+Venus Virus
・世界線★
パンデミック
ダメな人たち
昼食に我がチームの医療スタッフであるロッテが現れなかった。なんでもドームふじで重病者が出たので、朝から応援に向かったらしい。その情報を教えてくれたシェフのエムエムは僕を見て、ほっとした顔をするんじゃねえよ、と言った。
昨晩、ロッテに責められたばかりの僕は、きまり悪く苦笑いを浮かべる。
「アキ、それで、どうするつもりなんだ?」
「とりあえず、結果をみないと。すぐに会いに行ける距離じゃないし……」
エムエムは僕が嫌いな豆の煮込みを給仕しながら一瞥しただけで、それ以上何も言わなかった。
僕らがいるところは、世界の軸にして果てである南極だ。政府主体の研究施設でもなく、観光開発地区でもなく、世界有数の事業家が興味本位で運営している民間の研究チームに所属している。とはいっても、僕自身はこの大陸にまつわる何かを研究しているわけではなく、通信システムを中心とした設備周りの生活基盤を担っている。
長くても一年、短ければ数ヶ月で入れ替わる研究員スタッフよりも比較的長い2年契約の料理人のエムエムと医者のロッテと、そして僕はライフラインを管理する仲間みたいな意識で、つるむことが多い。
特に僕は契約を更新しながらこの施設に居ついていて、長老みたいな扱いになってきている。ロッテにいたっては途中で人里での生活を挟みながらも、なんだかんだ通算二桁年は南極で過ごしてるんじゃないだろうか。
口の中でつぶれる豆の食感に思わず顔をしかめる。豆の皮の感触が苦手なのだ。
「もっとうまそうに食えよ、」
「……俺が豆嫌いなの知ってるくせに」
「そうだっけ?」
とぼけるエムエムを恨めしく睨み、それでもポークビーンズを口に運ぶ。
もしかしたら、エムエムも僕を責めているのかもしれない。
「まあ、ありゃどう見てもお前の娘だろ。自分の始末は自分でつけろや」
エムエムはそう言うけれど、だとしても、僕にしてみたら、とても理不尽だと思う。
★
初めてこの地に赴任した時の料理人は日本人の小柄な女の子で、ショーコと言う名前をもじってショコラと呼ばれていた(ちなみにそう呼び出したのはロッテで、その時のロッテはまだ二回目の赴任だった)。
南米にルーツを持つ僕は、日本人の血をわずかに継いでいて、日本かぶれの祖父がくれた名前にも漢字がある。それを見た彼女は僕のことを「明治」と呼んだ。
その時のスタッフの中では年が近く、また二人とも南極が初めてなのもあって、なにより、明るくかわいい女の子と仲良くなりたいって言う気持ちは、老若男女関わらず皆あるんじゃないかな……とにかく、僕らは仲良くなった。なりすぎてしまった。
彼女の契約期間が満期に近づいたころ、何の根拠もなく彼女は契約を更新するものだと、信じ込んでいた。だって、ここの生活が気に入っていたし、彼女にもそう伝えていたから、彼女は僕が契約を更新することはわかっていると思っていた。
だから、彼女に問われたとき、深く考えることなく、その時思ったことを口にした。キッチンの片隅、大きな冷蔵庫の陰で彼女を抱きしめながら。
「じゃあ、明治はここじゃないならどこに住みたいとかないの?」
「そうだなぁ。アマゾンや中国の奥地にも行ってみたいな」
「危険じゃない?」
「こことそう変わらないよ」
「……大人はいいけど」
「子供のころから人類未踏の地を開拓したいって憧れてたんだ」
「……うん、」
僕の首筋に額を擦りつけていた彼女は、その年の契約を更新しないで、彼女の母国へと帰国した。
彼女に振られた僕は次の契約は更新することなく、アマゾンや中国の奥地にある開拓拠点のインフラのメンテナンスをしたりして過ごした後、再び南極へと戻ってきた。
「アキはリスクジャンキーなの?」
「俺がそうならアナタもでしょ?」
南極で再びあったロッテと、お互いの十年を報告し合った後、問われて応える。
ロッテは呆れたように嘆息してみせた。
「私はここが好きなの。君みたいに安心できない場所ならどこでもいいわけじゃない」
「安心できない場所って、」
「そうでしょ?」
彼女の決めつけに納得できなかったけど、否定する論もなく黙り込んだ。
