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+Worldend satellite

・世界線★

カウチポテト

 ガラスが触れ合うような不快な振動が足元から伝わる。

 白と黒の強いコントラスト。地平線の向こうには地球(ブルーマーブル)が沈みかけている。


 僕は手にしていたバスケットを足元に向かってひっくり返した。不揃いなガラス玉が、地上で受ける太陽光よりもはるかに強いそれを軽薄に反射し、地球の6分の1の重力に従いクレーターの底へと落ちていく。

 僕を追従走行(クルーズ)していた基地外作業用の中型産業用機械(シオマネキ)達が、続いてそれぞれ運搬してきたガラス玉をクレーターへと投げ捨てた。


 太陽光発電パネルが張られた平たいボディに、非対称の2本のメインアームと対になった複数のサブアーム。駆動性を考慮した結果、それはまるである種の蟹(シオマネキ)の姿に酷似している。


 見下ろした足元には以前に投げ入れたガラス玉がピカピカと湖のように広がっていた。下に広がるガラス玉は、月の石(レゴリス)から酸素、水素、ついでにヘリウム3を搾り取った残りカス(産業廃棄物)だ。


 本来ならラインで運ばれ廃棄されるはずのガラス玉は、そのラインが完成する前に計画が頓挫したため、定期的にシオマネキたちが列を成して運び出すことによって居住空間を維持している。幸いレゴリスのおおよそ半分が酸素であることもあり、生産性が高いこと、そしてこのムーンベースは極一部しか稼働していないことにより、廃棄物はそう多くはない。


 残念ながら、人類が夢見た月移住計画は、生活基盤となるメインドームの一部が稼働し、生活基盤の拡張および工場ラインを建設する途中で13度の中断を迎え、そのまま未完成なのだ。今の所、再開の目途は立っていない。


 シオマネキたちが泡を拭き取るように透明なガラス玉を捨てるのを横目に、僕は地球を眺めた。明確な輪郭が浮き上がる月面世界で、大気に覆われた惑星の輪郭は淡く宇宙の深淵に融けている。

 ぼんやりと眺めていると、夜と昼の境界でわずかな閃光を観測した。


「また、派手にやってるな」


 僕は嘆息すると、今度は、帰巣プログラムによる自立走行でメインドームへと戻るシオマネキの後について歩き出した。



 ☆



 ドームに戻ると量産型の機械式人形(カラクリ)が「お帰りなさい」と電子音声で出迎えて、宇宙服を脱ぐのを手伝ってくれる。


「ありがとう、タウシャン」


 人間の生活補助に特化した機械式人形(カラクリ)は、逆関節とは言え二足歩行可能な脚に五指をいただく二本の手を持つ。大枠的には人型(マンタイプ)だけど、長い耳のような集音センサにちなんで、タウシャン(ウサギ)と名づけられた。

 名前を付けた植物学者はもうここにはいないけども。


 片づけをタウシャンに任せて、ガーデンドームへと向かう。

 定時連絡までにはまだ時間がある。今日は通常メンテナンスに加えて、廃棄処理をしたので少し休息を淹れようと思ったのだ。


 ガーデンドームはガラス張りの温室で、野菜工場とは別に、地上の植物が実験的に栽培されている領域だ。ガーデンドームには、基本的には環境変化に強い植物が多い。もっとも、持ち込んだ植物すべて育ったわけではないので、必然的にそうなっただけだ。


 とはいっても、唯一、緑が許された場なので憩いの場となるように、ひと際勢い良く伸びるアイビーの葉が絡むパーゴラの下に、カウチとガーデンテーブルが設置されている。


 このカウチを設置したいと言い出したのは、このガーデンドームから最も縁遠い物理学者だ(普段は地上と違う環境下での物理現象の分析なんかをしていた)。当時滞在していたスタッフの中でも、物静かで優しい彼と僕は特に親しくしていて、親友と言ってもいい仲だと思う。今でも。少なくとも僕は。


