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61 のぞみとカフェラテ

 のぞみはその後、仏像や禅僧の書画を拝んで、美術館を後にすると、ふらふらとした足取りで、噴水のある広場を歩き、昼食を摂るために上野恩賜公園内のカフェに入った。そこで日の当たる公園が眺められる椅子に座り、生ハムの挟まったサンドウィッチを頬張りながら、たった今、見てきた色々な仏教美術について想いをめぐらしていた。


(つまり、曼荼羅(まんだら)ってやつはきっと宇宙そのものだ。それで仏さまっていうのはひとつひとつが異なる智慧(ちえ)の象徴で、無数に集まってこの宇宙が成り立っているようだけれど、それは大日如来という巨大な存在にことごとく包括されているってことさ……)

 それが曼荼羅を見た時に、のぞみが感じたことだった。あの時、根来という刑事に熱弁したものの、真意が伝わっている手応えはまったくなかった。それでものぞみにとって、しばらく気になっていたことがようやく分かったものだから非常に満足していた。


(つまり、この世のありとあらゆる存在は、大日如来という無限大の存在から派生した数多の現象に過ぎないということ。このサンドウィッチも、このお盆も、わたしという存在も。この風も、あの噴水の水も、そこに止まっている雀さえも……。聖なるものも俗なるものもすべて、一つの普遍的な真理が敷衍して現れ出た個別的な存在に過ぎない。だとしたら……)

 のぞみはカフェラテを震える手で握りしめた。熱い。手のひらが熱いのである。のぞみはそれを我慢しながら、一口啜った。


(森羅万象はわたしたちの意識を超えて循環している……。そして、存在と存在は互いに関わり合って、引き離すこともできない。異なる存在同士のようだけど、この宇宙という箱庭の中で是非もなく生滅を繰り返しているのは、ただ一つの白い砂の形の変化なんだ。それらの根源をとらえるのは無差別の認識、すべてのものを一体とみる境地、それはつまり大日如来という宇宙仏の認識。つまりすべてのものはただ一つの巨大な存在だということ……)

 のぞみは震えていた。叫び声を上げたくなった。おそらく、この場で叫び声を上げれば、多くの人が驚いて振り返るだろう。

(つまり日本の民俗信仰と仏教の教理の融合点はここなんだ……)

 のぞみはお盆に落ちている一枚のレタスを指でちぎりながら思った。


(つまり、日本の民俗信仰って突き詰めると個別的な現象そのもので、日本各地にさまざまなものがあるように、古来より神々は無数にましまして、その信仰のあり方はそれぞれ異なっている。あの白緑山がまさにそのような民俗信仰の霊場じゃないか。それは疑いもなく日本人の霊魂観だけど、それだけだとインドの深淵な教理と上手に結びつくはずがない。そこに仏教の限界があるとわたしは思っていた。ところが、ありとあらゆる信仰を、大日如来という巨大な存在が敷衍したものと捉えたところに、民俗と教理の融合点、神仏習合の論理があるんだ……)

 のぞみはそう思うと、右手の中のレタスを口の中に放り込んだ。


「白緑山に戻ったら、円悠にそう言ってみよう……」

 のぞみはそう思って、再びカフェラテを一口飲んだ。

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