第四十七話 天才小悪魔、爆誕す。
「さて、それじゃそろそろ先輩のとこに向かおうか」
あの後自分の支度もして、マユの帰り支度も整え終わった俺達は最後の一服として紅茶をまったり飲んでいた。
時間はそろそろ九時半になろうという頃合い。出掛けの先輩に言われた時間になる。
「そだね。じゃあ、このカップだけさっと洗ってきちゃうね」
言いながら、既にマユの手が俺のカップを拾っている。
「ああ、いいよそんなの。帰ってきたらやるし」
「ううん。立つ鳥跡を濁さずって言うでしょ? それにもうクセみたいなものだから。自分で出来るときにやらないと、逆に気持ち悪いんだよ」
それにこんなの三十秒もかからないから、と笑ってキッチンへ持って行く。
「なんともマメなことで。ホントマユはいい嫁さんになるよな」
「まぁね。そうなるように努力してるからね。期待もされてるからホント大変」
言ってる間にカップをさっと洗って、洗いカゴに伏せるとすぐに戻ってくる。
まぁ、カップ洗うだけならホントすぐだしな。
俺はその間にマユの荷物を部屋のドアの前まで集めておく。
「えーと、マユの荷物はこのキャリーケースとバッグだけでいいんだよな?」
やってきた当初こそ一泊でなんでこんなに荷物要るんだと思ったものだが、今では若干納得までしてしまっている。
着替えっていうか、これちょっと服類持ってきすぎなんじゃね?
そりゃ小さいとはいえ、こんなキャリーケースが必要にもなるよ。
いやチラッと見ただけだから、中の全部を見たわけじゃないけどさ。
「うん。別に何か買ったとかじゃないから、荷物増えたり減ったりはしてないよ」
「ほいほい。んじゃ、忘れ物はないな?」
とりあえずこいつはハブ駅でコインロッカーにぶち込むまで、俺が持つことにする。マユに持たせても大変なだけだしな。
それに集団の中で女の子が一人だけゴロゴロやってたら、きっと俺の体面も良くないだろう。
「ん。大丈夫だよ」
良けりゃ行くぞーと二人で部屋を出る途中、玄関付近の壁にかけてあるストローハットが目に入る。そういやあったな麦わら帽子。
しかしマユの今日の髪型だとサイドテールが邪魔をして、被ろうとしても途中で引っかかってしまうのじゃないか。
「そういやこの麦わら……ストローハット、どうする? 手荷物にするにも邪魔なだけだし、キャリーケース、もっかい開けるか?」
「ううん。その必要はないよ。何故なら……こうだっ」
マユの出した答えとは。その時俺に電撃走る。なにこれCute。
それはサイドテールを避けた、斜めストローハットスタイルとでも言うのだろうか。
浅く、頭の上でちょこんと乗っかってる感じがなんとも可愛い仕上がりです。
「おお……。マユ、お前、天才だろ?」
これまた妙に似合うんだ。小悪魔的というか、いたずらっ子的な感じというか。
今のマユの格好なら、アド街のガールズコレクションに出しても何ら恥ずかしくないほどだ。
ううむマユめ。よもやここまでを計算してのサイドポニーだったのか! ……なんて恐ろしい娘!
「ふふん。それほどでもあるよ?」
「いやぁ、これはホント脱帽モンですわ。文句なし」
帽子だけにな。なんつって。
「帽子なだけにね」
セルフツッコミをしていた所に被せられて、思わず俺の方がずっこける。
「またベタなとこ拾ったなー。そういう姿勢、嫌いじゃないぜ」
「ユウ兄ちゃんの言いそうなことなんて、大体わかるからね」
「むむ。この俺が、先を読まれたというのか……!」
この娘は一体どこまで進化するというのか。全くもって、底が見えない。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、って言うでしょ。女子だって同じことだよ」
「むしろ俺の方が成長してないまである。まぁでも、色んな経験だけは積んだかなー」
その大体が先輩関連だというのも、まぁ、アレだけど。
いや、アレ系なことだけじゃなくてね? 色々あったからさ。ほらね。
「ふーん。じゃあ、私も新しい経験、積ませてもらおうかな?」
と見上げてくるマユさん、ここ一番のとてもいい笑顔。わー、素敵な笑顔ですねー。
「……今度は、何を要求してくるつもりだ?」
だから俺がすぐさま身構えてしまっても、それは仕方のない事だと言えるだろう。
誰だって、自分の身はできうる限り守りたいのだ!
「やだなぁ。そんなに警戒しなくてもいいじゃない。そんな、大したことじゃないよ」
いやいやって片手振ってるけど、俺は絶対騙されないからな!
「マユの大した事ないも、昨日今日で大分揺らいでるからな? マユは先輩に影響されすぎだ」
それもことごとく悪い方ばかり。まったく、付き合うお友達はちゃんと選ばないとダメですよ?
「あはは。大げさだって、ユウ兄ちゃん。簡単なことだよ。腕、組んでもいい?」
そういうマユさんは、まっすぐ伸ばした指先全部を合わせて上目遣い。これはあれかな? お願いのポーズって奴なのかな?
