+No KIDding
※ガールズラブ的表現があります※
※+Just JoKingを読んでいただけた方がわかりやすいかと存じます。
放課後の校庭からは運動部に混じり、吹奏楽部の基礎練習の掛け声が響いている。
あたしは窓辺に近寄るとグラウンドを見下ろした。
音楽担当の竹本先生が、基礎練習中の生徒たちを指導している。
…… ジャージ、本当に似合わないなぁ。
線が細い人だけど姿勢がきれいで、運動が苦手そうな雰囲気もないのに。理知的で穏やかな物腰のせいかな?
いつも平静を崩さない先生は、あたしが告白した時も、どこか冷めた声で「ありがとう」と言った後、大人の対応らしく、はっきりと断言した。
「わかっていると思うけど、君の気持ちに応えることはないよ」
あたしの気持ちを否定しないのは、先生なりの優しさだ。わかってる。しかし、先生の、先生らしい、生徒の気持ちを真に受けていないであろう軽くあしらう態度は、少しだけ悔しかった。
手にした本を抱えなおすと、貸出カウンターへと向かう。
今週の図書当番は特進クラスの田中くんだ。イケメンで成績上位、運動もできると噂の我が校の王子さまである。
まるで少女漫画の登場人物みたいな彼は、あたしを見て、にこ、アイドル顔負けの笑顔でほほ笑んだ。
よく図書館を利用するあたしは、彼とはカウンター越しに少し会話する仲なのだ。
「読むの早いね」
「通学時間が長いんだ」
あたしが通う高校は中高一貫の私立校だ。もともとは男子校だったこともあり、敷地内に男子寮は設けられている(ちなみに田中くんも寮生だ)けれど、女子寮はない。
そんなわけで、あたしは公共交通機関を使って通学をしている。幼なじみとの下校時は別にいいんだけど、彼女は朝に弱くて登校の電車の中では、あたしの肩にもたれかかって仮眠をとる。その時間を利用して読書するのが一番はかどるのだ。
本を差し出せば、田中くんが表紙を読み上げる。
「シェイクスピア?」
「文化祭で英語劇やるっていうから題材探し」
「ああ、中村さんは私立文系クラスだったよね」
あたしが答えれば、田中くんは納得したように頷いた。私文クラスの二年生は英語劇を演るのが伝統なのだ。
☆
夏が近づいてきている時期なのに、早朝の空気はまだ冷たい。
地方都市まで続く路線はそれなりに混んでいるけれど、あたしたちは下り路線になるため、大体は座ることができる。
いつもの車両いつもの席に座ると、鞄から昨日貸りた本を取り出した。
アンナはあたしの肩へと頭を預けてくる。居心地がいいところを探してもぞもぞする彼女の前髪が首筋に触れてくすぐったい。
ふと、アンナは何かに気が付いたように、あたしの髪に鼻先を埋める。
「…… シャンプー変えた?」
「うん。ぴなりな(画像主体のSNSで人気の現役JKインフルエンサー)がおススメしてたカラーケアシャンプーにしてみた」
「ふ~ん …… なんか匂いがミツキっぽい ……」
すでに眠いんだろうな。アンナはあたしの話を聞いているのかいないのか、もうしゃべり方がふわふわしてる。
なんとなく、大人しくなった彼女に顔を寄せて、アンナの髪の匂いを嗅いでみた。
さわやかなハーバル系の香り。
なによりサラサラの黒髪。化粧っけどころか、下手したら日焼け止めすらサボってる頬をあたしの肩に押し付けてきた。
アンナとあたしは幼馴染で、小学校どころか地域の子供会からの仲だ。
彼女は運動が苦手で音痴だけど、勉強全般はとてもできる。頭が良いのだ。
中高一貫の学校で、高校からの入学にもかかわらず、一年次からあっさりと特進クラスへと引き抜かれるほど。
