストポーチを、そしてラースとセラは新しいリュックサックを担ぎ、朝日を浴びて活気を取り戻していた通りへと出た。
「せっかく久々に来てくれたってのに、もう行っちまうのかい?」
外まで見送りに来てくれたラムおばさんが、残念そうに言った。
「今回の任務は、僕にとってもアルテリア帝国にとっても、とても重要なんです。できれば、もう少しだけここにいたかったんですけど……ごめんなさい」
寂しげな顔を浮かべて謝るクレスに対し、ラムおばさんは威勢よく笑って首を振った。
「クレスちゃんが気にすることじゃないよ! それに、初めてラースちゃんの顔を見ることができたわけだし、あたしは十分満足しているさ」
そう言って、ラムおばさんはラースに熱烈なウィンクを飛ばした。ラースは無理に笑いながら、鳥肌が立った腕を何度もさすった。
「ラムおばさん。いろいろと料理のことを教えてくれて、ありがとうございました」
セラがぺこりと頭を下げると、ラムおばさんは「いいんだよ」とまた首を振り、セラの肩にポンと手を乗せて言った。
「変に気を落とすことはないからね、セラちゃん。あんたは相手を思いやれる優しい子だからね。伸び代は誰よりもあるのさ」
激励を込めて、ラムおばさんはセラの肩を強く叩いた。ヒッとセラは小さな悲鳴を上げた。
「まぁ、セラちゃんなら練習していればすぐに上手くなれるよ。何度か皆に食べてもらって、味を確認するといいさ!」
アッハッハと大笑いしながら、ラムおばさんは言った。「はいっ!」と大きく返事をすると、セラは期待のこもった目であかねを見つめた。
「い、いやいや。いくらセラの頼みでもあたしはそこまでしないからな?」
顔を真っ青にして拒むあかねに、一同はどっと笑った。
「じゃあ、もうそろそろ行きます。今度サウスに来る機会があったら、その時はまたお邪魔します」
クレスが言うと、ラムおばさんはにかっと笑ってみせた。
「また来ておくれ! ラースちゃん達も、たまにはこっちに顔を出してちょうだいよ!」
「ああ、もちろんだ」
ラースは大きくうなずいた。
「お元気で、ラムおばさん」
クレスは頭を下げ、踵を返して歩き出した。ラース達も別れを告げ、クレスの後に続いた。
「さようなら!」
クレス達について行きながら、セラはラムおばさんが見えなくなるまで手を振り続けた。
「ここからはこれまで以上に長くなりそうだな……」
最初に潜った門の所に向かうため、十字路を右に曲がったところで、ラースは伸びをしながら言った。
「何より、イーストに行くために海を渡らなければならねえ。イーストについたとしても、そこからアルテリア帝国まで長いこと歩く必要がある。少なくとも、今日中に移動できるような距離じゃねえよ。一体何日かかるのか……」
「三日くらいじゃないの?」
すでに、イーストからサウスまでの道のりを辿ったことのあるあかねが答えた。ラースとセラの顔が青ざめた。
「そうか……。どうやってアルテリア帝国まで行くか、まだラース達に話していなかったね」
ラース達の様子を見てクスクス笑いながら、クレスは言った。
「何か手段があるのか?」
ラースの問いを聞き、ビックスは胸を張って答えた。
「今回のように大陸をまたぐとき、我々には馬車で移動する許可が与えられるのであります、ラース殿!」
「ほお……!」
ラースとセラは目を輝かせた。馬車は童話でしかお目にかかれないような、自分達とは縁遠いものであっただけに、喜びもひとしおだった。
「騎士団全員に許可が与えられるわけではないのですが、まぁクレス隊長ほどの地位になれば、それくらいの権利など得て当然なのです!」
ウェッジが自慢気に言った。クレスはウェッジの言葉にあまり快く思っていないようだったが、それでもラースは、素直に尊敬の目をクレスに向けた。
「今、馬車は門番の者に預けてもらっているはずなんだけど……」
巨大な門の前に着いたところで、クレスは辺りをきょろきょろと見渡す。
「それって僕のことですよね?」
唐突に聞こえた声に、クレスが視線を前に戻すと、門番の男がクレスのすぐ目の前に立っていた。
「うわっ! いつの間に……!」
いきなり現れたことに驚き、クレスはたじろいだ。「また出てきた」と、ラースとあかねは同時に呟いた。
「今からアルテリア帝国に向かわれるのですね? 僕、そろそろここを出られる頃かなと思っていました。なので、馬車もすでに準備してあります! 馬の手入れもばっちりです! 今から門を開けますから、皆さんは少し離れていてくださいね!」
そう一方的に言うと、門番の男は服の袖をめくりながら門へと向かい、門の片側に両手を付けた。
「門番くん! その馬車でありますが……今どこにあるのか教えてもらえないでありますか?」
男が門を押し出そうとする直前に、ビックスが尋ねた。
「ご安心ください! すぐに出られるよう、馬車はもう外に出してありますよ!」
「そうでありますか。それだけ分かれば問題ないであります」
ビックスの言葉を聞き、ラースは思わず失笑した。門を開け終えた門番の男がその後どうなるか、何度かコナン帝国に来たことのあるビックス達なら知らないはずがない。
