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     ○○○



 この学校でハグをしない理由はいろいろあるけど、おおまかに分ければ二つにまでしぼりこめる。

 人が苦手か、恋愛がらみかのどっちか。

 潔癖症とか、対人恐怖症とか、そういう人はめったにこの学校を選ばない。だからあたしのハグしない宣言は、恋愛がからんでいるのがばればれだった。

 あたしたちのクラスには、彼氏がいるから、ほかの男子とはハグしないと明言する子がいる。ハグを恋人のためだけにとっておいている人は学校にたくさんいる。残念ながら、あたしに恋人がいるという情報はどこからも流れていない。

 誰かに想いを寄せている生徒も、ハグを拒むことがよくある。それが相手への宣戦布告のようになることもあるし、気を引くための行動ともされている。あたしはそのつもりがなかったのだけど、自分のやった行為は、まさしくそれにあたってしまうわけで。

 雅行が好き。そう、みんなの前で宣言してしまった。

 当の本人は、意味がわからず『……え?』とぱちくりしていたけど。

 ななみ? と続いた雅行の声は本鈴にかき消されて、結局あたしの宣言は曖昧に終わってしまった。

 SHR、基礎学習、現代文と、時間は無情にも淡々とすぎていく。あたしはもう雅行と話せないかもしれないと不安になり、隣の席でちらちら視線を投げかけてくる千鶴にも曖昧な笑みを返すしかなかった。

 けれどその心配は杞憂だったようで、三時間目の家庭科が終わりに近づいたころ、あたしは後ろの席からペンで背中を小突かれた。

「七海、七海」

 雅行だ。そう思うと、身体から変な汗が吹き出てくる。こわばる身体をきしませながら、あたしはおそるおそる振り向いた。

「……なに?」

「プリント見せて」

 お願い、と目を細める彼の頬には、今まで寝ていたらしく教科書の跡がくっきりとついている。はじめのころに配られたプリントのことはもう黒板に書いていなくて、ずいぶん前から寝ていたのだなとすぐにわかった。

 プリントを渡すと、すぐ返すから、とうつしにかかる。緊張した自分があほらしいと思うぐらい、雅行の態度はいつもと変わらなかった。

『もともと七海、ハグ好きじゃなかったからな。無理強いしないし、別にいいよ』

 戻ってきたプリントのすみに、あまり上手とはいえない文字でそう書かれている。しかも鉛筆ではなく、赤いボールペンでだ。授業の最後に回収したらどうしてくれよう。

 どうやら彼は、あたしの宣言を『誰ともハグをしない』と受け取ったらしい。後ろを振り返ってみれば、無邪気に小首をかしげてくる。

 ――鈍い。

 あたしは安堵とともに、脱力してしまう。

 この数時間で、すっかり胃が痛くなってしまったのに。ストレスで肌が荒れそうだったのに。

 一緒に落書きされたいんちきドラえもんに、あたしはのび太君になって、涙を出してすがりつきたい。

 タイムマシーンを出して。

 そうしたら、あんなこと言わないから。痛くても我慢するから。

 雅行がほかの子とハグしても、あたしとハグしても、痛いなんて思わないから。

  

       ○○○


「やっと進展したね、七海と雅行」

 千鶴に言われて、あたしはひとつ、ため息をついた。

「あんなことしなければよかった……」

「いんじゃない? いい加減見てるこっちがイライラしてたからね、動いてくれてよかったとチヅは思うなぁ」

 目線は決してこちらに向けず、千鶴はしゃんとまっすぐ立っている。あたしはもう一度ため息をついて、パンツが見えないよう注意しながらしゃがみ、ボードにあごを乗せてぼんやりと人並みをながめた。

 羽生高校の生徒がよく利用する駅。駅前はいつも人通りが多く、みんなあたしたちをしげしげと珍しそうに眺めていた。

 あたしたちと同じ濃紺のブレザーが、駅前や近くの街をちらほらと歩いている。その手にはそれぞれスケッチブックや厚紙、ベニヤ板やダンボールでつくったボードを持っている。それを高く掲げたり、胸の前に構えたりして、みんな思い思いに道行く人たちにアピールしていた。

