67 恋するということ
「しかし好きという気持ちはあっても、わたしは彼女に正直にそれを伝えることができない。自分の口からその言葉が出たところを想像した瞬間、なんと恐ろしいことでしょう。わたしは地獄に落とされたような気持ちになるのです」
と円悠は、展望台からの眺めから視線を外すと幾分、落ち込んだ様子で俯き気味に言った。
「何故また……」
「それが不安というものでしょう。わたしと同じようなことを相手が思っているのか、いまだにわたしは知ることができずにいるのです」
「直観というものがあるでしょう……」
と祐介は、自分の過去を振り返りながら思った。鶴岡八幡宮の階段を降りてきた人のことを、その前のもっと以前に好きだった人のことを。そして、今遠くにいて好きでいる人のことを。いずれにしても、直観とは心と心が相互に触れ合う瞬間である。そういうものはまったく非言語的なもので、ふっと自分の心に相手の心があらわれてくるものである。
「感性があれば、相手がどう思っているかはおのずと分かるはずです」
と祐介は言いながら、しっかりと円悠の顔を見た。ところが円悠は、手を振って否定の意を示した。
「そうではありません。直観というものは確かにあります。しかしわたしがわからないのは相手の心ではなくて、もしかしたら自分の心の方なのかもしれないんです……」
「自分の心が……。というと、自分が果たして相手のことを本当に愛しているかどうかということですか」
「そうかもしれません。好きという感情が湧き起こると幸福なようでもあり、とても不幸なようでもあります。その先になにがあるのかわからないんです。どこか、空っぽな偶像崇拝ではないか、なんて気がするんです」
と円悠が語っているところをみると、仏教を学びながらも、自分の感性を大切にしている好青年のようだった。
「この気持ちがずっと続くのか、ある時、ふと空中に投げ出されたかのように何もかも無くなってしまう。無感情。そうなった時を想像する。実際のところ、わたしたちは会って一年足らず、すべてのことを互いに分かりあっているはずがありませんものね。蝋燭の灯りは揺れ動いていて、ふっと消えてしまう。それがとても怖いような気がしますね」
というと円悠は、ふうとため息を吐いた。
「それはあなたが責任を感じているからですよ。つまり、あなたは愛を永久に持続させることに責任を感じているからそのような不安を抱くのです。もしも、あなたが相手を不幸にしてもよいと思っていたら、そんな不安は到底抱き得ないでしょう」
「いえ、そんなことではないのです。感情がいつか枯れる時がきて、もし、彼女を失う悲しみすらも抱かなくなったら……」
円悠はなにか物憂げな様子であった。若者らしいメランコリックな気持ちなのだろう、と祐介は想像しながら聞いていた。
しかし、不思議だな、と祐介には思えた。あれほど論理強く手強かったお坊さんが、恋愛ごとにはこんなに心を乱していて、自分に切々と悩みを打ち明けているということが……。
ふたりはそこから坂道をさらに下っていった。汚らしいラーメン屋が一軒、立っていた。ここで食事を摂ろうと円悠が言ったので、祐介はそこに入った。
ふたりは赤いテーブル席に座り、ラーメンを二つ注文した。祐介は円悠という青年の顔をまじまじと見ながら水を飲んだ。円悠はコップの水が揺れているのを見て、
「心が乱れているのです。このコップの水が揺れ動いているのと同じように……」
と言った。
「それは仏教においては罪ですか」
と祐介が尋ねると、
「いえ、この揺れ動く心の中にこそ真実があるのです。煩悩即菩提。つまり迷いの心こそが悟りの心なのです」
と円悠が答えたので、祐介は訳がわからなくなった。
「それじゃ、あなたは恋をすることで悟りを開こうとしているのですね」
と祐介が尋ねると、
「いえ、恋は勝手に落ちてしまったのです」
と円悠は言って、はにかんだ。
 




