+halloW World
ロボット工学三原則ってホントよく考えられてるなって思います。
鼓膜を震わせる轟音に、貨物車両に給油(正しくはガソリンではなく、アルコール類が主成分の液体燃料である)をしていた手を止め、顔を上げた。
予想よりも低空で飛行する大型航空機の影が俺らの上を通り過ぎていく。
傍らで作業を応援していたお嬢が、届くはずもないのに、まるでプリマドンナのようにつま先立ちで空へと手を伸ばした。
「どっちのかな?」
その問いに答えるために、目を凝らしてみたが、逆光になった航空機は黒いシルエットとしか認識できず、機体に描かれているであろう所属を現すマークを認識することはできなかった。
地球環境の周期性を見失った人類は、緩慢に自殺している最中だ。
残り少なくなった人類は、“自然に任せて滅亡を受け入れる派”と、“手段を選ばず再興させる派”に分かれ、最後の力を振り絞って戦争をしている。
彼らは自分たちの信念のもと、貯蔵された化石燃料と伝承しそこなった技術を奪い合い、奪えなくとも、相手が無駄に消費するように仕向けたり、さらには実力行使で焼き払ったりしながらお互いを傷つけあっているのだ。
「あ!」
唐突にお嬢が声を上げた。すでに飛行機の所属については、興味を失っているらしい。
お嬢が示す先には地平線の先に消える線路の上を走る列車の姿が小さく見えた。
「さっき追い抜いたあいつが来たよ! 急ご!」
幾つもの重たい車両を牽引している貨物列車の時速はそう速くない。正直追いつかれたとしてもすぐに引き離せるのだが、彼女は一瞬たりとも追いつかれたくないらしく、俺の服の裾を掴むと上下にバタつかせて急かしてくる。
液体燃料が入っていたペール缶のキャップを締める。容器内にわずかに付着している液体燃料が気化して漏れないようにできるだけ固く。
とは言っても、荷室の内部及び外部には、腐食防止、および防塵のための塗料が塗布されている。もともと必要に応じて塗工したはずなのに、前の持ち主は遊び心を駆使して歌舞いた芸術を生み出した。
俺は荷室へと空になったペール缶を運ぶ。それから、お嬢を抱え上げて助手席へと座らせ、運転席に乗り込んだ。
彼女がきちんとシートベルトを締めていることを確認した後、サイドブレーキを解除する。
「はやく! はやく!」
助手席で小さく跳ねる彼女に急かされるまま、俺は地球で一番大きな大陸を横断する線路に沿って貨物車両を走らせる。
それなりに近づいていた貨物列車はあっという間に豆粒よりも小さくなり地平線の向こうへと消えた。
ちらり、とお嬢を盗み見れば、サイドミラーに映っていた列車が見えなくなったことを確認してはしゃいでいる。
気を良くした俺はさらにアクセルを踏み込んだ。
☆
完全無人化された中継基地は、つい最近まで人が生活していたはずなのに、既に風化し始めているような雰囲気に包まれていた。
一応、この無人集落は、ヨーロッパ亜大陸とその裏側の海までの長い道のりの中、鈍行の貨物列車と、限られた本数の旅客用列車が立ち寄る宿場としての機能を担っている。晴天に恵まれやすい気候を利用した太陽光発電により、宿泊施設、簡易医療施設、そして補給所のみが稼働しているのだ。
おそらく一番高級だったホテル(とはいっても名所もない田舎の味気ないホテルだ)だった建物の前に貨物車両を止める。一応、建造物の裏手に駐車場もあるのだが、そもそも乗用車よりもかなり大型な貨物車両が駐車することが想定されていないため、使用することができないのだ。
足を踏み入れれば、空調が効いていて空気が淀んでいる様子もなく、ロビーには箱型の業務用清掃機器が床を磨きながら走行している。
「ようこそ当ホテルへおいでくださいました。ご予約のお客様でしょうか?」
平坦な声音に呼び止められて振り向けば、警備兼用の受付用自立機械が佇んでいる。三流ホテルと言うこともあり、案内係の上半身はかろうじて簡略化された人型ではあるが、足元は球状車輪型で二足歩行ですらない代物だ。
