第二十一話 野球帽
「そうそう。あの時の野球帽が、これよ」
「どうも。野球帽のこれです。お久しぶり。おチビの麦わら帽子ちゃん。わたしのこと、覚えてて貰えてたかな?」
俺がわざとらしく片手を先輩に当てて紹介すると、既に察していたらしき先輩もそれに乗って恭しくマユに頭を下げた。
左手を体の前で折り曲げ、上半身をきっちり折り曲げる、いわゆる執事礼。
黒い執事の人がよくやってるあれである。もちろん目も閉じてな。
「う、うっそだぁ……。え、あのわんぱく小僧が、サヤカさん? え? 超綺麗なお姉さんですけど?」
あれがこれになるとか無理、と呆然とつぶやくマユ。地味に失礼だな。
「言われてますよ。わんぱく小僧さん」
「まぁ、わたしもあの頃は若気の至りというか、他の男子に舐められないように若干男子のフリしてたとこはあったからね。けどわんぱく小僧って言われるほど粗暴なこととか、した覚えはないんだけど。一応、当時から中身は女子ではあったから」
そりゃそうだ。成長とともに性別が変わるとか、魚じゃないんだから。
「だって……男子と先を争って高い橋の上から川に飛び込んでたじゃないですか。というか、ユウお兄ちゃんとはおいとかお前で呼び合ってたので普通に男の子だとばかり……」
まぁ、第二次性徴もまだなら、男も女も見分けがつきづらい年頃だしね。
野球帽はいっつもTシャツ短パン姿だったし。マユも小さかった頃の話だったから、無理も無い。
「正直俺もこの歳になって再会するまで名前も知らなかったし、再会した時は何度もあの野球帽かって聞き直しちゃったりしたしな」
俺の中の野球帽は元気に飛び回るボーイッシュな女の子だったのだ。
こんな綺麗なお姉さんになってるなんて思うわけも無し、なかなか目の前の現実を受け入れられなくても仕方ない。
「ちょっと? ユウお兄ちゃん?」
「わたしも。別に、見知らぬ土地で子供が一緒に遊ぶだけなら名前なんて必要なかったしね」
俺と先輩が頷き合えば、マユが突っ込む。だってほんとに知らなかったんだもん。
「しかたないだろう。小五の夏を最後におばあちゃんの家に行かなくなってからは、まったく会ってなかったんだから。たまにあいつ、今どうしてるんだろって思ってたぐらいで」
「わたしも同じようにおばあちゃんの家に遊びに行ってただけだったから、似たようなものだね。中学上がったら部活で行けなくなっちゃったし」
ということで、やはりどのみち小五の夏が俺と野球帽の最後だったわけだ。
普通にバイバーイで別れたっきりだったな。夕暮れのあぜ道で。今でも思い出せる。
「そう考えて、運命感じちゃったんですよね。二人とも小さいころに遠方の田舎で出会ってて、大人になってから再会を果たすとか。あれがなかったら多分、俺と先輩は大学で出会いすらしてないですよ」
「まぁね。無理やり連れ出された合コンもたまにはいい仕事するよ。まぁ、もう二度と行かないけど」
「先輩最後まで抵抗してたそうですね、あの合コン」
それをなんとかして連れて来てくれた先輩のお友達のユキコさんには感謝感謝である。
「合コン……運命の再会……予期せぬ方向からの刺客……」
あっ。マユさんの目が怪しい色を放っておられる。俯いてぶつぶつ言うのは怖いからやめよう?
