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第三景 サン・ジャン・ピエ・ド・ポル駅

 ここで少し、この鉄道について説明することにしよう。


「素晴ラシキ世界鉄道(ミリンダ・モンド・フェルヴォーヨ)」。パリに総本社を置き、世界中に路線網を張り巡らせた、名実ともに世界最大の私有鉄道だ。この鉄道はエスペラントを業務用語に定めており、エスペラントでの略称は「MMF(モー・モー・フォー)」という。エスペラントとは、英語に代わる国際語として生み出された人工言語のことである。先ほどのサルヴァドーロとジーモンのやり取りは、全てこのエスペラントで行われていたというわけだ。


 鉄道発足のきっかけは、第二次世界大戦の終結。「平和を鉄道でもたらそう」という大財閥のグロワール伯爵家の呼びかけで、鉄道で欧州、ひいては世界を一つに繋ぐ動きが始まった。


 この鉄道の運営規則は、「国連鉄道法条約」という国際法で定められている。例えば、世界鉄道の路線内には、いかなる国の機関といえども立ち入ることはできず、駅構内はまるで空港の中のように無国籍の空間になっている。そのため、「改札口」は言わば国境のような機能を果たしているのだ。乗客はそこで荷物検査やパスポートの確認などの煩雑な手続きを踏まなければならない。そして、この鉄道には、旅客や貨物の輸送を司る鉄道部以外に、外交交渉を行う政務部、路線内の治安維持を担当する鉄道警察や出入構管理局など、普通の鉄道会社にはないユニークな部署が存在する。


 サルヴァドーロとジーモンは、欧州支社が管轄する巡礼本線で勤務している。巡礼本線は、華の都パリから巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでを結ぶ、欧州支社の主要路線の一つだ。「ペレグリーノ号」は、この本線の代表格たる高速特急で、二人はこの列車で運転士と車掌として働いている。


 サンティアゴ・デ・コンポステーラは、「星降る野原の聖ヤコブ」という意味だとする俗説がある。イエス・キリストの弟子だった聖ヤコブは、殉教後、イベリア半島の最果てのこの地に葬られた。それから幾百年もの月日が流れ、星に導かれた司教が彼の墓を奇跡的に発見した。これを機にサンティアゴは、エルサレムやローマと並ぶキリスト教の三大巡礼地となったのだ。

 

 巡礼者は聖ヤコブの姿に倣い、杖をつきホタテ貝を身につけ、ピレネー山脈の麓の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポルからサンティアゴまで、八百キロの道のりを徒歩で進む。巡礼本線はこの「フランス人の道」と呼ばれる巡礼路に沿って走る。車窓には巡礼者や緑の丘陵地帯、ロマネスクの古風な建築物が絶えず通り過ぎていく。


 地下駅のパリ中央駅を出発して三時間ほどが経った。大都会の喧騒は既に背後遥か遠く、銀色の流線型の列車は、鮮やかな新緑の田園地帯を一直線に貫いていく。程なくして列車は、小高い丘に抱かれた、朱色の瓦屋根の美しい小さな街に入っていった。前方には、蒼いピレネー山脈が泰然と構えている。石畳の敷き詰められた細い道は観光客で賑わい、店の軒先から吊るされた大きな貝殻の看板がひときわ目を引く。


 サルヴァドーロは徐々に左手のブレーキバーを前に押していった。デジタル表示の速度計が、緩やかに数値を下げていく。車内に、ジーモンのアナウンスが響く。


「サン・ジャン・ピエ・ド・ポル。予定されていた接続列車との連絡は全て可能です」


 列車は瓦屋根の織り成すリズムから外れた、寒々とした現代建築の駅舎に進入する。サルヴァドーロは停車位置を目測して、勢いよくブレーキバーを最後まで押し切った。懐中時計に目をやる。小さな舌打ちの音。


 駅に降り、次の運転士に列車を引き継ぐと、コバルトブルーの瞳を眩しそうに細めながら、晴天の空を見上げた。帽子から顔を覗かせたノルディック・ブロンドの髪が、山から流れるそよ風に穏やかに揺れる。緑の山々に囲まれた、スペインとの国境にあるこの街では、広く澄み渡った青空が、サルヴァドーロを快く迎えてくれる。


「今日も時間ピッタリだったな、兄貴!」


 サルヴァドーロは声のした方へ視線を移す。赤い円形の標識を持ったジーモンが、サルヴァドーロに手を振った。ジーモンの鼻に渡ったサングラスを恨めしそうに見る。


「二秒早かった」


「そんなの誤差の範囲内さ。お勤めご苦労!」


 ジーモンは駅員に向かって赤い標識を掲げ、乗降完了の合図を送った。ジーモンが車掌スイッチを押すと、扉が静かに閉まった。列車は再び機械音とともに動き出し、ピレネー山脈の麓へと消えていった。


 日陰を求めて屋根のあるホームへ入ろうとしたとき、サルヴァドーロはふと足を止めた。駅の中に入ったパン屋の前に、ボロをまとった子供たちが群がっている。パン屋の中から太った女性が現れて、彼らにバスケット一杯のパンを見せると、我先にと子供たちは、襟の伸びきった自分のシャツにパンを詰め込む。サルヴァドーロは、子供たちの左肩に浮かんだ刻印を見て眉をひそめた。ホームには「Polico(ポリーツォ)」と書かれた黒い電気機関車が停車していた。鉄道警察が巡回しているようだ。


 突然、電気機関車の中から数人の警官が飛び出し、パン屋の前の子供たちを怒鳴り散らした。子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げるが、運悪く捕まった子供は、男たちにがなり立てられ、頭を殴られ、蹴飛ばされた。パン屋の女主人は金切り声を上げ、現地の言葉で男たちを非難した。ホームに影が下りる。


 サルヴァドーロは唇を噛みしめると、踵を返してホームの端のベンチまで向かった。反対側のベンチで酔っ払いが呑気に眠っていたが、サルヴァドーロは気にも止めず、腰を下ろし、ぎゅっと目を閉じた。


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