03
同じ時刻、木原家。
学校から帰宅した一輝が、自室で鞄を置いた直後だった。
ノックもなしに扉が勢いよく開き、姉の和翠が飛び込んできた。
「ねえ一輝、どう思う?」
「……姉さん、まずは主語を。それとノックの概念を思い出して」
「一輝ったら、お姉ちゃんの話をちゃんと聞いてよー」
頬を膨らませる和翠に、一輝はため息をつきながらベッドの端を叩いた。
「わかったから、最初から説明して。……姉さんも、そこに座ったら?」
促されるまま、和翠はデスクの椅子を引き出し、行儀よく膝を揃えて座った。
そして、放課後の屋上で出会った一年生__高橋優也との、どこか噛み合わない、けれど胸が騒ぐようなやり取りを一気にまくし立てた。
聞き終えた一輝は、天井を仰いで小さく呟いた。
「……それってつまり、その高橋さんだっけ。彼に一目惚れした、ってことじゃないの?」
「一目惚れ……? そうなのかな」
「その人と話してると、顔が赤くなったり……なんだか落ち着かなくなったりしたんだろ?」
「そうそう、すごく変な感じだったの。……変ね、私。あんなに男の人が苦手だったはずなのに」
両親の泥沼の離婚劇以来、和翠が異性の名前を口にすること自体、極めて稀なことだった。
一輝は、姉が無意識に自分の胸元をぎゅっと握りしめている姿を見て、痛ましげに目を細める。
「……気づいたら、目で彼の姿を追ってたんだろ? 姉さん、それはもう一目惚れって言うんだよ」
「そうなのかな……」
「俺から言えることは一つだけ。姉さんの好きにしたらいいと思う」
一輝はベッドに深く沈み込み、視線を窓の外へやった。
正直に言えば、不安でたまらない。
人一倍体が弱く、激しい感情の揺れさえも体調に響きかねない姉にとって、誰かに強く惹かれるということは、それだけで一つの「賭け」のように思えたからだ。
「……姉さんが『外』の世界に興味を持ってくれたのは、嬉しいよ。ずっと、部屋で静かにしてるばかりだったから」
「それって、お姉ちゃんが変な人に騙されてもいいってこと? 一輝はお姉ちゃんを見捨てるのね!」
和翠は袖で目元を拭い、時代劇のヒロインのような大袈裟な泣き真似をしてみせる。
「違うよ。……姉さんが後悔しないように、笑って過ごしてほしいだけだ」
「……後悔、しないように」
和翠の表情から、ふっとおどけた色が消えた。
「……そうね。高橋くん、いい人だといいな」
「うん。……あ、話聞いてくれてありがとう、一輝!」
和翠はいつもの明るさを取り戻し、弾むような足取りで部屋を出ていった。
カチャリ、と扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、一輝は仰向けに横たわった。
「……姉さんのこと、本当に大事にしてくれる人だったらいいんだけど」
和翠が「恋」だと思っているその高鳴りが、彼女の脆い体にこれ以上の負荷をかけないことを祈るしかない。
一輝は、整理のつかない不安を吐き出すように、一度だけ深いため息を漏らした。
「姉さんの人生は、姉さんのものだ。……俺が口を出すことじゃないけどさ」
それでも。
姉の穏やかな日常を揺るがし始めた『高橋優也』という存在が、どうしても気にかかる。
もし彼が姉の平穏を奪い、傷つけるようなことがあれば、その時は__。
一輝は天井を見つめたまま、拳を固く握りしめた。
「高橋優也……一体、どんな奴なんだ」
to be continued.