一方、文系科目はともかく、理系科目が壊滅的で、志望範囲外だったあたしが進学校に通えるのは、高校受験時にアンナが、理系科目なら巻き返せるから一緒に勉強しよって熱心に誘ってくれたおかげだ。正直に言えば、最初はちょっと嫌だったけれど、アンナが教えてくれた数学はパズルみたいで面白く、結果、同じ高校に通えることになったのだ。
さすがに特進クラスは無理だったし、なんなら今だってアンナのフォローがなければ、落ちこぼれていた可能性は否めない。
文系科目はそこそこできるので、二年に進級するときは、必然的に文系を選択した。
偏見も入るけど、理系よりも文系を選択する人種は、社会文化の流行に敏感な傾向がある。特に私立文系クラスは、おしゃれに気を遣う女子生徒が集まっていた。
そこで、新しくできた友達に感化されて、髪の色をほんの少し明るくしてみたのは進級してすぐの頃だ。
髪を染めた次の日、アンナはびっくりしたようにあたしを見て、その後、「似合うね。大人っぽい。ミツキは目の色が薄いからもっと明るくてもいいかも、」と言った。
もともとアンナは感情を表に出すタイプではなく、どことなく冷めたところがある。だけど、その時の彼女は、相変わらずの表情が乏しい顔の中に、なんだか浮かないような微妙な表情を浮かべたような気がした。
「まぁね、ぴなりなみたいなメッシュも入れてみたいんだけど、さすがに怒られちゃうかな」
だから、ことさら明るく言えば、アンナは少しだけ安堵したように口の端をあげて「そうだね」と笑った。
☆
本日最後の授業後、英作文のノートを集めて持ってくるように先生に言われたあたしは、未提出のクラスメートに声をかけた。
「古賀ちゃん、ライティングのノート出せる?」
「なかむー(中村だからなかむー、あたしのことだ)、最後の方ノート写させて。集中力切れちゃった」
おねがい、と両手を合わせる古賀ちゃんのおねだりに、自分のノートを差し出せば、「ありがとー! 助かる」と彼女は言って、自分のノートを開いた。
…… 後半だけでなく、結構、空白が目立つね? 英作文も中途半端みたいだし。
苦笑して古賀ちゃんの前の席の椅子を引いて座る。スマホを取り出して、アンナへ少し時間がかかるかも、とメッセージを送った。
ぶぶ、と震えてすぐに、彼女の教室が補講で使用されるから図書室で待っているとの返信が来る。あたしは了承するスタンプを押した。
「付き合わせてごめんね、これあげる」
古賀ちゃんのポケットから出てきたお菓子をありがたく受け取る。あたしがスマホをいじりながら彼女の作業を待っていると、古賀ちゃんは、ちら、と視線を投げてきた。
あたしは視線だけで問い返す。
「なかむーさ、一年の頃とだいぶ雰囲気変わったよね」
「そっかな?」
「かわいくなったよ! …… 好きな人でもできた?」
「え? いや …… そういうわけじゃないけど、このクラスかわいい子多いから、あたしもキレイになりたいなって」
「そーなんだ ……」
あたしの答えに不満なのか、古賀ちゃんは少しだけつまらなそうにペンの背を頬に宛てた。ぽこ、と彼女の丸い輪郭が歪む。
古賀ちゃんは派手な子が多いこのクラスでも目立つ方の生徒だ。同じ制服なのにどことなく垢ぬけた着こなしと、屈託のない人懐っこい性格。
何より、自分をしっかり持っているタイプだ。流されやすいあたしとは違って、物おじせずに、はっきりと自分の意見を口にする彼女に、ほんの少しだけ憧れがある。
そんな女の子が気にかけてくれたことが嬉しくて、ついポロリとこぼしてしまった。
「…… 実は失恋したばっかなんだよね」
「え? なかむーも? もしかして特別クラスの田中くん?」
「田中くん? なんで?」
驚いたように目を見開く古賀ちゃんに驚いて問い返す。
と言うか、古賀ちゃんも失恋したの?
