62 祐介と円悠の問答
羽黒祐介は、松浦旅館の一室の片隅で昨夜、自分が巻き込まれた殺人事件についてあらためて考え直していた。
(仏教について詳しくないから、一向に事件の真相に近づけている気配がない)
祐介は渋い味の煎茶を啜りながらそう思った。無理もないことだった。観音堂のことも何もかも祐介にはまるで分からない。おそらくこの事件を解明するには、仏教の専門的な知識が必要なのだ。
二年前と今回の両殺人事件において、觀音堂の観音菩薩像に供えるように遺体が横たえてあった事実は、特に祐介の関心をそそるものだった。祐介は観音菩薩に秘められた意味が分からないが、今のところ、ふたつの事件の唯一の共通項であるからよく考察していきたいと思っているのである。
(観音菩薩とは……)
肝心の時に胡麻博士はどこにいるのだろうと祐介は思った。
昨晩、胡麻博士は深夜になってからようやく旅館に帰ってきて、主人の松浦さんに掛け軸のことを謝るなどして、ずいぶん遅くまで人騒がせな様子だった。それが今朝になるともうどこにも姿が見えないのだった。おそらく、娘のいるアパートに向かったのだろう。
(困ったな……)
するとその時、旅館の階段をゆっくり登ってくる足音があったので、祐介は身構えた。
(一体誰だろう……)
「失礼します」
「はい」
静かに室内に入ってきたのは昨日、白緑山寺の二つに分かれた山道で問答をしかけてきた若い僧侶だった。僧侶の格好ではなく、黒い上着にジーンズという私服である。美しく剃り上げた頭をしきりに撫でている。
「あなたは……」
「円悠と申します。昨日は失礼いたしました。探偵の羽黒さんですね?」
「ええ。昨日のことはもうよいのですが……ところで何かご用でしょうか」
「胡麻先生はいらっしゃいますでしょうか」
「いえ、朝早くどこかに出掛けたようです」
「そうですか。いえ、あの時は仏教民俗学の大家である胡麻先生とは思ってもみなかったことですから大変な失礼をいたしました。是非ともお会いしてお話ししてみたいと思っていたのですが……」
「そうですか。それは残念でしたね。でも彼は実際に話してみるとただ奇妙な老人で、その言動は風変わりなものばかりですよ」
と祐介は昨夜の不満をこめてそう呟くように言った。しかし円悠はにっこりと微笑む。
「いえ、仏教の覚者とは皆、そのようなものでございます。世間一般とは異なる生き方をしているのでちょっとやそっとのことではその器が測れないのでございます」
「はあ」
祐介は分かったようで分からない気持ちになった。
「わたしは昨日、あなた方に少しばかり意地悪なことを致しましたね。二つの道のいずれが本堂に通じているかと尋ねられて、通じている道は「無い」と答えたのです。ところが実際には、どちらの道も本堂に通じていたのです」
「何故また……」
「あなた方は、本堂に通じているということ、すなわち「有る」と、本堂に通じていないこと、すなわち「無い」のいずれか一方に常に心がとらわれている状態でありました。しかし「有」と「無」などというものはそもそも空虚な概念でしかありません。そのいずれからも解き放たれた「絶対無」こそが真実の意味において、本堂の御仏に通じている道なのです」
「あなたもわからないことをおっしゃる……」
祐介は頭が痛くなった。しかしこういうことを問い詰めてゆくと事件の真相も分かってくるかもしれないと思えてきた。
「しかし、円悠さん。二つの道は現にどちらも本堂に通じていたのでしょう。それならば、二つの道はどちらも「本堂に通じている道」だったことになる。その答えが一体何故「通じて無い」だったのでしょうか?」
ミステリー小説の探偵の悪い癖ですぐに反論をしてしまうのである。
「羽黒さん。あの道を通じているとか通じていないとかのいずれかと捉えたとして、あなたは二つの道のいずれかを選んで進めば、本堂に辿り着くことが容易にできることでしょう。しかし、あなたの心はその後もあの道の中途で迷い続けているわけですね。何故ならば「有る」とか「無い」とかいう虚妄の観念に惑わされて、思考というものの迷宮を彷徨って、そこから一歩も脱することができないままだからです」
「でも、あなたはあの時に確かにおっしゃった、本堂に通じる道は「無い」と。この「無い」という言葉についてはどうですか? あなたのおっしゃったこの言葉は、あなたのおっしゃる虚妄の観念には当たらないのですか?」
「わたしの語った「無」は、すなわち「空」のことです……」
そういうと円悠はふうっとため息をついた。
「空というのは、この世は夢とか幻のようだといわれる……」
「ご存じでしたか」
「いえ正確に存じてはおりません。そのようなことを胡麻博士が語っていたので……。つまり有無を超えた絶対無のようなことをおっしゃったのですね。しかしすべての観念を失ったとしても、あの道が本堂に通じている道であることには変わりませんね」
「それはすなわち仮相というものでございます。仮に生じたにすぎません。だから夢や幻のようなものなのです」
「いまいち分かりきれませんが……。もしや、あなたは「本堂に通じている道」なんて観念的なものははじめからどこにもなくて、あるのはただの「道」という存在のみだとおっしゃっているのではないですか。本堂に通じている、通じていないという人間の都合と関わりなく、その道はただその道という存在としてのみ現前していると……」
「少しずつお分かりになってきているご様子ですね。ところがその道すらも「道である」のと同時に「道ではない」の代物なのです」
「それはきっと道というものが、観念の幻だとおっしゃりたいのですね。でも、自然にできたものではない人工の道を「道ではない」と言い切るのは難しくないですか」
「道を作った人がいたとしても、道を歩く人には関係のないことです。あなた方はただ土と石の上を歩いているだけのことです。その存在を道と認識するのはやはりあなたの観念が働いているおかげなのです。存在は因果の寄せ集めに過ぎない。それでもあなたの観念が働いている限りにおいて、それは道として存在することができるでしょう。これが「存在」と「非存在」、すなわち「有」と「無」のいずれにも偏らない「空」の認識というものです」
そう言いきると円悠は自分で納得するように深く頷いた。