 彼は休憩中、よくこのカウチに寝そべって、ポータブルタイプの小型ディスプレイでクラシックなドラマを観ていた。僕もたまに彼の隣に座って、一緒に眺めていたこともある。

 ――実を言うと、作り話にあまり興味が持てない僕は、どちらかと言うと彼の考察や感想を聞くのが好きだった。


 ガーデンテーブルに瓶詰めの炭酸飲料をおいて、カウチに寝ころんだ。クッションを頭の下に引き込み、天を見上げる。


 白く縁どられた葉の向こうに見えるのは、むき出しの宇宙だ。

 まだ、アイビーがビーカーに活けられていた頃、このガーデンドームの植物をお世話していた植物学者は少し伸びた根を翳して、その向こうに見える白い太陽を見て「太陽がまるで月みたい」と言った。


「地球と月が見えるから、間違えて太陽に来ちゃったのかも」とも。


 このムーンドームの建設から携わり、環境保全のために滞在している僕に言わせれば、太陽がまるで月のように白く見えるのは、ドームを支える強化ガラスに遮光性塗料が塗布されており、有害な光線や宇宙線を遮断しているためだ。

 だけど、僕はその無粋な現実を口にすることなく、ただ、そのエキゾチックな横顔を眺めていた。まるで月の海が描く女性の横顔のようだと思いながら。


 しかしその甘い思い出は、自動ドアが開く音によって霧散する。上半身を起こし、振り返れば、タウシャンが野菜チップスをもってガーデンドームへと入ってきた。


「汗をかいたと思いますので、カロリーだけでなくミネラルも補給しましょう」

「ありがとう」


 ガーデンテーブルに置かれたバスケットには月で栽培したポテトチップスが溢れている。

 素直にそれに手を伸ばし、しかし揚げたての熱さに驚いて、数枚床に零してしまった。途端、どこからともなく基地内用である小型(それでも大人の掌ぐらいの大きさはある)の産業用機械(チビマネキ)が現れて、ゴミとなったチップスを拾って、ふたたびどこかへ去っていく。


 熱くなった指先を冷やすためにも、気を取り直して炭酸飲料の瓶へと手を伸ばした。

 開栓すれば、ぷし、と立派な破裂音とともに、地球上で見るよりも大きな泡となって溶けていたガスが抜けていく。しかし、派手な見た目なわりに、舌に感じるのは微炭酸だ。

 そういえば、「安全に保管できる程度の飽和二酸化炭素ガスの限界だね、ここは地上よりも気圧も重力も小さいから」と物理学者が言っていた。


 あの日の彼女のように、瓶を掲げて見せた。屈折した視界の向こう、38万キロ向こうにある地球の表面で閃光が爆ぜる。


 一つ大きく息を吐くと、再びポテトチップスに手を伸ばした。

 バリ、と歯を立ててれば、小さな欠片が零れ落ちる。

 カサ、とミニシオマネキが水耕栽培の鉢の陰から姿を現した。


 作りかけの月面ドームにいるのは、男(僕)と(タウシャン)(シオマネキ)だ。残念ながら髪の長い美女はいない。残念ながら。



 ☆



 定時連絡の時間の少し前に管制室へと向かう。

 中心にある大型のディスプレイには、基地の内外に設置している複数の定点カメラで取得している映像が、一定時間で切り替わりながらライブ配信されている。

 いずれの映像も、いつもと変わらない様子だ。


 大型ディスプレイの他に設置された複数のサブディスプレイには、それぞれライフラインをはじめとした基地の制御装置の駆動状態が表示されている。


 一通り、すべてが正常であることを確認した。

 基本的に、基地内の各ライフラインはすべて機械制御されているが、結局、維持管理の最終責任は人間の僕がしておかないと誰も責任は取ってくれないのだ。


 それから、地球との通信機器の前に設置されたチェアに座り、受信履歴を確認する。こちらも特に異常はなく、前回確認した時と変わらぬ状態だ。

 僕は通信帯域をセットし、通信をオンにした。


「こちら、第1月面基地です。応答願います」


 この電波が地球に届くまで約2秒、返信があるのは3秒、6秒……いつまでたっても応答はない。


 早々に諦めて、受信用の波長をザッピング(ザップする)