あたしのびっくりした表情に、古賀ちゃんはちょっとだけ唇を尖らせた。
「いや、なかむーよく図書室利用してるし、好きなんかなって」
「ううん、あたしはもうちょっと線が細いというかクールな人のが好き」
アイドル然とした田中くんは確かにイケメンだし、人当たり良いけど、そういう意味で好きだと思ったことは一度もない。もともとアイドルにときめいたこともないので、単純にタイプではないのだ。
「へぇ~そうなんだ、ちょっと意外! 例えばどういう? 芸能人でもいいし」
身を乗り出す古賀ちゃんに押され、あたしは少し身を引く。正直、テレビあんまり見ないし、芸能人にあまり興味がないので、たとえようがない。
「芸能人はわかんないけど、普段はクールと言うか、物事にドライなカンジなのに、意外に情熱的なところもあるというか。そういう人があたしにだけカワイイ笑顔見せてくれるの良くない?」
言いながら、竹本先生を素敵だな、と思った日のことを思いだした。
選択芸術で音楽を選択して、初めての授業の時のことだ。
竹本先生は、線が細く、どことなく突き放した物言いで冷めた雰囲気を持つ人だ。
そんな先生は自己紹介がてら、趣味で吹いているというサックスを披露してくれた。知らないジャズの曲だけどかっこよくて、演奏後、生徒たちが拍手した時に浮かべた、少し照れくさそうな笑顔がかわいいと思ったんだ。なにより、見かけによらず教育熱心だし、特に部活指導が真剣なとこもいい。
「へぇ~!気になる! 同じ学校?」
古賀ちゃんの勢いに押され、思わず頷いてしまった。途端、ぱっと彼女の顔が輝く。
「え、ホントに? けど、そんな人この学校にいる? あ、特進の野田くんとか?」
「特進に野田くん、二人いるけど ……」
「キュウって呼ばれてる方。わかる? 眼鏡の」
なんとなく思い描いていた方であってた。たしか、野田究拓って名前で、キュータクとか、キュウとか呼ばれている人だ。確か田中くんとも仲いいんだよな。
「うん。幼なじみが特進で、たまにクラスに遊びに行くからわかるけど、全然違う」
「違うかぁ …… つか、井上さんだっけ、ちょっと冷めたカンジの人だよね? なかむーと仲良いの意外だと思ってたら幼なじみなんだ?」
「え、アンナはそんな言うほど冷めてないよ? ちょっと捻くれたとこあるし、確かにドライなこと言うけど、高校受験の時とか勉強すごいよく見てくれたし、あたしが受かったの、あたしより喜んでたし」
あたしのフォローに古賀ちゃんは「ん?」と少し首を傾げて見せた。
あれ? なんかアンナのいいとこ伝わんないかな?
冷めたようなのは見せかけだけで情熱家なんだけどな。
「人見知りするから、ちょっと冷めた感じに思うかもだけど、意外とよく笑うし。物言いはアレなとこあるけど、仲良くなると優しいし」
なんかアンナをプレゼンしてるみたいになってきたな?
あたし自身が困惑し始めれば、古賀ちゃんはペンのお尻を眉間に当てて微妙な表情を浮かべて見せた。
「いや、うん ……」
「えっと?」
「いや、なかむーは井上さんのこと大好きなんだなって」
そう直球で言われると照れるな。あたしは話題を変えるために、古賀ちゃんに話の矛先を向けた。
「そいや、古賀ちゃんも失恋したって、」
「ああ、うん。相手、特進の田中くんなんだけど」
「ええ!? そうなんだ?」
教えてくれるんだ!?
