第59話「静かなる違和感」
観覧車を降りたあとも、カラミティアルランドは変わらぬ賑わいを見せていた。広場では大道芸人が子どもたちの歓声を集め、海辺では潮風を浴びながら写真を撮る観光客たちの笑顔が絶えない。
屋台から漂う香ばしい匂いが風に乗り、人々の笑い声と重なり合って、リゾート地らしい穏やかな時間を彩っていた。
だが――レッドだけは、その景色をどこか遠く感じていた。胸の奥に残る、説明できない違和感。観覧車の中で感じた、あの奇妙な静寂。そして、フランが口にした言葉。
――「……来てる」
たったそれだけの一言が、何度も頭の中で反響していた。まるで誰かが、心の奥を小さく叩き続けているようだった。
「おーいレッドー!」
突然、耳元で弾けるような声が響く。
「うわっ!」
肩を震わせて振り返ると、目の前には満面の笑みを浮かべたレイラが立っていた。
「もう〜! 全然反応してくれないんだもん!」
「びっくりさせるなよ……」
「えへへ、ごめんごめん!」
悪びれる様子もなく笑うレイラ。その屈託のない笑顔を見ていると、張り詰めていた心が少しだけ緩んでいく。
「何ぼーっとしてたの?」
「いや……まぁちょっと考え事」
「また難しいこと考えてる〜?」
「そんな大したことじゃないよ」
レッドがそう答えると、レイラはじーっとレッドの顔を覗き込む。
「――ほんと?」
「⋯⋯ああ」
数秒ほど見つめ合ったあと、レイラは「ならいっか!」といつもの調子で笑った。その切り替えの早さに、レッドは苦笑する。
「ほらほら! エルナちゃんたち待ってるよ!」
「はいはい」
そして、2人は再び歩き出した。少し先では、エルナとフランが噴水の前で立ち止まっている。大理石で造られた円形の噴水。
中央から吹き上がる水柱が陽光を浴び、七色の虹を作り出していた。
「わぁ……きれい……」
エルナは目を輝かせながら空を見上げる。その隣で、フランも静かに水面を見つめていた。
「やぁ、お待たせ」
「あっ、レッドくん!」
そしてレッドに気づいたエルナがこちらに手を振る。
「この噴水ね、時間になると音楽に合わせて水が踊るんだって!」
「へぇ、そんな仕掛けが」
「あと10分くらいで始まるらしいよ!」
「じゃあ見ていこうか」
4人は噴水を囲むベンチへ腰掛けた。周囲にも多くの観光客が集まり始めている。恋人同士。家族連れ。友達同士。
様々な笑顔が、この場所を包み込んでいた。
「こうしてると、本当に平和だね〜」
そうしてレイラが空を見上げながら呟く。
「そうだね」
そしてエルナも微笑む。
「こういう景色、ずっと見ていたいな〜⋯⋯!」
「……」
すると、フランだけは何も言わなかった。ただ、じっと水面を見つめ続けている。風もないのに、水面だけが小さく波打った。
その瞬間だった。フランの肩が、ぴくりと震える。レッドはその様子に気付く。
「……? フラン?」
「……あ」
すすとフランは我に返ったように瞬きを繰り返した。
「どうしたの?」
「……なんでも、ない」
「ほんと?」
「……うん」
そう答える声は小さい。けれど、その瞳だけは噴水の向こう――さらに遠くの森林地帯を見つめていた。そこには当然、何も見えない。楽しそうに歩く観光客たちがいるだけ。
それでもフランは、何かを探すように視線を動かしていた。レッドは無意識に左手を握る。
(……気のせい、か?)