 大型ディスプレイが切り替わり、宇宙に漏れ出た地上波の揺らぐ画質や、衛星放送の比較的きれいな画面を拾って映し出す。


『……――先ほど入ってきた情報です。現地時間、本日未明に==が爆撃されました。巻き込まれた民間人は――――』


 いつものように、地上は忙しそうで、僕を迎えに来てくれる予定は立たないようだ。

 ぼんやりと38万キロ向こうの速報を眺める。


 そもそも、月面移住計画(この計画)は当時存在していた国際機関により始動した。

 その国際機関に加盟している国が入れ替わるたびに休止を余儀なくされ、そのたびに進行は遅れ、何なら数度機関名が変更され、その度に計画は縮小された。そして、その機関が瓦解したことで13回目の中断にして頓挫している(あくまで書類上は中断になっており、中止したわけではない。そもそも僕の業務はこの基地の維持管理なのだ)。


 その機関に属していたいくつかの国を巻き込んで戦争が始まったとき、迎えに来たスペースクラフト(宇宙船)は2機。5人乗りと6人乗りの船は同盟国の人員を乗せてくるようにと命を受けて、13人滞在する月面基地へと着陸した。


 当時、13人いたスタッフで所属する国家が立場を明確にしていたものは、敵対している組織同士でそれぞれ5人づつ、残り3人は中立、またはコメントを控えた状態だった。


 だから、それぞれの組織は十分な大きさの船を準備したつもりだったのだろう。

 少なくとも宇宙船を打ち上げるような基地は、弾道ミサイルを打ち上げることができるであろうと、真っ先に狙われだしたのだから、もしかしたら、精一杯の間に合わせだったのかもしれない。大型船はそれだけ整備に時間がかかるから。


 当時の月面スタッフはとてもうまくやっていた。少ない人数、限られた空間で過ごすことを前提に集まった僕らは、そのあたりはちゃんと心得ていたつもりだったし、相応の訓練も受けていた。

 だから、船が到着した時、とても冷静に判断した、と思っている。


 僕が所属する国は、ある政治家が一方を擁護する発言をすると、別の政治家がそれを非難し他方を支持する発言をした。日和見主義な国民性もあるのかもしれない、誰も決断することなく、どっちつかずの玉虫色の発言で繰り返し議論されていた。


 中立の立場を宣言した国に国籍をもつ物理学者と、比較的6人乗りの船を派遣した国と親交がある国に国籍をもつ生化学者と、そして何も宣言できていない国の国籍をもつ僕とが、話し合う最中に、生化学者の国が彼を宇宙船に乗せてもらえるよう、6人乗りの船を派遣した国に正式に嘆願し、派遣国はそれを受けて発令が出た。


 6人乗りの船は、気まずそうな生化学者を乗せて、月面から飛び出した。


 続いて、5人乗りの船を見送ろうとしたとき、その船に乗る予定の、立場が明確な植物学者は「私が残るわ」と言って、船のタラップから足を下ろした。


「ガーデンドームの植物(あのこ)たちを残していくわけにはいかないもの」


 そう主張する彼女に、残りの4人は口々に彼女を説得する。


「何を言ってるんだ」

「正気か?」

「次の船が来るとは限らないんだぞ、」

「あなたが下りるからって――代わりにどっちを乗せたいの?」

「――それじゃあ俺を乗せてくれないか、」


 選べないでしょう、と続くだろう言葉は、物理学者の声によって遮られた。


「俺の国は今こそ中立を宣言しているけれど、戦争が長引けば地政学的にも中立を貫き通すのは難しい。その時、もし国と判断が異なる場合は亡命する。なんなら亡命した国で兵器を造ってもいい。国家元首(トップ)にそう伝えてくれ」