ロッテは僕を一瞥して、ショーコが生まれ育った小さな町で、小さなレストランを始めたことを教えてくれた。彼女はこの十年間、ショーコと定期的に連絡を取っていたらしい。
そして、昨日、ロッテは青ざめた表情でダイニングに現れた。その時の僕は外に設置された無線受信機に積もる雪かきを終えたばかりで、遅めの昼食をとっていた。
「アキハル」
ヤだな、と反射的に思った。ロッテが僕の名前をきちんと呼ぶときは、大体彼女が僕に対して怒りを抱いているときだ。前に呼ばれたのはショーコが帰国した時。フラれたのは僕なのに、何故かなじられたんだ。
「ショコラが亡くなったらしいわ」
僕の顔を見て、そう告げる。驚きに絶句していると、彼女は手持ちのガジェットに画像を表示させた。
「この子、君の娘よ」
ロッテの手の中で記憶よりも少し年を取ったショーコと、ショーコによく似た女の子が、暖かいであろう青い海を背景に笑顔で映っている。
「俺の……?」
彼女が告げた言葉に驚きすぎて、思わず問い返す。
ロッテの怒りを知らないふりでやり過ごそうとしていたエムエムが、食事の片づけを放り出して、彼女が手にしたガジェットの画面を覗き込んだ。
彼は驚いたように目を見開き、僕を見て画面を見て、再度、僕を見た。
「本当に?」
無意識のうちに零れ落ちた言葉は、ロッテの逆鱗に触れたらしい。
「こんなアンタに似てるのに疑うの? DNA判定でもしてみる?」
「お、おい……アキ、おまえと顔同じじゃねーか。さすがにこれは言い逃れんの無理だぞ、」
きつい口調で詰めよられて、僕は鼻白む。
ふたたび画面に視線をやったエムエムにつられるように、画面に視線を落とした。
よく似た二人が映っている。
1人はショーコ。僕の元恋人。
もう一人の、10歳くらいの女の子はショーコによく似た顔で、そっくりな笑い方をしている。僕に似てるところは見つからない、……気が、するんだけど……
「それで、どうすんの?」
「どうするって、」
「ショコラが天涯孤独だったの知ってるでしょ?」
「それは……」
「この子、このままだと身寄りもなくて施設行きよ」
「……DNA鑑定ってどうやればいいの?」
張られた頬に手を当てる。僕を打ち付けた手を震わせる、真っ赤になったロッテをぼんやりと見返せば、ロッテは再度手を振り上げた。
「ロッテ、待てよ!」
僕とロッテの間にエムエムが慌てて割り込んでくる。
「いきなりこんな大きな子供がいるって言われたら混乱するって!」
エムエムに抑え込まれた手を振りほどき、ロッテはぐっと口を引き結んだ。エムエムは僕を振り返ると、顔をしかめて見せた。
「アキ、信じられないならDNA鑑定しろ。だけどするからには結果に従って責任を果たせよ」
結果に従って、という割には、僕が父親だと確信しているような口調だ。僕は曖昧ながらも頷いた。
「親子鑑定するのね?」
感情を抑えた声で、ロッテに尋ねられ、再度頷く。
「……どうしてあの時、ショコラが帰国する理由を聞かなかったの?」
ロッテは顔を苦しそうに、絞り出すような声で呟いた。僕は答えることができなかった。
それは確かに問いの形だったけれど、きっと答えは望まれてなかったと思う。なにより、たとえ僕がどうこたえようとも、彼女の怒りに火を注ぐことには変わりないのだから。
その場で僕の細胞を採取され、ロッテによって分析されたDNA解析結果と、世界の裏側で鑑定されたショーコの娘の解析結果を照らし合わせ、数日後には僕に娘がいることが判明した。
「それで、どうするの?」
「認知する、し、金銭的な援助はできる。一緒に暮らすかどうかは、その、先方の気持ちとか、俺の一存じゃ、」
しどろもどろの返答は、かろうじて及第点だったらしい。
ロッテはドームふじから帰ってきたばかりで疲れているだろうに、「ここは無理だけど、沿岸部の基地に招待したらどう?」と提案してくれた。
僕らがいる南米国家の管理下にある民間基地は、南極点と沿岸部の中間地点にある。研究施設としての設備しかなく、基本的にスタッフ以外の立ち入りは禁止されているけれど、沿岸部にある同南米国家の基地は観光客も受け入れている大規模な観光基地だ。
ロッテの提案に素直に頷いて、「彼女に会うとき、ロッテも一緒にいてくれる?」とお願いすれば、彼女は「もちろん、でも君のためじゃなくてショーコとあのこのためよ」と言ってくれた。