そう思った、そのとき。どこからともなく、冷たい風が頬をかすめた。夏とは思えないほど冷えた空気。ほんの一瞬だけだったにもかかわらず、その場にいた全員が思わず身震いする。
「さ、寒っ!」
そしてレイラが自分の肩を抱く。
「今の風……」
エルナも不思議そうに辺りを見回す。しかし次の瞬間には、また暖かな潮風が吹き抜けていた。そして正体のわからない違和感だけが、小さな棘となって4人の胸の奥に残り続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
広場に設置された時計が、午後3時を告げる鐘を静かに鳴らした。その音を合図にするように、噴水の周囲へ集まっていた観光客たちが期待に胸を膨らませる。
子どもたちは最前列へ駆け寄り、大人たちはカメラや携帯端末を構えながら、その瞬間を待っていた。レッドたち4人も、人混みの後方から噴水を見つめている。
「もう始まるみたいだね」
エルナが嬉しそうに身を乗り出す。
「おぉ〜、楽しみ!」
レイラも目を輝かせながら拍手をする。やがて、穏やかなピアノの旋律が広場全体へ流れ始めた。同時に、中央の噴水から高く水柱が噴き上がる。
「わぁ……!」
そして歓声が上がる。幾筋もの水が音楽に合わせるように左右へ揺れ、時には花が咲くように広がり、時には1本の大樹のように天高く伸びていく。
陽光を浴びた水滴は宝石のように輝き、細かな虹を幾重にも描いていた。まるで水そのものが踊っているようだった。
「すごぉぉぉい!!」
レイラは子どものようにはしゃぎながら両手を振る。
「きれい……!」
エルナも目を細め、その幻想的な景色に見入っていた。フランも静かにその光景を見つめ、小さく微笑む。
「……こんなの、初めて」
「来てよかったね」
エルナが優しく笑いかけると、フランは照れくさそうに頷いた。レッドも思わず息を漏らす。
「これは確かに人気なわけだ……」
巨大な噴水は次々と形を変え、音楽と完璧に重なっていく。会場中が拍手と歓声に包まれ、誰もがその時間を楽しんでいた。
――そのはずだった。ふと、レッドは違和感を覚える。
(……あれ)
ほんの一瞬、音楽が遠ざかったような気がした。周囲を見回す。誰も気付いていない。笑顔のまま拍手を送り続けている。
(気のせいか……?)
そう思った瞬間だった。胸の奥で、心臓が1度だけ強く脈打つ。
「……っ!」
「レッド?」
すると隣のレイラが首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんでも」
そう答えながらも視線は自然と空へ向く。澄み切った青空。どこにも異常はない。しかし――空気だけが少し重い。肌にまとわりつくような、不快な圧迫感。
「……」
レッドは眉を寄せる。そして同じ頃。フランもまた、何かを感じ取っていた。その瞳は噴水ではなく、遥か彼方の森林地帯へ向けられている。
「……近い」
誰にも聞こえないほど小さな声。それに、エルナだけが振り返った。
「フランちゃん?」
「……ううん」
首を横に振る。だが、その表情から笑顔は消えていた。楽しげな音楽とは裏腹に、どこか秘めたような瞳。まるで、何かを思い出しかけているようだった。
そして演奏が最高潮へ達した、その瞬間――
ドォォォンッ!!
最後の演出として、水柱が空高く噴き上がる。観客席から一斉に拍手が巻き起こった。
「すごーーい!!」
「きれいだったー!」
「もう1回見たい!」
あちこちから歓声が響く。ショーは大成功だった。司会者がマイクを手に取り、笑顔で締めくくる。
「ご観覧ありがとうございました! 噴水ショーは1時間後にも開催予定です! ぜひまたお越しくださーい!」
観客たちは満足そうに歩き始める。レッドたちも人の流れに合わせて広場を後にしようとした、その時だった。
――ヒュゥゥ……
どこからともなく、再び冷たい風が吹いた。先ほどとは比べものにならないほど冷たい。真夏とは思えない、冬の夜のような風。
「わ、寒っ!」
レイラが肩を震わせる。
「また急にどうしたの……?」
エルナも腕をさする。その一方で、フランだけは足を止めていた。じっと森林の奥を見つめたまま、唇を小さく震わせる。
「……始まる」
「え?」
レッドが振り返る。しかしフランは何も答えなかった。ただ遠くの森だけを見つめ、その瞳には言いようのない不安のようなものが映り込んでいた。
誰にも見えない場所で。誰にも気付かれないまま。白い霧は、ゆっくりとその領域を広げ始めていた。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマーク等でぜひ応援をお願いします!




