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第十六話 ピンチハンガー

「それにしてもキミ、随分と機嫌良さそうだね」


 先輩がじろりと視線を向けてくる。


「だってもうすぐカレーなんだぜ。それもマユのカレーなんだぜ。テンション上がるのは当然なんだぜ」


 わっほいわっほいと体が踊りだしても仕方ないんだぜ。


「マユちゃん。ユウ君が壊れた」


「いつものことだからほっとけばいいですよー」


 わっほい。わっほい。喜びの踊りは体で表現するのです。


「ユウ君は実家でもずっとこうだったのかい?」


「そうですねー。カレーもそうですけど、チャーハンの時とかも凄いですよ」


「あー。容易に想像がつくよ」


 先輩、そのうんざりとした顔はなんですかそれは。


「最初に普通のチャーハン作るじゃないですか。普通に中華風の」


「うん。ガラスープベースに醤油を一差しだよね。この間自分で作ってたよ」


 醤油は鍋肌を一周がポイントです。香りづけ目的だからね。


「ですね。それで、次に他の人と自分の分作るじゃないですか」


 俺はその間もりもり食べてるじゃないですか。


「その頃にはもう食べ終わってるって言うんでしょう? そのぐらいは予測済みだよ」


「いいえ。最後にもう一食カレー粉を使ったカレーチャーハンを作るんですよ。もちろんスプーンを握りしめて待ってるユウお兄ちゃんが食べます」


 カレーチャーハンっていいよね!!


「チャーハンですら二杯食べてるってことじゃないかそれ!!」


「チャーハン二杯はちょっと見てて胸焼けしちゃいますよねー」


「味が違ったら全然余裕ですよ。高校生男子舐めんなですよ」


 言わないだけで三杯目も余裕ですよ。一度ためしてみてもいいよ?