 帰宅途中の生徒にまぎれているけど、ボードを持っているのがあたしたちの仲間だ。書きかたや色合いは十人十色だけど、そのボードにはひとつだけ、共通している言葉がある。


 FREE HUGS


 あたしや千鶴、それからボードを持つ仲間たち。あたしたちはみんな、羽生高校の『FREEHUGS同好会』に所属していた。

 FREEHUGS。あたしがその存在を知ったのはけっこう最近だった。

 FREEHUGSとはなにか。それを説明するのはちょっと難しい。なぜなら受け取りかたが人それぞれで、一概にこうだとは言い切れないものだから。

 街頭で見知らぬ人と抱擁を交わす。それによって互いの喜びや悲しみを分かち合ったり、あるいは愛や平和を生み出そうとしたりする活動。と、ネットでは説明されていた。

 人それぞれ感じかたが違うのだから、みんな何かしらの理由や目的があってすることで。漠然と言ってしまえば、ハグをすることで『なにか』を感じあう行動、とでも言ってしまおうか。

 その活動が今、世界中に広がろうとしていた。

 活動の一員であるはずのあたしは、実はまだ、自分がなんのためにしようとしているのかよくわかっていない。

 ただ、千鶴やほかのメンバーに見せてもらったネットの動画を見て、たとえようのないあたたかい気持ちが胸にこみあげてきたのは確かだった。そしてあたしもやろうと決意して、同好会に入ったのはいいけれど、実際はまだあまりハグをすることができていない。

 同好会の活動といえば、だいたいこうやって、人通りの多いところで人々とハグをすることだった。あたしもこうしていつも千鶴の隣に立ち、ボードを持ってアピールしている。何度か道行く人とハグをしそうな気配があったこともあったけど、その場になって急に足がすくんで、みんなかわりに千鶴とハグをすることになっていた。

 あたしのことを置いといて、実際にハグをしてくれる人がいるのかといえば、とりあえずたくさんではない。まだこの地域には、あまりFREEHUGSが浸透していなかった。

 ほとんどの人はあたしたちを怪訝そうな目で見て通り過ぎ、あるいは無視して、別の人は指をさしてげらげらと笑っている。いわゆるハグ高を知っている人たちはああほらと興味を示していたりするけど、いざハグしてくれるのはほんの一握り。ボードを持つあたしたちから無理にハグしたりするのではなく、むこうから来てくれるのを待つのがFREEHUGSだった。

 人間、そう簡単に見知らぬ人と抱擁を交わすことなんてできない。その気持ちはあたし自身がよくわかっている。

 家族とハグできるかと訊かれたら、あたしはできないときっぱり答える自信がある。恥ずかしい、照れくさいで頭がいっぱいになって動けなくなる。もちろん親だって、突然娘に抱きつかれたら驚くに決まってる。

 家族とできないことを、何も知らない人とさも当たり前のようにする。そのことに、羽生高に入学したてのころのあたしはとても抵抗を感じていた。なんでみんなそう簡単にハグできるのか、理解できずにただただ戸惑っていた。

 けれど毎日のように学校でハグするうちに、なんとなく、その心地よさのようなものがわかってくるようになった。おはようの挨拶と一緒にハグすると、自分がとてもやさしい気持ちになれた。お互いのあたたかさが混じりあって、言葉にはできないなにかを分かち合えるようになったとき、あたしはハグが嫌じゃなくなった。

 たとえば、千鶴とハグしたとき。お互い腕をまわして抱き合ったとき、胸の中が嬉しさのような喜びのような、あたたかいものでいっぱいになる。壁のようなものがなくなって、なぜだか涙まで出てきそうになることもあった。ぎゅっと抱き合うことで、自分の抱えている小さな悩みやもやもやが、すっと溶けてなくなってしまうような、そんな癒しがあった。

 でも、それをFREEHUGSでも同じようにできるかというとあたしにはまだ難しくて。お互いを知っているからこそハグができるわけで。千鶴のように街頭に立って知らない人とハグする勇気は、あたしにはまだ、足りていない。

 今のところ、活動の最中にハグをしに来てくれるのは、同じ学校の生徒が大半だった。あとはテレビやネットでFREEHUGSを知った人。それから、あたしたちを見て好奇心をかきたてられた人。


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