海よさらば
「やっぱり海はすごい」
広い、まぶしい、果てしない。
目の前には見渡す限りの海原が広がっている。風を受けた帆船がゆっくりと水面を滑ってゆく。
海からの風が心地よい。塩の匂いを感じながら髪を押さえる。
朝の日差しを受けながら海辺の散歩。私とメラル、ミーミルの足跡を打ち寄せる波が消してゆく。
「広いし塩辛いし、謎の生き物だらけっスけど」
「星が落ちてる」
なんてロマンチック!
思わず砂浜に落ちていた「星」みたいなものを拾い上げる。
だけど感触は生き物で、裏がえしてみるとウネウネ細かい触手みたいなものが動いていた。
「ひえっ」
「ヒトデッスね」
「神様はどうしてこんなもの」
海に放り投げる。海は謎の生き物が多すぎる。
「チユは面白いッスねぇ」
海辺を歩きながらメラルがケラケラ笑う。夕焼け色の髪にすこし日焼けしたような肌。幻炎の魔女である彼女は今、迎えの馬車を待っている。
少し進んだ先の小さな集落に迎えの馬車が来る。海からつくった塩を買い取りに来るのだという。
「街より海をもっと堪能したかった」
「同意ッス。また来れるッス」
「そうだといいけど」
お祭り騒ぎに美味しいお料理。珍しい魔法使いや魔女たちの祭典。バトルトーナメントは今日も続くのだろう。けれど私はメラルと一緒に、内陸部へ向かうことを決めた。
「ちなみに『月の塔』の最上階からも海は見えるッスよ」
「それはすごい」
行くのがますます楽しみになってきた。
アプローラは翼竜のヴェドラに乗って、朝一番に旅立った。王都の実家に顔を出し、また旅に出るつもりらしい。
「アプ子、大丈夫ッスかね」
「どうかなぁ」
放蕩娘は両親に捕まって説得されて、そのまま貴族と結婚……なんてことにならないか、ちょっと心配ではある。けれど私たちはどうすることもできない。
メラルの実家(?)のある月の塔で再会できることを信じることにする。
「お?」
ぶにっと足先が何かを踏みつけた。青い巨大なゼリーみたいなものが、砂浜の上にべちゃっと広がっている。
「うわ何これ」
「クラゲッスね」
「クラゲって、レストランで食べたやつ?」
「そうッス」
「これか」
キモイ。よくみると砂浜に無数に打ち上げられていた。青い色の塊があちこちにある。前菜のクラゲサラダは美味しかったので、海で見つけたら食べてみようと思ったけれど……。これはとても食べられそうにない。
「確か麻痺毒を持つ種類ッスよ。触れない方がいいっス」
「うぅ」
しかも毒属性。海は魔物の巣窟か。
『チユー! 変なもの見つけた!』
先に進んでいたミーミルが呼んでいる。
街のなかに数日いたので広い砂浜を走り回りはしゃいでいる。すこしはなれた砂浜の途中にある岩場のような場所から私たちに向かって尻尾を振っていた。
「どうせまた変なものかな」
「言えてるッス」
私とメラルはミーミルが足踏みしている岩場へと近づいた。
『ここだよ! 大変だよチユ』
「わ人ッス!?」
「ほんとだ、大変」
そこには女の子が倒れていた。上半身裸で肌は青白い。海草のような縮れた緑の髪。下半身は鱗みたいな質感のドレス……ではなく尾びれのがある「魚」みたいになっている。
「人魚ッス!」
人魚!?
「も、もう驚かない」
海には豚がいるんだから人間だっている、はずだけど。魔物というより亜人種なのだろう。
『気を失ってるみたい』
「……私が診てみる」
長い髪が胸元を隠しているけど女の子だ。首筋にエラがある。そっと手首に触れると脈拍はあった。
目蓋が動くけれど意識レベルが低い。湿った体表の体温は高く小刻みに震えている。
「生きてるっス?」
「……何かのショック状態、意識を失うほどの衝撃とか……毒とか」
「クラゲっす!」
「それかも」
思わず顔を見合わせる。
解毒は出来ないけど、全身の麻痺は、痛みとも綿密に関係している。魔法で少しは軽減できるかも。
額に手を当てて魔法を励起。慎重に『痛み箱』で痛みを吸う。
「チクチクする」
全身刺すような激痛に襲われた。激しい痛みを感じ、痺れが広がる。毒は消せないけれど鞭打たれたようなショックからの痛みは消せる。
お願い『痛み箱』……。
黒紫の魔女との一戦で溜め込んでいた「痛み」は全て解放し尽くした。排出したおかげで今はスッキリとして気分が良い。
「これで痛みだけは消えたはず」
『……ゥ?』
「あ、気がついたっス」
人魚の女の子が慌てて身を起こした。警戒の表情を浮かべ、私たちからずりっと遠ざかろうとする。
『大丈夫? 痛いの消えた? チユが治したんだよ』
ミーミルの念話、優しい喉を鳴らす声に人魚は目を瞬かせた。
『……アぅ』
大きな青い海の底のような瞳が私たちをみつめる。どうやら状況を飲み込んだ様子だった。
『この子、ブヨブヨに囲まれちゃった……って』
「クラゲに襲われたんスね」
「海で泳ぐとき気を付けないと」
ミーミル翻訳から推測するに、泳いでいるうちにクラゲの群れに囲まれてしまったのだろう。
『……ア』
人魚の女の子は手を動かし、足先のヒレを動かした。段々と回復してきたのだろう。
何か思いついたように、手元に落ちていた貝殻を拾い上げた。そして長い髪の一部を切り取って、器用に束ねて輪にすると私に差し出す。
『……アリガト』
「お礼?」
こくりと頷く。
『……熱いのから身を守る……だって』
ミーミルが小首をかしげる。
「それ人魚の護り、耐火効果のあるお守りッスよ!」
「くれるの?」
笑顔でもういちど頷く。
私はそれを手首に巻いた。純粋な人助けのつもりが、お代をもらってしまった。
しかも魔法の効果のあるアイテムみたい。
嬉しい。
「ありがとうね!」
人魚の女の子は滑るように海へと入った。消えたと思っていたら十数メルテ先の海から顔を出して、大きく手を振った。
『またねー!』
「さよなら」
「気を付けるッスよー」
ちゃぽんと波紋を残して海の底へ。今度こそ彼女は見えなくなった。
「……あぁー。惜しかったッスねぇ」
「何が?」
メラルが両腕を頭の後ろで組みながら、水平線を眺めている。
「人魚の血肉は不老不死の力が有るって、昔から云われているんスよ」
「不老不死」
マジか。
「まぁ実際は不老不死なんて無理らしいッスけど。効果の高いヒーリング薬の原料として高く売れる……らしいッスね」
「貴重な子だった?」
「オラも聞いただけッスけど」
「ちなみにお幾らに」
「生け捕りだと金貨百枚ぐらいだとか」
「あー」
私はため息を吐いた。
だけど無理。亜人の女の子を、そんなふうに売り物には出来ない。
元気になってよかった。
もう海岸に近づいちゃダメだよ。私は手首に巻いたお守りに祈りを込める。
『チユ、優しいね』
ミーミルの首を撫でる。
「さ、そろそろ時間ッス」
太陽が高くなり輝きを増す海原。あまりにも多くの不思議と、謎とロマンに満ちた海に思いを馳せながら、私たちは歩きだした。
「海よさらば」
<つづく>