びっくりして問い返せば、古賀ちゃんはこくりと頷いた。
いや、彼、イケメンだし、文武両道ってやつだけどさ。人当たりもいいし、そうか、そうだよね、モテるよね、モテないわけがない。てか、そっか、だから古賀ちゃん、さっき田中くんの名前出したんだ。
納得したものの、目の前の古賀ちゃんを見やる。
「田中くん、モテてそうだもんね。 彼女がいたとか?」
「いないって聞いたんだけどね、でもいない理由がわかった気がする」
「え?」
「なかむーも田中くんにフラれたんだったら話が合うかもっと思ったけど、違うなら内緒」
え~気になる。けど、お互い深追いしない方がいいかな。あたしの相手は先生だしな、迷惑になっちゃうの、やだし。
そう迷ってる間に、古賀ちゃんはあたしのノートを閉じて、差し出してきた。
「てか待たせてごめんね、ノートありがと。あとは英作文やんなきゃだから、自分でノート持ってくよ。井上さん待ってるんでしょ?」
あたしは素直に彼女の提案を受け入れ、提出された分のノートを手にして教室を後にした。
☆
ノートの束を英語の先生に提出した後、図書室へと向かう。
図書室の扉は開け放たれていた。いつもカウンターにいる週替わりの図書委員の姿はない。
アンナを探して、カウンターとデスクが並べられたエリアを通り過ぎ、本棚が並ぶエリアへと足を運ぶ。
本棚の間から、ぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。思わず足を止める。
「友達、遅いね。俺は手伝ってもらえて助かるけど」
「別に急いでないし、暇だから」
アンナと田中くんだ。
なんとなく割って入れる雰囲気ではなくて、そっと覗き見れば、二人の間には返却された本が並べられたキャスター付きの小型書架。どうやらアンナは、返却作業をしている田中くんのお手伝いをしているようだった。
「そういえば井上さん、好きな人とはどう?」
「…… ちょいちょい聞いてくるけどさ、田中に話すことじゃないって言ってるよね」
ふと、思いついた様な田中くんの言葉に、あたしは耳を疑う。
アンナに好きな人がいるなんて知らなかった。あたしのショックをよそに、二人は軽い感じで話を続ける。そのことに、またショックを受ける。
「だって気になるんだ」
「気にかけていただかなくて結構です」
「結局、竹本先生じゃないんだよね?」
田中くんの問いに、思わず叫びそうになった。
あたしは、竹本先生が好きなことを彼女に相談していたんだ。もしそうなら、アンナがあたしに好きな人がいるって言えなかった理由がわかる。
「だから違うって」
だからアンナの即答に胸をなでおろす。それと同時に、なら、どうして相談してくれないんだろう、と苛立ちにも似た思いがふつふつと湧き上がってきた。
「そーゆー田中は好きな人いるの?」
うわ、アンナ、すっごいめんどくさそう。
あたしにはわかる。彼女は詮索されるのが嫌で、田中くんに問い返したんだろうけど、何故か田中くんは嬉しそうに答えた。
「好きと言うか、まぁ、気になる人なら」
「へ~」
案の定、興味なさそうなアンナの態度に、田中くんはことさら楽しそうにアンナへと問い返した。
「どんな人って聞いてくれないの?」
「…… どんな人?」
「いつも理性的なひと」
「意外だね」
「そう? 前話したじゃん」
「ああ、王様って話?」
「そうそう。だから、俺の事情を理解した上でついて来てくれて、俺の地元に適応してくれそうな子。こっちより文明が発達してるから、基本的に勉強もできてほしいし」
何の話だろ? 確かに田中くんが一部の人たちに、王様と言うか王子様扱いされているのは知っているけど、全然話が見えない。
「ふ~ん、条件ありきって感じ。つまんない恋してんね」
「そお?」
「自分の都合優先だし、なんというか、君が王様って言うのちょっとわかる」
「ええ~。まあ、王様なんだけど」
と言うか、自覚してるのか。そりゃするよな、実際、そうだし。でも、なんか、嫌味な気がしなくもないけど、嫌味じゃないところがすごいというか、嫌味じゃないところが嫌味だ。
古賀ちゃんがわかるって言ってたの、このこと?
