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クガイの剣 とある剣豪の異境活劇  作者: 永島 ひろあき
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第十三話 襲撃

 クガイが隠れ家を後にして街の様子を探りに行ってから、しばらくの時が経ってからの事。クムが洗い物を済ませ、母から受け継いだ包丁を研いでいる間、ハクラは寝台の上で胡坐をかいて、深呼吸を繰り返していた。

 故郷の霊峰は肺が凍り付くほど冷たく薄い大気と、俗世からはかけ離れた環境ゆえに清浄な霊気が当たり前のようにあり、そこで生まれ育ったハクラの心身はごく自然と鍛えられている。

 一方でこの楽都の街には大浸食以降、街に残留して今もより強く、より邪悪になろうとする瘴気がある為、環境としては正反対と言える。

 その為、ハクラは折を見ては自身の体調をこの街の環境に順応させるべく、瞑想と深呼吸を繰り返していた。


「……クム、研ぎは終わったか?」


 ハクラが不意に閉じていた瞼を開き、クムの小さな背中へと問いかけた。


「はい。ちょうど終わりましたよ。どうかしましたか?」


 クムは包丁を鞘に納め、丁寧に布に包み、一休みしようとしているところだった。


「うむ。ならばすぐに荷物を持つのだ。複数の気配がこの隠れ家を目指してきている。私の杞憂ならばそれでよいが、最悪の可能性を考えて動くべきだろう」


 ハクラ自身、寝台の上から降りてポーチ付きのベルトを締め、愛用のマントを羽織って、直剣も携えている。彼女にとっての戦闘態勢はこれで整ったと言える。

 クムはハクラに問い返す事はせずにすぐさま動き、包丁を大事に抱え込むといつでも持ち出せるように近くに置いてある鞄を肩から掛ける。もともと慎ましく暮らしていた彼女に、私物らしいものは少ない。


「この隠れ家の放棄も視野に入れるべきだ。紹介してくれたタランダには悪いが、クムの安全には替えられない。……ふむ、思ったより動きが速いな。クム」


「は、はい!」


 ハクラはトコトコと近寄ってきたクムを左手で強く抱き寄せる。以前はラドウの一派からクムを逃がすために別行動を取り、クガイに危ういところを助けられたが、今度は決して離しはしないというハクラの意思表示だ。

 獣の毛皮を使ったハクラの服のもこもことした触感に、思わずクムがほわあ、と一言漏らした時、外がにわかに騒がしくなる。ハクラの気付いた敵がいよいよ足を踏み入れたのだ。

 クムが不安の色をあどけない顔に浮かべると、まるでそれを察したように隠れ家それ自体が地震に襲われたように振るえる。 


「ひゃっ!?」


「この隠れ家に施された守りの術が発動したようだな。私の出る幕が無ければよいが、さて」


 クム達の隠れ家を情報屋達に突き止めさせ、侵入してきたのはラドウの配下である糸目の青年セイケンとその部下達だ。

 セイケンの他に灰色の襟爪服を着た十名の男女が居り、手に布に包んだ刀槍を携え、今にも暴力が振るわれんばかりの雰囲気だが、通りを行く夢現街の住人達は一瞥くれるだけでこれといった行動は起こさない。

 外に漏らさない限り、個人の敷地の中で何が起きようと不干渉というのが、夢現街の住人達の暗黙の掟であった。


「ここですか。クガイという男はここを後にしています。クムというお嬢さんはなるべく無傷で捕まえます。護衛の女は手練れです。生死を問いません。では、行きなさい」


 セイケンの静かな命令に従い、まず二名の男女が隠れ家の敷地に一歩踏み入った。

 黒髪を長く伸ばした若い男は布に包んだ青い刃の刀を取り出し、赤い短髪の女は七芒星(しちぼうせい)の描かれた黒い手袋を両手に嵌める。

 ラドウ一派の構成員である以上、二人の持つ刀と手袋はなにかしらの特殊な力を持った品であるのは間違いない。セイケンはもちろん他の八人も特殊な武器を持っているのだろう。人狼を容易く葬ったハクラとはいえ、簡単に退けられる相手ではあるまい。