「ビックス、よく分かってるじゃないか」
「まぁ、コナン帝国に来たときのお約束みたいなもの、なのです」
ウェッジが笑いを押し殺しながら言った。
「来るたびに疑問に思うのです。もっと他の力ある者に任せれば……何なら我々に任せていただければ代わりに開けるというのに、自分がやると頑なに言って……」
「まぁいいんじゃないか? 本人がそう言ってるわけだし、いつものことらしいから、もう慣れてるんだろ」
「はぁ……」
ラースの言葉に、ウェッジは腑に落ちないような返事をしたが、すぐに会話がままならない状況になったので、ウェッジは話すのを止めた。門番の男が、いつものように門を開け始めたのだ。
「ふごおおおおおおおっ!」
門が完全に開かれたときには、門番の男は息絶え……はしなかったが、まともに口が利けないまでに疲弊し、地面にうつ伏せになって倒れていた。いつものようにそれを無視し、ラース達は門を通り抜けてコナン帝国の外に出た。
「あー! すごい! 本当にお馬さんがいます!」
セラが黄色い声を上げた。ラースが気になって、セラの視線の先を向くと、そこには先程ビックス達が言っていた馬車があり、二頭の綺麗な白馬が手綱で結ばれていた。馬車は四輪のキャリッジで、その幻想的で品のあるデザインは、童話の絵本で貴族がよく乗っているような馬車に引けを取っていなかった。
「今回は私めが御者をいたしましょう! 皆様は馬車の中にお乗りくださいであります!」
ビックスが敬礼をしながら名乗り出た。
「ありがとう、ビックス。よろしく頼むよ」
ビックスに礼を言うと、クレスは馬車へと向かい、ドアを開けてラースを中へ促した。クレスの誘導に従い、ラースとあかねは馬車の中に入っていった。
中には四人分の座席があり、左右に二人分ずつ、向かい合うように配置されていた。ラースが左奥の席に座ると、あかねはラースを避けてか、右側の手前の席にどさりと腰かけた。遅れてクレスが馬車の中に入り、ラースの隣に座った。
「セラー。早く乗らないと、いつまで経っても出発できないよ」
あかねがドアから顔を覗かせ、まだ白馬に夢中になっていたセラに呼びかけた。セラははっと我に返り、急いで馬車に乗って、空いている席についた。
「ではウェッジ、今回は見張りの方を頼むのであります!」
ビックスの指示に「了解なのです!」と敬礼すると、ウェッジは馬車の後部に座り、剣の柄に手を置いて身構えた。五人が座るのを確認してから、ビックスは馬車の前部に座り、二頭分の手綱を持った。手綱を引く前に、ビックスはクレスに一声かけた。
「クレス殿! もう出発してよろしいでありますか?」
「あぁ! いつでもいいよ、ビックス!」
クレスも声を張って返事を返した。
「承知しました! では出発するであります!」
そう言って、ビックスは早速手綱を引いた。二頭の白馬がいななき、馬車は道なりにまっすぐ進み始めた。
「わくわくしますね、あかね!」
馬車の中に初めて乗れた嬉しさで、セラは顔を綻ばせて言った。
「あたしは微妙だなー。馬車でいい思い出ないし」
あかねが太ももに肘を乗せ、手を頬に当てながら、そっぽを向いて言葉を返した。つい昨夜に聞いた話を思い出し、セラは「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」と謝り続けた。
「ラース、体調はもう大丈夫かい?」
窓の外を呆然と眺めているラースを見て、クレスが訊いた。我に返り、ラースは言葉を返した。
「あ、あぁ。もう大丈夫だ。気を遣わせて悪いな、兄貴」
クレスは首を振った。
「いいよ。何か、不安に思うことがあったら僕に話してくれよ。できる限り力になるから」
「ありがとう、兄貴。でももう平気だよ」
ラースはにっと笑ってはぐらかし、クレスから目を逸らして、また窓の外を眺めた。目で地平線を辿りながら、ラースは他のことで考えに耽っていた。――自分はこれからの旅で、何のために剣を振るか、その答えを見つけることができるのだろうか?
旅の目的のために、これまで自分から何か行動を起こしているようで、実際は何も行っていない。このまま旅を続けても、目的を果たせないまま時間だけが過ぎてしまうのではないかと、そんな不安がよぎった。しかし、目的を果たすために何をするかを考えたところで、いい案が浮かぶわけでもなかった。
ノアールで会った男は、「人殺しの気持ちなんてやった本人にしか分からない」と言っていたが、だからといって、それだけのために人を殺すようなことはできない――そう思うと、このことは考えるだけ無駄である気がしてならなかった。
やっぱり、まずは目の前のこと――セラとあかねを手助けすることを優先しよう。そう思い、ラースは窓から顔を出し、馬車の向かう先へと視線を移した。まずは、サウス唯一の港であるカダルナ港へ。そして、船に乗ってイーストに渡り、そこからさらにアルテリア帝国へ。長い旅路になることを覚悟して、ラースは馬車の中に顔を引っ込めた。
よろしければ、ブックマーク、ご感想、ご評価及び外部ランキングサイトへのご投票をお願いします。