 常に穏やかで優しい彼の切羽詰まった声を聴いたのは初めてだった。電気系統が故障し、居住区を縮小せざるをえなかった時ですら、混乱したりすることなく、みんなの中でも特に冷静で、僕の指示に協力的だったのに。


「待って、もしよかったら君たちの船の中を見せてくれないか?」


 植物学者が口を開く前に、僕は提案した。

 船のパイロットと機械工学者と相談しながら、船の中から地球に帰還するために必要なもの以外を運び出すと、植物学者を振り返る。


「これでもう大丈夫。さあ、君も乗って」


 僕の言葉に彼女は首を横に振った。


「いいえ、貴方が乗って。私はここで植物たちのお世話があるの」

「君じゃないと駄目なんだ。僕は君より体重が重いから」


 今からダイエットは間に合わない、そうおどける僕に君はやっぱり頭を振った。


「……貴方と一緒に残るわ」

「だめだよ。地球に戻って、そして僕を迎えに来て。君の植物(あのこ)たち全部乗せれる大きな船で――ちゃんと植物(彼ら)のお世話をして待ってるから」

「でも、」

「だいたい君は設備管理できないだろ? トラブルが発生した時どうするの?」

「……」

「このムーンドームの施設に一番詳しいのは僕だよ。だから僕が残るんだ」


 僕の言葉は決定的で、彼女は唇を噛んだ。


「絶対、絶対迎えに来るから。なにひとつ枯らさないでね、絶対よ」


 彼女は何度も振り返りながら、何度も絶対と言って、そしてタケノコの形をした船に乗り込んだ。


 二つの船は月の重力を振り払って、地球に向かって飛び出した。

 今は少しだけ、後悔してる。本当に少しだけ。


 あの時、あんな提案しなければよかった。君の手を離さなければよかった。なんなら、タラップの上で手を振る君の手を掴み、引きずり下ろせばよかったんだ。

 そしたら、君は今頃—―



 ☆



 カウチの上に足を投げ出した。

 ガーデンテーブルに置いた物理学者の置き土産であるポータブルディスプレイでは、古い思春期ドラマが流れている。

 だけど、作り話を上手に呑み込めない僕は、ぼんやりと天井を見上げている。


 見上げたガラス張りの天井の向こうはむき出しの宇宙に浮かぶ地球(ブルーマーブル)

 時おり地表で弾ける爆発光は、まるで線香花火のようだ。


 手にした炭酸飲料の壜を掲げてみた。あの日のアイビーを活けたビーカーを掲げた彼女のように、瓶を透かして地球をみやる。すでにだいぶ気が抜けた炭酸飲料は、それでも壜の内壁に着いた小さな泡が付着していて、それは振動で浮き上がっては水面で弾けている。


 ぱち、と弾ける泡に地表の爆発光が重なった。


 地上からの通信が途絶えた日から、宇宙に零れた電波を拾い集めた情報によると、もともと目には見えない国境はとうに無茶苦茶になり果てて、地球では毎日、沢山の人たちが傷つけあっているらしい。


 国だったり、宗教団体だったり、巨大企業だったりした組織が、人類の英知をかき集めて、僕を迎えに来ることもなく、海や山を越えて人の住む街を壊すための武器を造っているそうだ。


 幸いなことに、僕の親友は、結局、兵器を造ることはなかった。

 優しい彼のことだから、もし自分の知識と技術が、人類を傷つけてしまったら、きっと悔やんでしまうだろうから。


 あの日、最初に月面を蹴った6人乗りの船は、地球にたどり着く前に海の藻屑(宇宙のデブリ)となった。

 地上から射出された弾道ミサイルに迎撃されたのだ。

 そして、振り上げられた報復の武器は、彼女と親友を乗せた船にめり込んだ。


 おそらく世界で一番安全な場所から、僕はブルーマーブルが弾けるのを眺める。冷めたポテトチップスをかみ砕きながら。

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