第1話 親友に捨てられる四日前
親友との誓いが泥の中で二つに割れていた。
雨が村の広場を叩いている。冷たい雨だ。そのぬかるみにまっぷたつの木の札が落ちていた。子どもの頃に二人で彫った、たった一枚の誓いの札だ。「どんな職でも一緒に外の世界を見る」——下手くそな小刀の跡が二人の名を真ん中から引き裂いている。それをガルドが震える手で見下ろしていた。
俺をかばってくれた手。俺を守ってくれた手。今その札を割った手。
「悪い、レイ。……お前なら分かってくれるよな」
——それを、お前が言うのか。
喉まで出かかった言葉。
なぜ村一番の親友が、俺を捨てることになったのか。
*
四日前。
俺には前世の記憶がある。
三十二年。日本という国で社畜として働き詰めて死んだ。直接の死因は過労だ。頼まれると断れなかった。「お前なら断らないと思って」。その一言で俺は他人の仕事も感情も責任も際限なく引き受けた。とっくに抱えきれる量を超えていたのに。最後は誰もいない夜のオフィスの冷たい床でこと切れた。
次に生を受けた世界で、俺はレイと名づけられた。十二年経った今も、頼まれると反射的にうなずく癖だけは治っていない。そして今日、その一生を決める天職が授けられる。
*
俺とガルドは物心つく前からの幼馴染だ。ガルドが暴れて俺が尻拭いをする。俺が虐められてガルドが殴り込む。そういう凸凹のコンビでこの村を駆け回ってきた。剣の稽古から帰ったあいつが真っ先に自慢を聞かせに来るのは、いつも俺だった。「見ろよレイ、今日、師範に褒められたぞ」。まるで子どもだ。……まあ、実際まだ二人とも子どもなのだが。
その、いつも豪快なガルドが、礼拝堂の前では珍しく青い顔をしていた。
「なあレイ……おれ、もし、しょぼい職だったら、どうしよう」
村一番の腕白がこういうときだけ弱気になる。俺は思わず笑った。
「お前が? 毎日、朝から晩まで木刀振り回してる奴が何言ってんだ。大丈夫だよ」
「……そう、かな」
「そうだよ。俺が保証する。お前は剣の職を授かる」
ガルドの肩の力がふっと抜けた。こいつは昔からこうだ。強がっているようで、いざとなると俺の一言を待っている。……俺も、こいつのそういうところが嫌いじゃなかった。
*
ガルドの番が来た。
神官が祈りを捧げると、ガルドの体が淡く光った。
「〈剣聖〉——数百年に一度の、剣の申し子だ!」
堂内がどよめいた。〈剣聖〉。物語の英雄が名乗る職。村が沸き立った。ガルドは歓声の中心で照れくさそうに笑っている。
そして、俺の番だ。
神官の祈り。俺の体もほのかに光った。神官が職業録を繰る。繰って、繰って——首を傾げた。
「これは……〈蒐集家〉。教会の職業録に記載がない。聞いたことのない職だ」
しん、となった。次いで、俺と同い年の村長の息子が鼻で笑った。
「なんだそれ。物、集めるだけの職か? 戦えもしない、作れもしない。ハズレじゃねえか」
その笑いに大人が数人つられて苦笑した。〈剣聖〉の隣に立つ、名もなき〈蒐集家〉。戦うでもなく作るでもない正体不明の職。この村の物差しでは、それはただの外れくじだった。神官も困ったようにその職業録と俺を見比べている。「悪いが……この職では、村の役に立てるかどうか」。神官のその一言がとどめだった。
俺は俯いた。
……ああ。役に立たない職。前世と同じだ。三十二年かけて身に染みたことが、生まれ変わってもまた最初に突きつけられる。役に立たなければ居場所はない。この村にも俺の居場所は——。
そのときだった。
ガルドが、自分に向けられた歓声を振り切って、俺の隣に戻ってきた。そして俺の肩をぐいと抱いた。
「レイの職を、笑うな」
英雄候補の一喝。声が止まった。
「こいつも一緒だ。〈蒐集家〉がなんだ。レイがしょぼい奴なわけねえだろ。おれがいちばん知ってる」
それがどれだけの値打ちだったか。
嬉しかった。ハズレ職だと村中に笑われた、そのいちばん惨めな瞬間に、いちばん誇らしい男が俺の隣を選んでくれた。それだけで俯いていた顔が上がった。……こいつがいる。だったら〈蒐集家〉がハズレだろうとなんだろうと、やっていける。そう思えたんだ。あのときは。
*
儀式が終わり、俺は一人、村外れの草むらへ来ていた。
嘲笑から離れたかった。それだけじゃない。確かめたいことがあった。〈蒐集家〉。物を集めるだけのハズレ職。……本当にそうなのか。
足元に、なんの変哲もない雑草が生えていた。
役に立たなければ捨てられる。前世で骨の髄まで刻まれた恐怖。その恐怖が指先を少しためらわせた。もしこれで本当に何もできなかったら。俺は——。
それでも俺は、その草に触れた。
〈蒐集〉――《未登録の働きを検知》。
頭の中に涼やかな文字が浮かんだ。目の前の空間に半透明の棚のようなものが、うっすらと浮かんで消えた。
……検知。何かがある。この、ただの雑草に。誰も見向きもしない路傍の草に。俺の目は、それを捉えた。
息を呑んだ。もし「集める」ことに意味があるのだとしたら。……この手で、確かめていける。
役に立たなければ捨てられる。その恐怖はきっと一生消えない。だが今日、初めて俺は、前世の自分にほんの少しだけ抗える気がした。
雨上がりの雲の切れ間から、細い光が草の葉を照らしていた。俺はその一瞬、胸の奥が温かくなるのを感じた。
草むらから村の広場のほうを見ると、まだガルドの〈剣聖〉を祝う声が続いていた。その輪の中心で、あいつは背伸びをして、きょろきょろと誰かを探していた。……探されているのは、たぶん俺だ。
俺は、あの誓いの札の、その約束を思った。「どんな職でも一緒に外の世界を見る」。〈剣聖〉と〈蒐集家〉。ちぐはぐな二人。だが、それでいい。ガルドの剣と俺の集める力があれば。二人でなら、どんな森でも越えていける。
明日からまた始まる。新しい日々が。
——追放まで、あと四日。