 男が二歩目を踏み出した時、もぞりと敷地の中の木々が動き出したし、地中に埋まっていた根っこと枝を伸ばすと鞭のようにしならせて二人へ叩きつけてくる。

 タランダが敷地に施した守りの術が、敷地の中の木々を生きた門番へと変えて襲い掛からせたのだ。風を切って襲い掛かる枝の鞭を、男は青い刀で打ち払う。

 まるで鋼と鋼が衝突したような音が鳴り、衝撃が周囲を振るわせる中、青い刃の輪郭が水のように溶けるや、そのまま流体と変わって細く長く伸びて、自由自在に動く鞭の刃と変わって枝のことごとくを斬り落としてゆく。


 足元から無数の蛇の如く這い寄ってきた根は、同じ太さの鋼線と等しい強度を備えており、絞殺はもちろん切断すら可能な凶器だ。

 女は掌を勢いよく地面につけると、手袋に描かれた白い七芒星から白い光が稲妻の如く伸びて、迫りくる根の全てを焼き払ってゆく。

 白い稲妻に打たれた根は黒く焦げ、痙攣しながら力なく地面に落ちてゆく。


「ふっ、容易いものだ」


 液体金属の刀を持つ男がタランダをあざ笑うように言葉を発した時、それを侮辱と捉えたのか隠れ家に施された術は、次の攻撃を開始した。風もないのに木々の枝がざわざわと大きく揺れ始め、瑞々しい緑の葉が無数の刃と変わって二人へと放たれたのだ!

 男が鞭の刃を振るい、視界を埋め尽くす勢いで放たれる葉を落とす中、女は男に守りを任せ、木々を消し炭に変えるべく走り出した。


 女の装備した手袋は何かしらの物体に打ち付ける事で稲妻を発生させ、女の認識した対象に落とすというものだが、格闘戦を前提とした装備である為に稲妻の射程が短い。

 木々を消し炭にする為には、手足の届く間合いまで距離を詰める必要がある。常用している強化薬の効能で、女の足は常人をはるかに超える速度で動いた。


 もっとも手近な木々を破壊するべく、握り締めた右拳を振り上げる。その女の視界の端に勢いよく水を噴きだす井戸が映った。木々ばかりでなく井戸もまた隠れ家の防衛機構だったのだ。

 噴きだした水は空中で渦を巻くと、人食いの大蛇の如く凄まじい勢いで女へと襲い掛かり、咄嗟に女が打ち付けた右拳から迸った稲妻に打たれても勢いは止まらず、そのまま女の腹に激突すると、そのまま敷地を囲う塀へと叩きつける。


「ミシエ! ちぃ」


 男が堪えきれずに舌打ちをした瞬間、敷地に埋め込まれていた石が弾丸の如く飛び出して、男の左肩を貫いた。クガイが気を込めて敷地にばら撒いていた石だ。


「ぐぁっ!?」


 彼らの着用している詰襟服は、特殊な繊維を特殊な編み方をして裁縫されたものだ。ただの鉄の刃や矢など簡単に防ぎ、低級の魔術や妖術に対する耐性も高い。それをものともせずに貫くクガイの石弾(いしだま)が異常だ。

 攻撃は石弾だけに終わらず、ねじった枝の矢もまたそこかしこから放たれて、男の左の太ももや右手の甲、右脇腹を貫いてみせる。

 瞬く間に重傷を負った男と塀に叩きつけられて気を失った女を、無事だった木の枝が拘束し、敷地と通りの境で足を止めているセイケン達の足元へと放り投げる。

 セイケンは音を立てて石畳の上に落ちた二人を見て、特に失望もない様子だ。この程度は想定の範囲内なのだろう。


「流石はタランダの守りの術。他の魔術師に作らせた、魔力を打ち消す“魔術殺し”で中和してもこれとは」


 “魔術殺し”とは読んで字の如く、魔術を中和・相殺する術や効力を持った道具全般を指す。

 夢現街でも名の知れたタランダの隠れ家を襲うにあたり、ラドウらは他の有力な魔術師達にこの複数の魔術殺しを用意させ、クム強奪に踏み切ったのだがタランダの術は彼らの予想を超えていた。


「ミシエとイナマに手当てを。では次、行きなさい」


 感情の揺らぎを微塵も感じさせないセイケンの命令に、残る八人の部下達は逡巡せずに従った。

 クガイの残した石弾と枝矢(えだや)、それにタランダの防衛機構は容赦なく侵入者達に襲い掛かり、隠れ家の中で様子見に徹しているハクラ達にも激闘で生じる物音と振動が伝わるほどだった。


