第3章 第18幕 燈都
双蛾は街の東の外れに立った。
山脈の裾野に平野が広がる。
魔境側には強固な壁を設けたが、人界側のこちらは無防備だ。
人界からの侵攻を警戒していないわけではない。
八年前には、ここで激しい戦があったのだ。多くの死者が出て界門が埋まった。
平野を見渡す。
ここからは見えぬが、いくつもの国や町が、この先にある。
南部旧領での諍いから、南盟が天元を襲ったと聞く。侵攻経路は故郷の村にほど近かった。戦火が広がっていたら、と思うと背筋が凍る。
だが、天衡道内部での確執により南盟の足並みが乱れ、天元とは停戦状態になっているそうだ。
紅蓮を思う。
離反したと聞き燈都にも衝撃が走ったが、不知火は一言で片付けて笑った。
「ジジイのことだから、何か一人で背負ったんだろ」
南の山並みへ目を向ける。
山頂は厚い雲に覆われ、見えない。
あそこに、紅蓮がいるのだろうか。
街へ戻る。
広場の中央で、地図を見ながら何か指示を出している不知火を見つけた。
「ねぇ、人界側にも投石機を置こうよ」
不知火は横目で双蛾を見たのち、地図に視線を落とす。
「それな。だが、どこに置くかが問題だよな」
双蛾も地図を覗き込む。燈都とその周辺が描かれていた。
人口が増え続け拡大する燈都。西側は城壁により固定されため、これ以上人が増えるなら、高層化するか人界側に拡げるしかない。西と同じような壁は築きにくい。
「投石機って、移動式にできるか」
「小型化すればできるけど、威力は落ちる」
「ないよりましだ。とりあえず作るか。それと――あそこに置けねぇかな」
不知火の指差す先には、山脈の断崖があった。
「北崖党の奴ら、岩壁を利用して砦を作ってるだろ。あれ、どうやってんだろうな」
山岳地帯である奈落で培われた技術なのかもしれない。
「聞きに行ったら、教えてくれねぇかな」
「行くなら一人で行ってね」
双蛾は苦笑し、ふと思い出す。
「前の燈都の書庫に、山岳建築の本があったんだけどなぁ」
「あぁ…燃えちまったか」
「うん……紅蓮にもらった本だった」
双蛾は再び、山頂の雲に目を向けた。
不知火も倣う。
しばし思いを馳せたのち、一呼吸して双蛾は言った。
「嶺州で借りられるか、聞きに行ってみるね」
「ああ、頼む」
不知火が口の端で笑った。
閻魔の元へ急使が届く。
南盟が、青都侵略の報復として燈都への侵攻を宣言してきた。
天元の国内では、紅蓮離反により南進派の勢いが削がれ、今ある領土を守る方向で団結が固まりつつあった。その矢先である。
「法嶽の野郎、本山との争いに専念するかと思ったが、やっぱりこっちにも手を出して来るか」
弁慶が舌打ちした。
「あいつらに…燈都に知らせねぇと」
閻魔は腕組みし、険しい顔で黙り込んだ。
廉朔が白い眉の下から閻魔を見た。
「確認ですが…和睦のために燈都を手放す気は、ございませんな?」
「当然だ」
閻魔が頷くと、宗烈が顎に手を当て呟いた。
「どの程度援軍を送るべきか…正直、燈都の戦力がどれほどか、私は把握しておりませぬ。援軍候補であった陽凱軍は、失ってしまったし…」
維辰が隅で小さくなる。
閻魔は真っ直ぐに宗烈を見た。
「まずは天元の守りに専念してよい。街に戦火がおよぶことは、絶対に避けねばならん。弁慶を残して行く。守りの要としてくれ」
「御意」
弁慶が怪訝な顔をする。
「俺を残して行く?…どこへ行くつもりだ?」
「燈都だ。此度の防衛と、今後の南盟対策……一度直接、不知火、双蛾と話しておきたい」
紅蓮のことについても――
その言葉を飲み込み、会議を閉じた。
柏仲将軍の小隊を護衛に、閻魔は燈都へと旅立った。
柏仲が禽馬を並べる。
「閻魔様。私も、残郷を救いたいと考えておりました…」
日に焼けた精悍な顔に、苦汁が滲む。
「それが、南盟に燈都侵攻の口実を与えることになるとは…申し訳ございません」
閻魔は静かに首を振った。
「いや、元はわしの考えから始まったことだ。…陽凱将軍のことは、残念であった」
「……竹馬の友でございました。蛇蝎様が亡くなり閻魔様の世が訪れたとき、生涯この御方をお支えしようと、誓い合ったのです」
柏仲が俯く。陽凱の鷹揚な笑顔が思い出された。
「…柏仲将軍。頼りにしておる。燈都までの道中、よろしく頼むぞ」
「…御意」
柏仲は静かに頷いた。
閻魔の言葉に、見慣れた燈都の面々がざわついた。
「南盟が、攻めて来る…?」
双蛾が眉をひそめる。
聞けば、人界側の守備の強化に、手をつけ始めたばかりだったという。
「戦わなくて済む方法はないのかよ」
焔が不安気な視線を寄越した。
「燈都を差し出せば、和平に応じると言っておる」
「いや、それは…」
「無論、そのつもりはない。――不知火、援軍は必要か?」
不知火は、足を組んで椅子を揺らしていた。一人だけ緊張感がない。
「んー…とりあえず、いらねぇかな。それより…」
椅子を戻し、机に肘をつく。
「元を辿ればこれって、閻魔が残郷に手を出し始めたのが、きっかけってことか?」
空気が、ぴたりと止まった。
視線が閻魔に集まる。
柏仲が僅かに動いたが、閻魔は手で制した。
「その通りだ。すまぬ」
不知火を真っ直ぐに見据え、頭を下げる。
「謝ることねぇよ。閻魔らしいなと思っただけだ」
不知火は手を振った。なぜかとても楽しそうな顔だ。
双蛾が息を潜めてそれを見ている。
「まあ、紅蓮のジジイの魂胆が、何となくわかったな」
紅蓮の名を聞き、閻魔ははっとして顔を上げた。
「そうだ、そのことも話したかったのだ。実は…」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
見張り台の男が、転がり込みながら叫んだ。
「敵影です!」
閻魔は即座に立ち上がった。
「僧兵軍だ…」
隣の禽馬の上で、黒鉄が固唾を飲むのがわかった。
双蛾は槍を構え、敵軍に目を凝らす。
数は――僧兵と雑兵を合わせ、千程度。こちらより、かなり多い。
多くの国の旗が入り乱れて見える。
周囲を窺う。
誰もが、張り詰めた顔をしている。
暁の戦に加わったのは、自分と不知火だけ。ほかの者たちにとっては、八年ぶりの僧兵部隊だ。燈都を埋めた惨劇の記憶が、あたりを重く包んでいた。
完成したばかりの移動式投石機が二台、前線の南北に運ばれて来た。
「とにかく、街には絶対入れんなよ!」
不知火が先頭に立ち、檄を飛ばす。
「いや…あの数だ。厳しくねぇか」
心なしか銀狐の声が震えている。
不知火はニヤリと笑った。
「突破されそうになったら、俺に秘策がある」
秘策――?