だいぶ軟化したロッテの態度に、僕は少しだけ安堵した。
★
ロッテから教えてもらったアドレスに、僕が南極に招待したいというメールを送って、Mr Akiharuから始まる返信をもらった。
不調が出たのは、初めて会う娘の準備をするために、観光基地のスタッフとのシフト交代を申請していた時だ。軽い眩暈の後、やたら視界がまぶしく感じたのだ。
倦怠感と、少し熱っぽい気もして、仕事をひと段落させてロッテに相談する。体温計を渡され計ってみれば微熱で、安静にするように告げられた。
「まぁ、ここのとこ、いろいろあったからな。娘が来る前に治せよ」
温めたジンジャーエールを渡されて口をつける。頷く僕に、エムエムはふっと笑みを浮かべた。
発熱自体は数日でおさまった。
「具合はどう?」
覗き込むロッテの顔がやたら眩しくて目を眇める。
「まるで君が女神みたいに輝いて見える……視界がすごく眩しいんだ」
軽口にロッテが呆れる気配がして、僕は素直に症状を伝えた。
「眩しい?……白内障ってことはないと思うけど、」
僕の瞼をひっくり返しながら、彼女は「まぁ、いろいろあったから疲れているのかもね」と言った。
僕は体調を崩しながらも、ずっと気にしていたことを口にする。
「……うん、三日後にはあのこも来るから、俺も移動したいんだけど」
「それだけど、私、付き合えそうにないわ」
「うん、昭和基地も大変なことになってるんでしょ?」
ロッテの答えは予想していたものだ。
初めの<感染者>はドームふじで観測された。ある日本人スタッフが、2週間ほど前に発熱状態から昏睡状態に陥ったのだ。
基本的に人が住むに向かないこの大陸に滞在する組織は、相互協力体制がある。どうも、ドームふじのスタッフ間で風邪のような症状が流行っていて、常駐の医療スタッフでは手が回らないということで、ロッテがヘルプに駆り出されたのだった。
その時の患者は昭和基地を経由しオーストラリアの病院に運ばれたという。
しかし、その後、同様の症状が昭和基地に蔓延し始めたのだ。
「……エムエムに聞いたの?」
「もしかしたら未知のウィルスか細菌かもしれないって」
「あくまで噂よ。でも世界保健機関はまだ認定していない。けど、オーストラリア政府は追加の受け入れを拒否したわ。すでに運ばれた感染者も隔離されてるみたい」
「そうなんだ」
「よりにもよって、こんな時に」
歯痒そうに唇を噛む彼女の姿は、まるで白飛びした写真の中にいるようだ。
視界がやたら眩しくて僕は瞼を下ろすけれど眩しさが消えない。瞼を透かしたような赤い闇ではなく白い闇だ。
「……罹ってるのは日本人だけなの?」
「日系人でも症状がある人いるけど、確認できる限りは。でも必ずしも昏睡状態になるわけじゃないし、完治したと思われる人もいる。症状にムラがあるからわからない」
「……俺も日本人のDNA少し入ってるんだよね」
「……数十分の一でしょ。今回は発生源と思われるエリアを日本人が管轄してたからよ」
★
翌日、新規のウィルスが確認された、と世界保健機関から正式に発表された。
発生源は南極大陸の氷だと推測されている。温暖化によって南極の永久凍土の永久は失われ、そこに閉じ込められていたウイルスが活性化したということらしい。
太古の新型ウィルスは一見意味がなさそうでちゃんと意味があるらしいアルファベットと数字を羅列した名前が与えられたけれど、人々は最初の感染者が運び込まれた病院があるオーストラリアの州名を冠して「vウィルス」と呼んだ。
ウィルスが体内に入ると、風邪に似た症状が現れる。一方で陽性者を追えば無症状で済むものも多く、重症―――昏睡まで悪化するものは少ない。
しかし、その人種は偏っていて、東アジア人――特に日本人のDNAを持つものが多いことが分かったときには、すでに遅かった。
vウィルスの感染力は、想像よりもはるかに強く、なにより、東アジア人以外は無症状陽性者がほとんどのため、感染経路を遮断することは難しかった。
そして、日本人であるショーコの娘が南極に訪れる予定で経由地として滞在していたのは、メルボルン――オーストラリアのヴィクトリア州にある都市だった。