「七、六、五……四、うむ、そろそろ守りの術も効力が切れる頃合いのようだ」


「! く、クガイさんはまだ戻っては……」


「普段のあいつの散歩の時間を考えれば、まだ先だ。こちらの異変に気付いていれば話は別だが、私達だけでこの場を凌ぐべきと考えておいた方がいい。

 このまま籠城していても、あちらの援軍の方が早く来るだろうし、打ち合わせ通りこの隠れ家を放棄して例の場所で落ち合うぞ。クムは私から離れないように気を付けるのだ。しかりと抱きつけ」


「は、はい!」


 クムを左手で抱き込み、マントの内側に庇いながら、ハクラは外の気配を慎重に探り、隠れ家の扉を開いた。セイケンの他に十人いたラドウの追手達は三人まで数を減らし、残りはクガイの置き土産とタランダの術で重傷を負い、敷地の外で倒れ伏している。

 ミシエとイナマの二人も意識を取り戻しているが受けた傷が深い為、ろくに動けずにいる。


「タランダの守りの術に手酷くやられたようだな」


 ハクラは負傷者を見回し、セイケンとその周囲を囲む三人へ淡々と告げる。クガイの残していった石弾と枝矢も活躍したが、それもタランダの術だと勘違いしてくれれば、余計な情報を渡さずに済む。

 セイケンは腰の後ろで手を組みながら、あるかなきかの笑みを浮かべたまま応じた。


「残念ながら貴方達の力量を、タランダを含めて見誤っていました。恥ずかしい話です。失礼、自己紹介がまだでした。私はセイケンと申します。貴女が白麗族のハクラ殿ですね?」


「相違ない。私の情報も掴んでいるとは、この地に根を下ろす者達だけはある」


「特徴的な方ですから、調べるのは簡単でしたよ。そして、そちらの庇っているお嬢さんがクム殿ですね。私の仕えている主人が、貴女と持っているかもしれない鍵を求めております。恐れ入りますが、私共にご同行願えませんか?」


 言葉だけは柔らかなセイケンからの申し出だったが、彼らのこれまでの行動によって不信感を抱いていたクムが首を縦に振るわけもない。


「なら、最初から力ずくで私を浚おうなんてしなければよかったじゃないですか!」


 クガイとハクラの前では優しい少女の顔しか見せないクムも、この時ばかりは自分に襲い掛かる理不尽に募らせた怒りを爆発させて、セイケンへと怒声を叩きつける。セイケンにとっては、子犬が吠えているのと変わらなかったろうけれど。


「功を焦った愚か者の過ちです。その者は主人が厳しく叱りつけましたから、二度と同じ過ちは犯しますまい。誓って乱暴は致しません。また貴女が我々の求める者を持っていなかったとしても、その際には迷惑料をお渡しして元の生活にお戻しします」


 嘘八百と疑うのが当然のセイケンの申し出だが、小さく耳を動かしたハクラは彼の言葉に嘘がない事を看破していた。ただ、セイケンに嘘を吐くつもりはなくとも、彼の主が嘘をついていたら意味のない話だ。

 ハクラはぎゅっと抱き着いてくるクムの腰に左手を回し、地面に向けていた直剣の切っ先をゆるゆると持ち上げてゆく。極寒の霊峰で産出される鉄を鍛え上げた直剣は、清浄なる霊気を纏っている。

 ハクラの瞳に宿る戦意を確認し、セイケンが残念そうに肩を落とす。その代わり、三人の追手達が各々構えを取り直した。


「二度と同じ過ちは犯さないと口にするが、そのように武装して隠れ家を襲っているではないか。セイケンとやら、お前ひとりで交渉に来ればよかったものを、結局は同じ過ちを犯している。お前達は間違え続けている」


「ふーむ、そう言われてしまうと反論できません。私も知らず暴力の色に染まっておりましたか。では過ちは正さぬまま成果を求めましょう。一応、確認しますが、ハクラ殿、クム殿を渡すおつもりはございませんか?」