双蛾は不知火を見つめた。
(何のこと?聞いてない…)
不知火の意図がわからない。こんなことは初めてだった。
「ねぇ」
声をかけようとした瞬間、敵軍から怒号が上がった。
「こっちも出るぞ!」
不知火の合図で、味方が飛び出す。
仕方ない、やるしかない。
双蛾は迅を駆り、先頭へ躍り出た。
閻魔は城の回廊から戦場を見下ろしていた。
前線がぶつかり、あちこちで炎が噴き上がり、風が渦を巻く。
南盟がこれほど早く進軍してくるとは、予想外だった。
戦略を練る暇もなかった。
ただ、不知火のあの自信満々の顔は、何なのだ――
「閻魔様」
背後から声をかけられた。
柏仲だった。
「あの数の差です。燈都が落とされる可能性は十分にあります」
緊迫した顔をしている。
「閻魔様を、天元へお逃がしします。急ぎ、出立のご準備を」
「…ここを捨てて、わしだけ逃げろと…」
絞り出すように、閻魔は言った。
わかっている。自分は王だ。ここで命を落とすわけにはいかない。
だが感情が激しく揺さぶられた。
界門に町を作ると思い立ってからの、十年以上の年月が、仲間の顔とともに目まぐるしく脳裏をよぎった。
「閻魔様――」
柏仲がじっと閻魔を見つめた。
閻魔は小さく息を吐いた。
「…わかった。護衛を頼む」
左翼を縦横に駆け巡りながら、双蛾は敵を薙ぎ倒した。
頭上を無数の氷の刃が掠め、背後の自軍を襲う。
手刀を振り上げる。風の壁が立ち上がり、氷が砕け散る。
後方を振り返ったとき、街の外れから北へ出て行く一団が見えた。
(閻魔……どうか無事で)
目の端で見送り、すぐさま前方へ槍を振るう。一撃で二騎が倒れた。
右翼で雷鳴が轟いた。怒号と悲鳴が上がる。敵味方入り乱れながら、街のほうへ後退して行くのが見える。
どうする。右翼へ走るか。だがこちらも投げ出せる状況ではない。
突破される――
そのとき。
「お前ら、全員聞け!!」
騒音を突き抜け、不知火の声が響いた。
瞬間、戦場が止まった。
中央に、不知火の姿があった。
「俺は天元を捨て、離反するぞ!」
誰も、動く者はなかった。
「燈都は今から天元領じゃねぇ。独立国だ。俺が王だ!」
双蛾の鼓動が早くなる。
「天元への報復で燈都を攻めるなんてのは、俺が許さねぇ。こっから先、向かって来る旗は覚えとくぞ。後で必ずブッ潰しに行くから、来るならそのつもりで来い!」
両軍にどよめきが起きる。
「かかれー!!」
不知火の大音声が戦場に響き渡った。
一瞬遅れて、自軍の怒号が上がる。敵の動きが鈍い。
(秘策って、このこと――?)
気を取られていた双蛾の横を、炎の塊が抜けて行った。
閻魔のほうだ。
すぐさま手刀を翳し、風で炎を追い落とす。
その先に、目を見開いた閻魔が見えた。
「双蛾」
呼びかけられ、振り向く。
不知火が、すぐそばまで来ていた。
「柏仲じゃ心許ねぇ。こっちはいいから、閻魔のこと天元まで送ってってやれよ。それでな」
不知火はじっと双蛾を見つめ、そして微笑んだ。
「燈都はもう天元とは無関係だ。お前が天元に残ってこれからも閻魔を支えるか、燈都に戻って来るかは、任せる」
双蛾は口を開いた。が、言葉が出なかった。
矢が飛んで来た。そちらを見もせずに、不知火が炎を放ち、射落とす。
もう一度、双蛾を見つめた。
「じゃあな。閻魔を頼んだ」
禽馬を翻し、敵を斬り伏せながら、不知火は中央へと駆け抜けて行った。
気付けば、敵の勢いが削がれている。南盟の旗が、次々と退き始める。
双蛾は唇を結び、槍を握り直した。
迅の腹を蹴り、まだ立ち尽くしている閻魔の元へと、走らせた。