「つか、田中こそ理性的で、まぁ人生の伴侶探しって意味では間違ってないのかもしれないけど、田中のそれは恋とかじゃなくない?」
「そうかなぁ?」
とぼけるような田中くんの返し。しかし、アンナは会話自体に興味がなさそうに、手にした本をぱらりと捲った。
アンナが手にしてる本、シェイクスピア作品を解説している読本で、借りたかった本だ。
「…… ほら、シェイクスピアも“There’s beggary in the love that can be reckoned(計算された恋は卑しい)”ってさ」
完全なるカタカナ発音。何ならローマ字読みっぽい。
アンナ、ライティングはできるのに、スピーキング下手なんだ。
「別に条件とか計算とか、そういうつもりはないんだけどね。じゃあ、井上さんにとって恋ってどういうものなの?」
「…… It is to be all made of sighs and tears(恋はため息と涙でできている)」
シェイクスピアの『As You Like It(お気に召すまま)』の一節だ。
息が苦しい。楽しいだけの恋じゃないなら、なおさら相談してくれればいいのに。
「何?」
「いや、本当に意外過ぎて」
「ちょいちょい失礼だよね、」
「はは、ごめん。でも、そっか、意外に情熱的なんだね」
意外でも何でもない。田中くんの言葉に異を唱えたい。あたしの方がずっとアンナのことをわかっているのになんで。
「田中もさ、王様じゃなければ ―――― いや、ごめん」
「なにが?」
「田中、きみ、そういうとこだぞ。あ~あ、大人になんてなりたくない」
「…… そうだね、」
「ただ、一緒にいて楽しいとか、そういう単純な感情でいたかったな」
「恋の話?」
「そう、友達の恋とか見てるときは、なんかもっとキラキラして楽しいものかと思ってた」
二人の会話よりもはっきりと耳に届いたのは、ぱたん、とアンナの手の中で本が閉じられる音。
「実際、自分の気持ちを自覚したら、相手の態度で一喜一憂したり、なんなら相手のちょっとした変化に理由を探っちゃうし、誰のために変わろうとしているんだろとか考えちゃって、ホント疲れる」
本当に好きなんだ、恋してるんだ。
なのに、なんで、あたしに相談してくれないの。
「楽しそうな気もするけど、」
揶揄う口調の田中くんに、アンナはため息をついて見せた。
「そうでもない。相手が失恋した時に、今優しくすれば気が惹けるかも、とか、自分を良く見せるために思ってもないようなことを言ったり。純粋な優しさを見失ったみたいで、相手に対して誠実でいたいのに、自分の不誠実さが気持ち悪い」
もうそれ、恋以外のなにものでもないじゃん。
アンナのボヤキにあたしは絶望する。
「好きだから優しくしたいって思うのは当然だと思うけど。好きになってほしいから努力することも。まめに話しかけて距離縮めようとしたりさ」
「単純な興味ならそうかもね。でも実際は、好きだから余裕がなくて傷つけあったり、自分の醜さというか欲が嫌で距離を取りたくなったりもする」
「なるほど、理性的とは程遠い」
飛び出して行って、アンナを詰りたい気持ちを押し殺す。でももう、訊いていられない。
あたしは限界を感じて、踵を返した。
うつむいたまま、図書室を出ようとしたところで、トン、と何かにぶつかる。
顔をあげれば、特進クラスの野田くん(眼鏡の方)だ。
「悪い」
おそらく反射的に出たであろう謝罪の後、彼はあたしの顔を見て目を見開いた。そして、気まずそうに、「あ~ …… なか、ジョウ …… 田中、穣、居る?」と尋ねてくる。
図書委員には女子生徒の田中さん(一年)もいるからだろう、名字の後に一拍おいて名前を告げられた。
「えっと、」
図書室内をみやり、しかし、あたしが言いよどんでいるうちに、「キュータク?」と書架のあいだから田中くんが顔を出した。さらには、田中くんの声にかぶさるように、「ミツキ?」と呼びかけられた。
後ろめたさに、思わず肩が揺れる。
「え? いつからいたの?」
少し不安が滲むアンナの問いかけに、「今だよ。そこであった」と、何故か野田くんが答えてくれる。
驚いて彼を見上げれば、野田くんは素知らぬ顔で、「ジョウ、ディベートの資料作ってみたんだけど、見てくれないか、」と田中くんへと話しかけている。
「アンナ、待たせてごめん」
「ん~ん、帰ろっか」
アンナはカウンターに置いていたのだろう鞄を手にすると、あたしを促してきた。