「欠片もない」


 いっそ清々しいまでの簡潔なハクラの拒絶に、初めてセイケンの口元にはっきりとした笑みが浮かび上がる。立場上、対立してはいるがハクラの気性はセイケンにとって好ましいものだった。


「では、野蛮な交渉と参りましょう。シレ、ナル、ウネ、行きなさい」


 セイケンの命令に従い、これまで状況を静観していた三人が動き出すのに合わせて、ハクラはクムを左手一本で持ち上げて、左脇に抱えた。

 シレ、ナル、ウネと呼ばれた三人はいずれも似たような体つきの男性で、全員がそれぞれ猿、鳥、犬を模した仮面を着用していた。

 仮面からボコボコと泡立つように光が放たれると、それは三人の体を鎧のように多い、仮面の題材となった動物を模した形となる。

 仙術武具“鳥獣戯頭(ちょうじゅうぎず)”。仮面を被る事で題材となった鳥獣の幻影を纏い、生まれつきの獣人達をも上回る力を与える代物だ。


「クム、私にしっかりと掴まっていろ」


「はい! 死んでも離しません!!」


 いや、死なせないが、とハクラは口にする間もなかった。両手を翼のように広げて飛び上がったナルが腕ほどもある巨大なかぎ爪の生えた足で襲い掛かってきたからだ。

 ハクラが右手一本で振るった直剣にかぎ爪は弾かれ、両手を広げた成人男性の更に倍を超える巨大な鳥となったナルはそのまま空中へと飛び上がる。

 頭上を抑えられたのは厄介だが、ハクラはそれよりも既に息のかかる距離に近づいていたシレとウネへの対処を優先する。


「キキイイッ!」


 シレが猿を思わせる甲高い叫びと共に巨大な猿の腕を振り上げ、ウネもまた犬のように四つ足で地を蹴り、ハクラの右手側から回り込んで飛びかかってきていた。

 クムが恐怖のあまり固く目を閉じている一方で、ハクラの瞳は氷の冷たさを堅持している。

 ウネの動きは、ハクラが初めて楽都を訪れた夜に戦った人狼よりも速い。だが、それでもハクラからすれば遅かった。

 ハクラの右腕が一閃すると、ウネの左首筋を斜めに横断する朱色の線が描かれて、血が勢いよく噴きだす。


「ぎゃっ!?」


 堪らず悲鳴を上げて身を捩るウネに、ハクラの右足が叩き込まれて大の男をいともたやすく吹き飛ばす。

 シレの振り上げた腕は、クムを抱えるハクラの左肩を激しく叩いたが、肩の骨を砕く手ごたえはなく、反対にこちらの手が砕けるような手応えに、シレは仮面の奥で顔を歪めた。


「服の下に何を仕込んでいる!?」


「暴けるものなら暴いてみせるがいい」


 シレの表情が戻るよりも早く、翻った直剣の刃がシレの左肩口から右腰上まで斜め一直線に斬り裂く。

 仮面が生み出す光の獣の幻影は高密度の妖力の塊であり、同じ厚さの鉄よりも固く同時に柔らかいという特性を備える。その守りを容易く斬り裂くハクラの技量も、直剣の切れ味もこの浸食都市にあってなお異常の域にある。


「ギギィイイ」


 シレは苦痛の叫びを漏らしながら猿の敏捷さで後方へと飛び下がり、体勢を整えなおしたウネと共にハクラを左右から挟み込む。ハクラが素早く視線を左右に振った瞬間、それを狙いすましたナルが翼を畳み、激しく回転しながら一本の矢となってハクラを襲い掛かる。

 ハクラの右腕を付け根から抉る凶悪な一撃を、ハクラは視線を左右に振ったままあっさりと左に二歩動くだけで軌道から外れる。ナルが軌道修正出来ない限界を見切った上での行動だ。

 ナルが外れると悟り、避けられた直後に空中で旋回して何度でも繰り返すと腹を括る。

 そしてナルがハクラの傍らを通り過ぎる刹那の瞬間に、ハクラが淡々と口を開いた。


「釣れたな」


 言い終わるよりも早く空中に描かれる一筋の銀光! 音に近い速度を出したナルの動きを完全に見切り、すれ違うその一瞬で振るわれたハクラの斬撃だ。

 直剣は狙い過たずナルの鳥の仮面を真っ二つに割り、その妖術を無効化した。仮面を失い、鳥の幻影も失ったナルは飛行の速度をそのままに地面に激突し、何度も跳ねて体中の骨を砕いてから塀に激突する。

