105-09
「……行こうか。あの場所に」
二人が最後に辿り着いたのは、茨堂陸島の断崖、藍華の古木の前だった。
あたかも二人を待っていたかのように、風が吹くたび古木から花弁が舞い落ち、地面を淡い色で塗り替えていく。
あの日、すべてを捨てて生きるために「偽りの死」を演出し、美桜吏がダイヤモンドダストという名の残酷な奇跡を見せた場所。
老いた二人は、どちらからともなく寄り添うようにして、古木の根元に腰を下ろした。
眼下に広がる冬の海は、あの日と同じように深く、青く、そしてどこまでも冷たい。
「……ねえ、翼くん。覚えてる? あの時、ここで誓ったこと」
「ああ……。二人で生きていこうって。誰も知らない名前で」
「あの頃の私たち、自分たちが一番の悲劇の主人公だと思ってた。親に縛られて、自由がないって……」
「自分勝手だったな。ただ傷つくのが怖くて、愛してくれた人たちの心を引き裂いて逃げただけだったのに」
翼は自嘲気味に笑い、自分の節くれ立った指を強く握りしめた。
「優也の必死の訴えも、俺にはただの雑音だった。和翠さんの思いも無視した。俺たちが幸せになるためなら、あいつらの人生なんてどうなってもいいって……心の底で切り捨ててたんだ」
「ひどい人たちね、私たちは。六十年、九州であの子たちを育てながら、ずっと怖かった」
「幽霊が、出てくるとか思った?」
「いいえ。彼らは幽霊にすらなれなかった。私たちが押し付けた『死』っていう嘘の中で、息を詰めて生きて……そのまま消えていった」
「怒ることも、真実を知って立ち直ることも……俺たちが、奪ってしまったんだ」
未来の手が、翼の手を強く、痛いほどに握りしめる。
「……ねえ、久志…。私たち、本当に、救いようのないクズだったね」
「ああ。……でも、そんな唯と一緒にいられて、俺は……」
翼は深く息を吐き出し、凍てつく空を見上げた。
「……あの世で、みんなに会えるかな。そこでなら、せめて謝れるだろうか」
「うんうん、きっと会えないよ」
「……そうだな。そんな救い、俺たちには準備されてないかっ」
「私たちの行く場所は、みんなとは決して交わらない無の場所。謝ることさえ叶わない二人きりの永遠の孤独」
「……それが、俺たちに課せられた、最高の刑罰か」
「ふふ……あの日からずっと、私たちは二人きりだったものね。何十人の子供を抱きしめても、魂はあの夜から一歩も動けていなかった」
「ああ。……それが、俺たちに相応しい終わりだな」
二人は、最も穏やかで、最も絶望に満ちた微笑みを交わした。
震える手をお互いに手繰り寄せ、指を絡ませ、どちらからともなく深く寄り添い合う。
その肩に、その瞼に、舞い落ちる花弁が静かに積もっていく。
そこには迎えの光も、天上の音楽もない。
ただ、激しく岩を打つ冬の風の音だけが、二人の鼓動を飲み込み、永遠を刻むように繰り返されていた。
(……いつか、なんて来ないんだよ。久志)
かつて、絶望の淵にいた優也が放った呪詛が、遠のいていく意識の中で、鋭いナイフのように一瞬だけ響いた。
トクン。
心臓が一度、重く跳ねた。
重なり合っていた二つの鼓動が、まず、ひとつ。
トッ……。
……。
もうひとつ。
ドクン。
……。
…………ッ。
……。
…。
Chapter ends;The beginning of a new chapter.