南極大陸沿岸部にある基地で、僕は彼女がウィルスに罹患し昏睡状態に陥った、と連絡を受け取った。
その時の僕は目を閉じても訪れない暗闇と、視界を奪うまでになったまばゆさと、それゆえの睡眠不足からくる頭痛に悩まされていた。
これらすべて、最初の感染者の発症から、三週間以内に起こったのだった。
★
四週間目には僕自身が患者として、娘が入院しているメルボルンにある病院に設置された隔離病棟に入院した。
昏睡状態の娘と面談できるわけもなく、透明なビニールカーテンの向こうで眠る娘の顔を――視界を覆う白い光に遮られて望むことはできなかった。
張り付くような不快な感触のビニールカーテンに触れて、しかし、隣にいるだろう看護師の「お手を触れないでください」とどこか突き放した声に、その指先を引っ込めた。
絶え間ない光に憔悴し、いっそ目を抉り出したい、と追い詰められていた僕を尋ねてきたのは、僕が所属していた基地を運営する事業家であるロイズさんだった。
「ああ、君がアキハルくんか、」
「はじめまして」
初対面(とはいっても白けた視界では彼の顔を認識できない)なのに、スピーカーを通してしか聞いたことのなかった声が親し気に名前を呼ぶことに困惑する。しかし、ここで彼の機嫌を損ねることはできないのだ。
労災が下りることはわかっている。辺境の地で過ごしてきたので、今までの給料はほぼ手つかずだ。
それでも、治療法どころかウィルス自体も解明できていない病気に罹患している今後の僕らの人生を考えると――特に顔も見れず、声も聞けなかった娘も含めて考えると、経済的な不安は付きまとう。
ロイズさんは中国を拠点に脳科学の研究所を運営していて、そこには所属の病院があり、ロッテが言うには金に物を言わせて最先端の技術と優秀な技術者を集めているのだという。さらには、ネットの噂によると何やら怪しげな研究しているのだ。
例えば、中国政府に金を握らせて、脳に電極を刺すような人体実験をしている、とか。
「私たちの研究所でもvウィルスを研究していてね。君はとても珍しい症状らしいね。協力してくれるなら、私の方で全面的に面倒を見よう。もちろん、娘さんも一緒にね」
そう告げる口調には、たまに動画で流れてくる苛烈な彼の印象はない。
今にも歌いだしそうなほど弾んでさえいる。
僕はぞっと背筋に悪寒が奔るのを感じた。
「君は目を閉じてもまぶしくて、ほとんど眠れてないらしいじゃないか。わたしたちは盲目の方にセンサー付きの義眼を移植して見えるようにする技術だって持ってるんだ」
きっと彼の顔を見ることが出来たら、夏休みを過ごす少年のように輝いていたに違いない。
★
彼の研究所に移った僕は、白い服を着せられて、体液をはじめ身体細胞を提供したり、様々な装置に突っ込まれたりしながら日々を過ごしていた。
ある日、主治医に呼ばれると、そこにはロイズさんが同席していた。
主治医ではなくロイズさんが、「vウィルスに罹ると体内である種のタンパク質が形成されることが分かった」と、告げた。
そのタンパク質は、光によって活性化される特徴を持つらしく、僕の場合はそのタンパク質が眼球、およびその周辺に生じているのだという。
そこからは主治医が丁寧に説明してくれたけど、ちゃんと理解できているのかわからない。なんでも、外部からの光の刺激により、形成されたタンパク質自身が発光する性質をもっているため、視界がまぶしくなるし、目を閉じても瞼を通すような強い外光だとやはりそのタンパク質が発光し、光を感じるのだそうだ。
「この前過ごしていただいた部屋は暗室なんですよ。目を閉じても開けても暗いのは完全に光を遮断したからです」
確かに、あの部屋にいる時は視界が真っ暗になる。久方ぶりの暗闇に驚いて以降、眠るときなんかは、その部屋を使わせてもらって、ようやくゆっくりと眠ることができたのだ。
光に反応するタンパク質が形成されるのが主に日本人なのは、日本人特有のDNAだか何かに反応するのではないか、と推測されているとのこと。また、タンパク質が形成される場所は個人による差が大きく、例えば手足の筋細胞に近いと特に症状はないらしい。
そして、昏睡状態になる人は、脳、およびその周辺に、そのタンパク質が形成されていることが確認できたのだそうだ。――もちろん、僕の娘にも。