「腕? 腕を組むぐらい、前もしてたことあったろ? なんで今さら?」
人混みとか、満員電車とか、そういう時はよく捕まらせてるし、今更目新しいものでもないはずだが。さてはて一体。
「前までのは、歩行補助としてのやつだったでしょ。今日のはそうじゃなくて、恋人と腕を組む方の体験会だよ」
……ああ。そっちの。続いてたのね。てか、今日一日ずっとそういう方面で攻めてくる気なんですかね。
「……人前では、ダメだからな?」
だからせめてもの予防線を張っておく。特に今日はユキコさんと会うわけだし。どんなことになるかわからない。
「わかってるよー。でも、こんなの別にちゅうしてるわけでもなんでもないんだから。ユウ兄ちゃんは気にし過ぎだよ」
「バッ! おま、外で何口走ってんだ! 人に聞かれるだろ!」
慌ててマユの二の腕を引っ張るも、その当人は若干の呆れ顔。
「……聞こえたとして、何かマズいの? ちゅうって、こんな通りがかりでもう会うこともないような人にも聞かせられないようなことなの?」
「……いや、流石にそこまでではないけど」
まぁそう言われればそうなんだけど。なんだろう、俺が神経質すぎる……のか?
「じゃあいいじゃん。別にユウ兄ちゃんがサヤカさんと付き合ってることも知らない人に見られたからって、それが一体なんなのさって話だよ」
「まぁ……それは、確かに」
思わぬマユの正論に、ぐうの音も出ないのはこの俺です。今度は絶対ぐうとは言わないぞ。
「というわけで、えいっ」
と、言うが早いか勢い良く体ごと飛びついてくるマユ十七歳。たたらを踏む俺十八歳。
「ちょっ! 別に飛びつかなくったって腕ぐらい組むから! いきなりは危ないだろ!」
左手、もげるよ!? 痛いの、俺だよ!?
「ふっふーん。どうせ、こういうのサヤカさんならいつもよくやるんでしょ?」
なっ。何故、それを……? マユさん、エスパーだったの……?
「……マユよ。俺だけならともかく、先輩の行動まで先読みを……?」
「そんな高精度な予想じゃないよ。サヤカさんならやりそうだな、って思っただけだって」
そういうマユさんの表情は若干の苦笑気味。まぁそりゃそうか。まだ会って一日だしな。
逆に考えたらそれだけ先輩がわかりやすいってことでもあるんだが、まぁ、あの人だしなぁと俺は目の前のマンションの住人を思い浮かべる。
ここまでの所要時間、十五分。思ったより早く着いてしまった。
「で、マユよ。せっかく腕を組んでもらったとこ悪いんだが、もう着いた」
いやー、残念だなー。折角腕なんか組んじゃってペース合わせてたのになー。着いちゃったらなー。
「ええー。私のターンは今始まったばかりなのに。ズルくない?」
頬を膨らますマユさんよ。いくらリスの真似したって残り距離は伸びたりしないんですぜ。
「そう言われても。着いちゃったものは仕方ないだろ」
渋るマユを若干引きずり気味に、エントランスからエレベーターを呼んで待つ。
程なくやってきたエレベーターに乗れば、流石にマユも手を離して隣に並んだ。
「ふーん。サヤカさんはこんなとこに住んでるんだね」
「まぁ、普通の賃貸マンションだよ。俺らの方がよっぽど条件いいとこに安く住めてるぞ」
ホント、マユの伯父さんさまさまだな。とても足を向けては寝られない。イヤどこに住んでるかとか、俺全然知らないけどさ。
俺は現在進行形でいい部屋を借りさせてもらってるし、マユは来春からシェアハウスの予定だし。
しかもどちらも設備はいいのに格安ときた。ツテコネもなく普通に部屋を借りた先輩とは、土台比べるべくもない。
「そもそもマンション住まいとかしたことないから、まだいまいちピンと来ないんだよね」
「まぁ、住んでみれば色々不満点とかも見えてくるんだけどな。たまに遊びに来るだけだとどうしてもな」
とりあえず上下左右におかしな奴がいないかだけは、調べておきたいところだな。
もっとも、伯父さんの紹介物件ならそういうこともクリア済みなんだろうけど。
目的階に到着し、通路を歩いてドアの前。ひとまずチャイムを鳴らしてみることにする。
「……応答、ないね」
「んー、手が放せないのかもしれんな」
念のため、もう一度ぴんぽーんとやってみる。無反応。
「……反応、ないね」
「まぁ、だからってここに突っ立ってるわけにも行かないしな」
俺はポケットから部屋の鍵を取り出すと、自室の鍵の隣に並べてあるもう一つの鍵を鍵穴に差し込んだ。
かちゃりと鍵の開く音がして、俺はそのままノブをひねってドアを引く。
「……合鍵とか、普通に持ってるんだね……」
「まぁ、そりゃな。先輩だって持ってるし」
え、付き合ったら普通、鍵の交換とかするよね?
いやまぁ、俺は先輩意外を知らないけどさ。自然と交換してた。
「ふーん。まぁいいや。いこ、ユウ兄ちゃん」
マユにうながされるまでもなく、勝手知ったる先輩の部屋である。
とりあえず通りがかりに浴室をノックしてみるも、反応もなければ誰も入っていなかった。
ただ湿り気は感じるので、先輩がシャワーを浴びたのは確かなようだ。
「ドライヤーでも使ってんのかな?」
耳元でゴーゴー鳴ってたら、そりゃチャイムぐらい聞こえなくても不思議はない。
俺は続いて廊下と部屋を区切るドアを開けてみる。
「……うん。居たね」
果たして探し人はそこに居た。なるほどこれなら応答がないのも納得だ。
その実に幸せそうな表情は、この後も続く幸福な時間を決して信じて疑わない。
「……はぁ」
俺はひとまずシーツを両手で掴み、全力で床に引き抜いた。