「こんにちは! 予約はしていませんが、今夜泊まりたいです」
「それではこちらへ」
俺がエスコートする間もなく、お嬢がはきはきとした声音で挨拶をすれば、案内係は恭しくお辞儀をした。
案内された部屋は、最上階から一階下のスイートルームである。
俺はお嬢に寝室を譲ると、リビングのソファに荷物を置き、填め殺しの窓辺に寄る。
線路が横切る小さな街と、その向こうに広がる丈の短い緑の草原、さらにその先に朱い夕日が沈もうとしている。
おそらく、明日は、今朝追い抜いた貨物列車が昼過ぎから夕方あたりに到着するだろう。その乗務員たちもこのホテルに泊まるのだろうか。
「見まわりに行くの? やっぱりついてっちゃダメなんだよね? 早く帰ってきてね!」
お嬢は俺の習慣を熟知している。
俺は頷くと、拗ねる彼女を宥めて、見回りに向かった。
☆
陽がすっかり落ちた空には満月に限りなく近い月が出ている。
俺は手にした懐中電灯を消すと、腰に付けたカラビナに引掛けた。
人工光よりも格段に強い月の光は、変わらず研ぎ澄まされたナイフの刃のように綺麗だ。澄んだ空気のせいか、月の輪郭が夜空にくっきりと浮かび上がっていた。
月の海には建設途中で放棄された月面基地の強化ガラスの壁面が太陽光を集光してひと際強い光を反射している。
少し前から完全に無人化された街には人影はない。
全盛期でもそう多い人口ではなかったのだろう、生活用品を扱っていた店が並ぶ通りはとても短い。
なにより、今はすべての店舗のシャッターが下りている。
かつての店主が書いたのだろうか、ある店舗のそれには『we’ll be back! soon!』と派手な色のペンキで豪快に書かれていた。
近づいてみれば、その強い意志の下に、『always be here』、そして『 welcome back』と、誰かによって、黒いマジックで小さな文字が追加されている。
思わず笑みを浮かべた次の瞬間、反射的に身を屈めた。
瞬きの間、頭上を何かが通り過ぎる。俺は両手を地面に着いて、重心をみぞおちあたりに移動させると、両足で地面を蹴り上げた。
足の裏に確かな手ごたえ。
バランスを崩さないよう、右手を軸に上半身から反転させる。
呻き声をあげながら倒れこむ人影と、転がるナイフ。俺は身を起こすと、その人物の胸元を踏みつけた。体重をかければ、ぎし、とあばら骨が軋む音と、肺を圧迫されたことで強制的に吐き出された呼吸音。
おそらくこの町を拠点に、貨物列車を襲う夜盗たちだろうが、一応、どうしてここにいるのか問いかける。しかし、声が出ないようだったので、俺は重心を彼の胸の上から地面に着けた脚へと移動させた。
「あの悪趣味なカミオンに何を積んでんだ?」
貨物車両がド派手なのは俺の趣味ではないので、心外である。結局、先の問いに答えてくれない彼に再び体重をかけようとした時、目の端にムーンベースのような反射光が入ってきた。
咄嗟に躱そうとして、体重をかけすぎてしまったせいか、足元で硬いものが砕ける不快な感触。不安定な人体の上では、さすがに体の軸を安定させることができず、バランスを崩す。
俺は仕方なく、軌跡を描く光を空中で握りしめた。拳の中から生じる金属同士が擦れる耳障りな音。
「は? おっさん、人間じゃねえの?」
物陰から飛び出てきた新たな人物の間の抜けた問いに答える前に、俺はナイフの刃を握りこんだまま、腕を回した。ナイフから手を離せばいいものを、彼はそうすることなく地面に転がる。
踏みつけた男の肋骨は確実にイっているだろう。足元の男は気絶してしまっている。
基本的に人を傷つけるのは不本意なのである。反省した俺は、今度は倒れこんだ彼の腹の上に勢いをつけて腰を下ろした。
尻の下で男は呻き声を上げ、咳き込みながらも怯えた表情で俺を見上げてくる。