図書室を後にするあたしたちに、田中くんの声が飛んでくる。
「二人とも気を付けて」
「お疲れ、また明日」
アンナの返事に合わせて、ペコリ、と頭を下げた。
ちらり、と野田くんを伺えば、彼はすました顔のまま、ふっと口の端を歪めてみせる。どこか皮肉げにも見える表情だったけど、多分、笑ったんだと思う。
あたしは再度、頭を下げた。
☆
駅のホームで電車を待つ。
あたしは胸のもやもやを処理できずに、どうしても言葉少なくなってしまう。
ドライに見えるけど、あたしの感情に敏感なアンナもどこか気まずげだ。
ダメだ、このままじゃ引きずってしまう。
だから、思い切ってアンナに尋ねた。
「…… アンナ、好きな人いるんだね」
「え?」
「さっき、」
あたしの問いに、アンナは驚いた表情を浮かべた。幼馴染のあたしですらなかなか見ない、彼女にとっては珍しい表情だ。
「ごめん」
「いや、その ……」
あたしの短い謝罪に、アンナは口ごもる。あたしは正直に自分の気持ちを告げた。
「でも、相談してくれないの、ちょっとショックだった」
「それは ……」
珍しく歯切れの悪いアンナに畳みかける。
「あたしのこと信用できない?」
「はぁ? …… ちがうよ!」
さらに言えば、田中くんについても言ってくれなかったのは悲しかった。田中くんの気持ちとかを慮ってのことかもしれないけど、それでも感情が追い付かない。
「田中くんはアンナのこと好きなんだね」
「いや、あれは違うでしょ」
「なんで否定するの。絶対そうじゃん」
「だから、」
「いいじゃん、田中くんカッコイイし、勉強も運動もできるし、付き合っちゃいないよ」
「やめて! からかわないで」
務めて明るく茶化して見せれば、アンナは珍しく声を大きくした。
今度はあたしが驚いて口を噤む。
「ちゃんと告白されたわけじゃないのに知らないよ! 田中のわかりづらい冗談に付き合ってるだけ。あいつ、マジセンスないの」
黙り込むあたしに、アンナは呆れたようにため息をついて見せた。
いつもの冷めたアンナだ。
もう完全にはぐらかしにきてる。
鼻の奥が痛い。ホームの向こうで沈む夕日が潤む。
耐えようと努力したけれど、だけど、次の瞬間には、堪えきれずにぼたぼたと涙を零してしまった。
「……っう」
「え、な、なんで?」
狼狽えたアンナに、悔しくて唇を噛む。
なんだか、竹本先生に相手にされなかった時より、反論できず先生のその態度を受け入れてしまった時よりも悔しい。
あたしはなんでもアンナに話しちゃうのに、アンナはあたしに話せないんだ。
なんか、あたしばっかりアンナのこと好きみたい。
もう、これ、あたしの片思いじゃん。
いつもはあまり焦らないアンナが、おろおろと手を上げたり下げたりした後、慌てて鞄からミニタオルを取り出して、あたしの頬へと押し付けてきた。
あたしのことで、焦るアンナに少しだけ安堵する。
「好きな人、教えてくれないの?」
アンナはあたしから目をそらすように俯いて、でも答えてくれることなく黙り込んだ。
じわ、と再び視界が歪む。
「アンナはあたしのこと信じてないんだ」
「違うよ!」
すぐに否定する癖に、だけど、アンナはまた黙り込んだ。
震えている薄い肩をつつむお揃いの制服。
一緒に作りに行ったんだよな、とぼんやりと思いだす。
試着するときに、うちらも高校生だよ、もー大人じゃんって、笑いあって。
「なんか、アンナとはずっと一緒にいるって思ってた」
「……」
「なんで肯定してくれないの?」
「だって大学は違うところになるでしょ」
「そうだけど、そういうことじゃないじゃん」
「そういうことだよ。大人になるって」
「大学別になっても、遊ぶよね?」
「…… 高校に入ってできたミツキの新しい友達とか、今までと違うんだなって思った。二年生になってミツキが急に大人になった気がしたけど、そもそも、幼なじみだから一緒にいただけで、本当はわたし達タイプが ……」
「は!? 何言ってんの!?」
あたしはアンナの言葉を遮ろうと声を荒げた。でも、
「本当は高校から別れるんだって思ったけど、ミツキが頑張ってくれらからこうして一緒に通えてる。だからもう、高校までで十分だって思うことにしたの」
いや、どちらかと言えば頑張ったのは勉強を見ていたアンナの方な気がする。
普段はちょっと冷めててドライなくせに、あの時はとても熱心に …… ん?