「それにしてもさっきユウ君に言われるまで気づかなかったけど、今思い返してみればマユちゃんはあの頃のまま素直に育ったって感じだよね。可愛らしくて、小柄で、色白で。未だに麦わら帽子使ってるのは、なんかこだわりがあったりして」
先輩は玄関の壁にかけてあるマユのストローハットのことを言っているのだろう。
今は麦わら帽子って呼ぶと怒られるんですよあれ。
それにしても先輩がマユのことを覚えててくれてよかった。
ひと夏の付き合いしかなかったはずだけど、お互いに結構仲良くやってたからな。
覚えてる可能性は高いと踏んだとはいえ、良かった当たって。あれで外してたら……ゴクリ。
「おいマユ。戻ってこい。先輩が麦わら帽子になんか思い入れあるのかって聞いてるぞ」
俺は俯いたままぶつぶつ言ってるマユの両肩を掴んで、前後に揺さぶる。
ゆーらゆーらってそういう遊びじゃないんだから。
「麦わら……はっ。それは……ユウお兄ちゃんが昔、似合ってるって言ってくれたから……」
マユさんが服の裾をいじいじしておられる。乙女モードなのかな? 可愛いじゃねぇか。
確かにマユの白いワンピースとつばの大きな麦わら帽子はよく似合っていた。定番中の定番だよね。
「まぁベタな理由だこと。確かに似合ってるのが悔しいとこだけども。きーっ!」
「先輩だっていつものスラっとした格好、いいじゃないですか。かっこ良くて」
この間はパンツスーツ姿を拝ませてもらった。たまんなかったね。
「今はこんなザマだけどね」
両手を軽く広げて苦笑する先輩。その姿はねずみ色の上下スウェット。俺の部屋着である。
「ちょっと。人のスウェットけなすのやめよう? いくら灰色で地味だからって。部屋着だから適当に買っただけだし? 青のほうが良かったかなとか思ってないし?」
別にちょっとけなされたからって傷ついたりしてないし?
「そう言えばユウお兄ちゃん? なんでサヤカさんがユウお兄ちゃんの服を着てるの? そう言えば着替えって……あ」
自分で言ってて自分で気づいてくれた模様。マユさんは察しが良くてこういう時は助かります。
……あ、半眼で睨んでくるってことはこれ余計なことまで気づいちゃいましたかね。そこはお互いに触れないでおこう?
「……まぁ、そういうことで。着替えとか持ってなかったから助かっちゃったよ」
先輩もそういう時半端に照れながら言わない。よけい生々しくなっちゃうでしょ!
ぴろりろぴろりろぴろりろりー。突然何事か。炊飯器がお仕事を終えた音である。
「お、炊けた。ご飯が炊けましたよ、先輩」
「うん。わたしの炊飯力も捨てたものじゃないね。指先ひとつでご飯が炊けちゃったよ」
何だよ炊飯力って。女子力の一種なんですかね。
「スイッチ入れる時は誰だって指先ひとつですよ。はいはいお皿出してお皿。私はカレーを温めなおしておきますね」
マユは洗って水切りカゴに入れておいたしゃもじを俺に手渡すと、レスキュー鍋を置いたコンロに火をつけた。
「今度こそ焦がさないように頼むぞ、マユ」
「そしたら今度は卵かけごはんにでもしようか。美味しいよ」
「私が焦がしたわけじゃないからね!? まったくもう!」
マユががっしゅがっしゅ鍋底をこすりながらかき混ぜてるのを横目に、俺は先輩に手渡された皿にご飯をよそっていく。
一盛り。二盛り。三盛り……はちょっと多いらしい。半分戻せという指令。細かいな。
マユは二盛りでフィニッシュです。マユはあんま量は食べないからな。だからちっこいのか?
「ユウ君。先に言っておくけど、今回カレーのおかわりはないよ」
最後に一回り大きい俺の皿を差し出しながら、先輩が釘を差してくる。
「ええ、知ってます。そうなるとご飯の分量が難しくなってきますね。最大効率を見極めないと……」
いくらカレーが少ないからといって、やたらとご飯ばかり盛っても肝心のカレーの味まで薄まってしまう。
いかにカレーの範囲内に収まるように最大量のご飯を叩き込むか。これはそういう戦いなのだ。
六盛り……いや五盛りと半分と見た! ここだ! 正解は食事の後で!
「えーと、付け合せは紅しょうがでいいんだよね?」
手の空いた先輩が冷蔵庫から小さなタッパーに入った紅しょうがを出してくる。
一般的にカレーの付け合せは福神漬やらっきょうと言われているが、俺は紅しょうがで食べるのが好きなのだ。
なぜなら福神漬やらっきょうはなんか苦手だから! 福神漬はともかくらっきょうはマジ勘弁。
「む……。サヤカさん、なかなかやりますね。ユウお兄ちゃんの好みを把握している、だと……」
「わたしもいつもいつもやられるばかりじゃないさ。何故なら! ついこの間きのこカレー作ったばっかだからね!」
あー、あったなぁそれ。あれも美味かった。
珍しくマユに並べたことがよほど嬉しかったのか、先輩は胸を張ってどやーっとした顔をしている。
マユはその先輩の胸のあたりを凝視しながら、若干忌々しそうな顔をしていた。