「カラクリが人に歯向うっておかしいだろ!? 改造品か?」
握りこんでいた手のひらを開く。
月明かりを反射するナイフはO社製の刻印が入っていた。
刃にセラミック加工してあるO社製のナイフは大変切れ味が良く、俺の右手を覆う人工皮膚は、綺麗な切り口でぱっくりと裂け、その下にある合成金属が露出している。
俺は彼の問いに答えず、手にしたナイフの刃を彼の頬にあてた。
☆
部屋に戻ると、お嬢は俺が休むはずのソファに横たわり、眠るようにその薄い瞼を閉じていた。小さな手のひらには、彼女の唯一の持ち物である銀色の小箱。
その姿に初めてこの小さな女の子を見つけた時を思いだす。
白雪姫さながらにガラスの棺に横たえられていた少女。
その瞼を持ち上げると、はっきりとした口調で告げる。
『Hello、World』
「Welcome Back」
記憶の中にある彼女の声に、現実の彼女の声が重なった。
俺はお嬢に眠るなら寝室へ行くように促す。彼女はおとなしく従い、奥の寝室へと向かった。
ホテルに戻る前に、簡易医療施設に寄り、応急キットは入手してきた。
お嬢に見つかる前に皮膚の破損を修復しておかなくては。
まずは汚れた体を洗おうと、俺はシャワールームへと向かった。
☆
翌朝、貨物車両に乗り込もうとすれば、物陰から男が現れた。昨夜、襲ってきた彼らの仲間のようだ。思わず、お嬢を背に隠す。
「それ、お嬢ちゃんの違法改造機械人形か?」
男は俺を指さすと、お嬢に問いかける。お嬢のもの問いたげな視線を感じたが、俺はきまりが悪くて、彼女の方を見ることができなかった。
「悪い子だな、そんなん持ってたら捕まっちまうだろ? お兄さんにくれたらいいように使ってやるよ」
自分でお兄さんと言う割には、と俺が口にするよりも先にお嬢が口を開いた。
「あなた方はどちら様?」
お嬢の問いかけに、男は肩をかるく竦めてみせる。そして、誇らしげにある組織の名前を口にした。
それは、現在、戦争をしている二つの派閥の一方に属するものの、その派閥の大本営が認識しているかもどうか怪しいずっと下方の組織だ。
男はお嬢を説得するつもりなのか、いかにその思想が素晴らしく、敵対する思想が愚かであるのか、自分の理想を具現化するための武力の必要性、実行するためにカラクリがいかに有用であるかを説いてみせる。
お嬢は無表情に男の演説を聞いていた。
俺は半ば感心し、半ば呆れて、この場を去るように告げるが、しかし、それは逆効果だったようで、男は激高したように声を荒げた。
「お人形の癖に人に指図すんじゃねえよ、」と俺に向かって吐き捨て、お嬢に向き直ると、「お嬢ちゃんがマスター登録してんだろ? それを俺に書き換えれば手荒なことはしない。今日の午後には貨物列車が停泊するから、それに乗っていけばいい。そのカミオンも俺たちが役立ててやんよ」
互いに譲歩はできないことが判明したと判断した俺は、お嬢に少し下がるように促した。
瞬間、背後から小さな悲鳴。
振り向けば、近くに隠れていたのだろう、昨夜、俺の掌を傷つけた男がいる。彼はお嬢の襟首を掴み、彼女の首筋にナイフを突き付けていた。
「おっと、動くな。お前のマスターが傷つくぞ? マスターの生体反応が亡くなった場合、カラクリってどうなるんだ、」
新しくマスター登録できるならそっちの方が簡単だな、と彼が煽る。俺は、知るかと思ったが、そう口にする前に彼女が叫んだ。
「うしろ!」
お嬢は自分を捉える手を振り払い、俺の方へと駆け寄ろうとする。しかし、再び手を取られ倒れこむ彼女を横目に、俺は振り向きざまに、背後に向けて右肘を振り上げた。
頭をかばった右手に、振り下ろされる捕縛器が当たる。鈍い金属音、腕に与えられた衝撃は振動となり、肘から二の腕へとしびれが伝わってくる。
捕縛器を右手で掴むと、そのまま男を引き寄せる。その勢いを利用して左肘を彼のみぞおちに叩き込んだ。つぶれたカエルのような鳴き声とともに倒れこむ男を無視して、お嬢の方へと向きなおる。