 口のみならず全身から血を流してぐったりと倒れるその姿は、戦闘不能以外の何物でもない。


「まずは一人」


 強敵を倒した安堵も喜びもなく、淡々と告げるハクラにシレとウネは知らず気圧されていた。肌を刺す吹雪の如く吹き付けるハクラの闘気は、仙術武具の守りを貫いて二人の背筋を凍てつかせる。


「人ならば人らしく戦えばよい。わざわざ獣を真似る理由が分からん」


 ハクラ本人としては煽っているつもりは欠片もない台詞が聞こえ、おそるおそるクムが目を開くとシレもウネも獣そのものの腰を落とした体勢を取り、ハクラの命を刈り取る意志を見せている。


「わわっ」


 堪らず悲鳴を上げるクムの体をハクラが抱え直し、クムの両手がハクラの首に、両足が腰へと巻きつけられる。死んでも離さないという言葉に嘘偽りがないと実感させる、力強い抱擁である。


「うむ、これならば落とすまい」


 強敵二人に挟まれた状況でこんな感想が出てくるあたり、ハクラはまだまだ余裕があるようだった。キ、と短い猿の叫びを発して、シレが踏み出すと同時に両手を地面すれすれにこすり付けるように下から上へと振り上げる。

 と、同時にハクラへと無数の土くれや石ころが襲い掛かった。シレが腕を振り上げ様に掬い取った敷地の土が、彼の怪力によって骨をも砕く速度で叩きつけられる。


 それをその場でハクラが左手で翻したマントが染み一つ着けずに、全て打ち落として見せる。柔らかな獣毛が鉄壁の防御と化す中、シレの動きに合わせてウネもまた動いていた。

 地面を蹴り、隠れ家の方へと跳ねると壁を蹴り、ハクラの頭上から襲い掛かる軌道へと変える。目まぐるしく変化する三次元の機動は、相対する敵を強く惑わす。


「山では珍しくもない動きだ」


 マントの中から銀光が走り、ハクラの頭を上から噛み千切ろうとしていたウネの顔面を横断する。仮面の奥から血が噴出した直後、犬の仮面は上下に分かれてウネもまた空中でもんどりうって頭から地面に落下する。

 それでも気を失うでもなく、顔から血の滝を流しながらのたうち回っているのは、大した生命力だ。


 ウネが飛びかかるのに合わせ、シレもまたハクラの背後に回り込み、彼女を強固に抱きしめて動きを拘束しようとしていたが、ウネの顔面を切った刃が飛燕と化してシレの右肩口を深々と斬り裂く。

 ただ斬られただけの痛みではない。傷口から得体の知れない力が流れ込み、細胞一つ一つを入念に磨り潰されるような痛みが、シレの思考を焼き尽くす。


「ぎぅあああ!?」


 苦痛に耐えきれず背骨が折れんばかりにのけ反るシレの顎から額にかけて、ハクラの直剣が閃いて三度目となる仮面の両断を成す。のけ反ったまま仰向けで倒れ込むシレに背を向けて、ハクラは唯一無傷のままのセイケンを見る。


「横槍は入れなかったな」


「彼らに任せましたから。私の出番は彼らがしくじってからと、そう決めておりまして」


「妙なこだわりだ」


「こだわりというよりもけじめです。お疲れでしたら手心を加えて差し上げますが?」


「するような顔ではないな」


「これは手厳しい」


 セイケンの口元が笑みを深めた瞬間、彼の体はわずかに沈み込み敷地に足が踏み込むほどの強さで駆けだしていた。鳥獣戯頭によって強化されたシレ達を一段も二段も上回る速度に、ハクラはわずかに目を細める。

 速度ばかりではない。セイケンの体から放射される闘気の圧は、強かにハクラの全身を打っている。


「仮面の三人をまとめて相手するよりも強敵か」


「ええ!」


 今日の天気を告げるようにあっけらかんと口にするハクラに、抱き着いたままのクムが悲鳴を上げる。仮面の三人とてクムには目の回るような不可思議な力の持ち主だったが、糸目の若者はそれ以上だと言われては驚きもする。

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