「光遺伝子学は私たちがメインに研究しているところでもあるんだ」
「オプト……?」
「光によって活性化されるタンパク分子を用いて神経細胞を操作する技術です」
ロイズさんの言葉に疑問を抱いた僕に答えてくれたのは主治医だった。
「光に反応するタンパク分子脳細胞に発現させて、その細胞に光を当てたり消したりすることで特定の細胞をコントロールするんです。通常、神経細胞に光に反応するタンパク質を発現させるために遺伝子改変の処置が必要なんですが」
「ええッと……それが、」
「あなたの眼球はいわばセンサーが増えた状態です。タンパク質を除去するのは難しいですが」
「でもこれはチャンスでもある。増えたセンサーに別の役割を与えたら視界が戻るどころかもっとすごいものが見えるようになるかもしれないんだ!」
主治医の言葉を遮ってロイズさんがはしゃぐように告げる。
「ねえ君、私の会社が開発した義眼をつけないかい? 今までよりもずっと素晴らしい世界が見えると思うよ」
ロイズさんは僕が喜んで受けると疑っていない口調で尋ねる。
しかし、そんなわけない。今ある使い物にならなくなった眼球を取り出すのかどうするのかわからないけど、よくわからない機械を顔に埋め込むことは単純に怖い。
怯んで即答できない僕と、ロイズさんの間に沈黙が落ちる。
「……あの、ちょっと考えさせてください」
「そうかい、でもあんまり待てないよ」
絞り出した僕の答えに、ロイズさんの声音は明らかに不満そうだった。
★
結局、僕は義眼を装着することにした。
長い手術を経て手にいれた重たい目は、思っていたよりもクリアな視界を提供してくれた。
リハビリを行う僕の前に、ロイズさんが現れて、経済ニュースでは見せるものとは違う、万能感あふれる少年みたいな不遜な笑みを浮かべて見せた。
「ハイテクな目はどう?」
「思った以上に快適です。重たいことを除けば」
「今後の開発に軽量化にも力を入れるよ」
僕の軽口を軽く受け流し、彼は僕の視線を追った。
ガラス越しの部屋で眠る少女。
やはり、ショーコに似ていて僕に似ているところは見つけられない。
彼女の身体には、様々なセンサが取り付けられ、枕元のディスプレイには彼女の生体反応を表す数字とグラフが並んでいる。
「娘さんと意思疎通をしたいと思わないかい?」
これは悪魔のささやきだ。
「彼女の脳にはすでにタンパク質ができている。」
「光の速さはミリ秒単位、空間分解能も1細胞レベルで制御できる。うまく使えば書き込みだけでなく、読み出しだってできる」
ロイズさんの言葉を引き継いで言葉を発すれば、彼は驚いたように目を見開いた。
「何度も説明を受けたので」
「彼女の身内は君だけだ。君さえ了承すれば」
「頭蓋骨を開いて光ファイバーを直接脳に挿すことができる、んでしょう?」
ショーコの娘からロイズさんに視線を移すが、彼は彼女を見つめたままだ。
「そうだけど、それだけじゃない。彼女と意思疎通ができるようになるんだ」
「娘の身体に穴を開けろと、」
「このまま眠ってるよりは彼女だって楽しいと思うよ」
「今でも素敵な夢を見ているかもしれない」
「悪夢だったら起こしてあげた方がいいし、素敵な夢でもそれがどんな夢か聞いてあげることができる」
そう言って、彼はようやく僕に視線を投げた。
「まともな会話もしたことがないんだろ?」
これは、悪魔のささやきだ。いいことばかりではない。
意図的に傷をつけるのか、合併症だって生じうる。
僕娘を守らなきゃいけない、ショーコがいない今、僕しか。
「一体彼女はどんな子なんだろうね?」
ショーコ、どうして君はあの時、黙って去ってしまったんだ。
それでも、彼女を責めることができないのは、僕自身が後ろめたいからだ。
あの時、彼女に告げられていたら、僕はいったいどうしただろうか?
今、無菌室で横たわる少女は、この世に生まれてきていただろうか。
耐え切れずに、視線を床に落とした。
「なにより、君の恋人――彼女のママの話ができるよ」
ロイズさんの声は、とても甘く廊下に響いた。
参考資料など
・脳と人工知能を繋いだら、人間の能力はどこまで拡張できるか 今野大地、池谷雄二(講談社(2021/12))