俺の勢いに気圧されたのか、少女を引きずるように立ち上がらせようとしていた男は、ひ、と息を呑んだ。その隙を逃さないよう、彼に突っ込めば、冷静さを失った彼はナイフを突き出してくる。
あまりにも単調な動き。
掌底でナイフを叩き落とし、俺は彼の腕を掴み上げた。
あとはもう簡単だ。
戦意喪失した彼らを街灯に括り付ける。
彼らのことは、昨夜ろっ骨を折った人物かほかの仲間たちか、今夜停泊する貨物列車のスタッフか、まぁ、誰かが見つけてくれるだろう。
俺は昨日も使った応急セットを取り出した。中には使いかけの人工皮膚が入っている。それを見て、お嬢は渋い表情を浮かべて見せたが何も言わなかった。
彼女の足元に跪く。
小さな女の子の小さな膝小僧は、地面で擦れて皮膚が寄れ、その下の非晶質無機材が露出していた。
さらによく見れば、男が手にしていたO社製のナイフがかすったのか、お嬢の頬の皮膚もうっすらと裂けている。その下にのぞくのは、やはり骨のようにも見える非晶質無機材。
女性の顔を傷つけるとは、本当に最低な奴らだ。
俺は清潔な水をお嬢の傷口にかけて砂を洗い落とす。彼女は焦ったように俺の手を留めてきた。
「私はいいからあなたの方が …… ねえ!」
彼女の言い分を無視して、俺はよれた皮膚を除去していく。
「優先順位を間違わないで!」
強い主張に俺は、レディファーストだからと彼女をいなす。
お嬢は一瞬だけ膠着し、そして困ったようにも見える笑みを浮かべて見せた。
「本当にあなたは紳士ね、ずいぶんと古い価値観だけど」
一言多いお嬢に俺は笑う。
紳士でいることができるのは君がいるからだと告げれば、今度こそ、彼女は満面の笑みを浮かべてくれた。
その顔をよく見たくて、俺は目元まで垂れてきた血を袖口で拭う。
先ほど捕縛器が振り下ろされたとき、庇いきれずに額が少し切れたのだ。
お嬢はおとなしく俺の手当てを受けながらもハンカチを取り出すと、俺の額に清潔なそれをそっと当ててくれた。
☆
俺らは地球で一番大きな大陸を横断する線路に沿って貨物車両を走らせる。
「ねえ、あなたはどっちなの?」
唐突なお嬢の問いに、俺はちらりと彼女を横目で見やる。
彼女は、眠るようにその薄い瞼を閉じていた。小さな手のひらには、彼女の唯一の持ち物である銀色の小箱。
残り少なくなった人類は、“自然に任せて滅亡を受け入れる派”と、“手段を選ばず再興させる派”に分かれ、最後の力を振り絞って戦争をしている。
かつて、俺もその一方に所属していて、属する組織のために伝承しそこなった技術を探し求めていた。そのなかでも、特に重宝されていたのは、カラクリと呼ばれる機械人形だ。
人型の機械は、人間が作り出した道具を使いこなし、人間の生活によく馴染んだ。
同様に、戦争においても。
また、たとえ制御機能が損なわれたとしても、彼らの機体は義手や義足としても重宝されており、余すことなく有用なのだ。
俺がそれらを探し求めた先で、白雪姫さながらにガラスの棺に横たえられていた少女。
彼女は口づけを必要することなく、スイッチ一つで起動した。
「ねえってば!」
焦れたようにお嬢が問い詰めてくる。
俺は前を向いた。
地平線に消える線路は大陸の果ての海まで続いている。ずっと昔に敷かれた線路はいまだ大陸を横断して人と荷物を運んでいるのだ。
自分たちの理想を実現しようと、人類は今日も必死に生きている。戦争を止めることができない人類は、きっといつか分かり合えるだろうと信じているのか、それとも。
俺はシャッターに書き込まれていた文字を思い出す。
もしかしたら、彼らが書き込んだのだろうか。
そもそも、彼女が知るより、彼らが思うよりも、きっと人類はもっとずっとしぶとい。
だからこそ、人類なんて放っておいてもいつの間にか再興していると信じている。
おっさんと小娘のプラトニックな関係っていいよね。