そこまで考えて、あたしはアンナを見やった。アンナは相変わらず俯いている。
『いや、なかむーは井上さんのこと大好きなんだなって』
ふいに、古賀ちゃんの言葉が蘇り、あたしの口をついて出た。
「あたしはアンナのこと好きなのに、」
「そういうの、…… 軽く言うの、やめて」
「軽くない、」
アンナはきゅっと唇を噛んであたしを窘める。だけど、あたしは納得できない。
しかし、彼女は一旦溜息のような大きな息を吐いた後、ちゃんとあたしの目を見据えた。
少し首を傾げる仕草で、癖のない髪がさらりと揺れる。
「ミツキは大丈夫だよ。どこでもうまくやれるもん。コミュ力高いし、すぐ友達ができるんだ。それこそ彼氏だって」
「は?」
アンナが何を言い出したのかわからなくて、あたしは思わず間の抜けた声を出した。
でも、彼女はあたしにかまわず、いつものどこか冷めた表情のまま。
「なんだっけ、ミツキの好きなタイプ。普段はクールと言うか、物事にドライなカンジで」
平坦な声はドライな印象を与える癖に、でも、あたしには、今、彼女が務めて平静を装っているだけだということがわかる。震える手を抑えようとしているのだろう、アンナの左手を握り締めた右手の指先が白くなっていた。
「意外に情熱的なところがある、竹本先生みたいな、彼氏」
アンナは意外でも何でもなく、激情家なのだ。
あたしは気が付いてしまった。
「え、ミツキ? いきなりどうしたの?」
途端、奇妙に恥ずかしくなって、アンナの顔をまともに見れなくて、思わず顔を背ける。
アンナは怪訝そうに、あたしの顔を覗き込もうとしてくる。
「違うよ、」
あたしはかろうじてそう告げる。
自覚してしまえば、確かに、あたしの片思いだ。
「そういう人があたしにだけカワイイ笑顔見せてくれるのが好きなの」
何が違うのかと、アンナは訝しげに眉を顰めてみせる。
「アンナってさ、普段は冷めててひねくれてるのに」
「え、なに、悪口?」
あたしの言葉にアンナは頬を膨らませた。あたしは緩く頭を振って否定する。
「あたしのために問題集を手作りしてくれたり、」
「あれは …… わたしの復習のためでもあったし、」
あたしが何を言いたいのかわからず、アンナは困惑しきっている。彼女にしてはなかなか珍しい表情だ。
「ねえ、あたし、アンナの笑顔、大好きだよ」
あたしがそう告げれば、彼女は一旦、目を見開いて、そして、少し眉根を寄せたまま、はにかむように口の端を持ち上げみせた。
■適当な設定
・特進コース(特別進学コース):難関国立校対策クラス。
・選択芸術、選択武道は学年単位で合同授業。
→選択芸術で音楽を選択したアンナとミツキはクラスが違っても同じ時間に授業を受けています。
なお、選択武道はダンスも選べるのでミツキはダンスですが、アンナは音痴かつ運痴のため、ダンスはさすがにツライということで柔道(先生が女子には甘い)を選択しています。