「なるほど。最初のを食べてるところを見ないように、最初と最後にユウ君の分を作るわけだね」


「そういうことです。続けて作っても冷めちゃうだけですしね」


「マユのチャーハンも当然美味いですからね。できるなら最高の状態で食べたいのは当然のことです」


 あ、思い出したらよだれが出てきた。じゅる。


「ユウお兄ちゃんは本当に美味しそうに食べてくれるから、何も言えなくなっちゃうんですよね」


「まぁ、わからなくもないけどね……」


 君たち。その残念そうなものを見る目はやめなさい。




 ピー。ピー。ピー。


 しばらくすると脱衣所の方から洗濯が終わったというアラーム音が聞こえて来る。


「お、洗濯が終わったみたいだな」


「それじゃ、そろそろ動き出すとしますか。洗ったら速やかに干さないとね」


 しかし外には干せない。今こそ、必殺浴室干しを繰り出す時なのだ。慈悲はない。


「突っ張り棒は洗濯機の横に立てかけてあります。ピンチは今持ってきますね」


 ピンチハンガー。いわゆる洗濯ばさみが一杯ついてる、よく靴下とかを干すやつのことだ。


 ベランダの竿に吊るしてあるのを、留め具の持ち手を握って外す。


 揺すって水滴を落としてみれば、結構びしょびしょになってることがわかる。


 外の雨はあの後も相当激しかったようだ。屋内にいると案外わからないものだな。


 今現在は多少治まってきたようで、しとしとという降り方に変わってきている。


 それでも降り込まれないように手早くピンチハンガーを畳むと、先輩の待ってる浴室へ向かう。


「私も晩ごはんの支度、そろそろ始めますね」


 マユも残っていたミルクココアを飲み干し、マグカップを三つお盆に乗せてキッチンへ運んでいく。


「あ、これ終わったら俺も手伝うよ」


「ありがと、ユウお兄ちゃん。準備しとくね」


「よろしくー」


 脱衣所で待機していた先輩にピンチハンガーを手渡し、代わりに突っ張り棒を受け取って浴室の壁へ設置する。


 ここでしっかり張力を確認しておかないと、全部落っこちて最悪洗いなおしということにもなる。重要な仕事だ。


 前後に押したり引いたりしてよくよく突っ張り具合を確かめると、ピンチハンガーを受け取って設置する。


「ん。これでいいと思います。それじゃ俺は飯の支度手伝ってくるんで」


「ありがと。別に見ていっても構わないんだよ? ピンク色だよ?」


「先輩のだけならそれもいいかもしれませんけどね。今日は遠慮しときます」


 それで怒られるのは俺なのである。実に理不尽なのである。受け入れたのも俺であるが。あ、別に理不尽じゃねぇやこれ。


「そりゃ残念」


「そのうちマユにまた怒られますよ。ほんとに」


 俺は最後に伸縮式ハンガーを数点手渡すと、脱衣所を離れてキッチンへ向かった。



「おーい、マユー。手伝うぞー」


「はーい。じゃあ、ユウ兄ちゃんはじゃがいもをお願い」


「任された」


 キッチンではマユが玉ねぎを微塵切りにしているところだった。


 俺は流しに洗って転がしてあるじゃがいもを手に取り、ピーラーでしゃこしゃこと皮を剥いていく。


 マユは流石の手際で玉ねぎをトントントントントントンと実にリズミカルに刻んでいる。


「手慣れたもんだな」


「毎日やってるからねー」


「てかお前、受験生になってもまだ毎日のご飯作ってるのか?」


「受験生受験生って周りはみんな言うけどさ、ユウ兄ちゃんだって去年結構自由にやってたじゃない」


 なんで私にだけ言うのかなと口をふくらませるマユ。


 手の方はザッザッと切り終わった分を順次まな板からざるへ移していく。


 移し終わるとすぐさま次の玉ねぎをセットして刻み出す。


 トントントントントントン。その包丁さばきは乱れない。


「そりゃあ、みんなマユのことが心配だからだよ」


「じゃあ、ユウ兄ちゃんは心配されてなかったってこと? 私、ユウ兄ちゃんがなにか言われてるの、見たことなかったけど」


「ばっかお前、俺がマユの前でそんな無様な姿晒せるかよ」


「ユウ兄ちゃん……」


 マユが包丁の手を止めて、じっと俺を見つめてくる。


「マユの前では言われないように、気配察知して逃げまわってたわ! 恥ずかしいし」


 マユの居ないところでは普通にそんなことで大丈夫なのってしょっちゅう言われてましたよ。ええ。


「……だよね」


「おやおや。そのガッカリとした表情は何かな? マユくん」


「べーつに。ユウ兄ちゃんが格好つけたがるのなんて、とっくに知ってたし? はい、これラップしてボウルごと五分チンして」


 玉ねぎを終了して、マユの手は今度はじゃがいもをさいの目に切り分けはじめる。


 俺は微塵切りのたまねぎが入ったボウルにラップを被せ、レンジに入れてタイマーを五分にセット。続けてスタートボタンを押す。


 ブーンという音と共に回転皿が回る。ボウルも回る。五分間のワルツをお楽しみください。


「ほい了解っと。そりゃあな。兄貴分としてはマユにだらしないとこ、見せられないし」


「えーえー、見事に騙されたのは私だけですよどーせ。飄々(ひょうひょう)とした顔であっさり大学合格決めて、さっさと家を出てったすごい兄ちゃんなんかどこにも居ませんでしたよ」


「えー、うっそー。俺、マユにそんな風に見られてたの? 普通に照れるし」


「そんな人は今消えましたよ。私は知りませんからね」


 なんかマユが拗ねモードに入ってしまった。唇を突き出してる。幼マユか、あざといな!


 もうちょっと何か弄ってやろうかと頭をひねっていると、背後から先輩の声。


「キミ達、随分と楽しそうだねぇ……」


「せんぱ――ひっ!」


 振り返ると、廊下から目だけを覗かせてこちらを見ている先輩の姿がそこにあった。

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