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21 胡麻博士の講義

 胡麻博士がソースカツ丼を食べている間、のぞみはずっと胡麻博士の言っていたことが気になっていた。

 胡麻博士は、ソースカツ丼を食べ終えて、ふうとため息をついた。そのタイミングで、のぞみは恐る恐る話しかけた。

「それで、あの、先生……」

「うん? どうされた」

「来迎図については……」

 のぞみがそう言いかけて、その先が上手く言葉にならなかった。


「ああ、そのことかね」

 胡麻博士は、ソースカツ丼を食べ終えた後の煎茶を美味そうに飲みながら、小さく空咳をする。

「どういうことでしょうか。もう少し、詳しく教えてください」

 とのぞみは言った。

「よかろう。もし興味があるのなら……。しかし信仰の歴史というのは難しいよ」

「どうにか理解できるよう頑張ります」

 のぞみの意気込みに、胡麻博士はわずかに面食らったようにハンカチで汗を拭った。

「まあ、はじめはSF小説の用語かなにかだと思って、分からないところがあっても、あまり堅苦しく考えないことだ。なにから話すべきかね。ううむ。そうだな。まず前提として、仏教の死生観を話さなきゃならないな。輪廻転生はご存知かな?」

「はい……」

「それでは、輪廻転生について掘り下げてゆこう。仏教というのは、そもそもインドの信仰の上に成り立っているのだね。インドの古代文明といえば、ぱっと思い浮かぶか分からんが、インダス文明だね。そのインダス文明を築いたのはドラヴィダ人という先住民族なのだよ。このドラヴィダ人は、死後、ヤマという支配者のいる死後の世界に転生する他界観を持っていた。ヤマというのは今で言うところの閻魔(えんま)だね。

 対して、これを侵略したのがアーリア人という遊牧民族だ。この人らは古来より自然を崇拝していた。

 当時の祭祀に関する賛歌である『リグ・ヴェーダ』によれば、死後、人間の魂は気体となって天に登って雲となり、雲は雨となって大地に降り、雨は植物となって生えて、それを動物が食べられて動物となり、その動物の肉を食べて人間の内部に入り、再び人間として生まれてくるという。つまり、魂は流転するというわけだ。アーリア人はこうした初期の輪廻転生(りんねてんしょう)思想を持っていた。

 遊牧民族アーリア人は先住民族ドラヴィダ人を侵略し、インドの大地に定住するようになって、ここに支配者と奴隷という身分差別が生まれたわけだ。

 ドラヴィダ人とアーリア人の持っている二つの信仰がインドの大地で合流してゆく中で、この世とあの世が明確に分裂している死生観と、この世において魂が流転している死生観が合わさった。こうして現在、我々の知っている、死後、人の魂が死に変わり、生まれ変わりを繰り返してゆく輪廻転生の信仰に変化していったのだね。死後に生まれ変わる世界は、人間道であることもあれば、地獄道であることも、畜生道であることも、餓鬼道であることも、修羅道であることもある。これがつまり六道というやつだ。これがインド仏教の死生観だとしよう。それが日本に入ってくると、どうなるか……」

 のぞみは輪廻転生というと、人には前世があり、今世があり、来世があるというイメージだけがあったので、そうしたインドの自然信仰がベースにあったとは想像もしていなかった。


「ところが日本人は、こうした仏教が伝来する前から、死の世界に関する信仰を持っていたのだね。それがたとえば、山の上や、海の彼方を死後の世界とする信仰だよ。日本人にとっては、人は死後、魂と肉体は分離し、魂は山に登るか、海の彼方に渡ると考えたのだ。これはつまり、山の上に遺体を野ざらしにして葬る風葬、そして川や海に遺体を流して葬る水葬の文化から自然と生まれてきたものだろう。死後に肉体から離脱した霊魂は、供養が繰り返され、浄化されてゆく中で、祖霊に昇華し、山の神となり、春から秋にかけては、田の神として農業をつかさどり、新年には年神となって、我々の生活を見守ってくれる存在になるというわけだ。これはつまり、霊魂昇華説というやつで、死霊が昇華して、祖霊になったというわけだ」

 と胡麻博士は、いつになく真面目にのぞみに分かるように説明を続ける。

「なるほど。日本には日本の信仰があったのですね」

 とのぞみは頷くが、情報量が多すぎて、すぐには飲み込めない部分もある。


「すると、日本に仏教が伝来するということは、またしても、二つの信仰が合流するわけだな。インド仏教の輪廻転生(りんねてんしょう)の信仰が仏教と共に日本に伝わってきたのは、欽明天皇の時代だ。日本人はインドの仏を、はじめのうち、異国の神として受容した。のちにおいても、日本の神とインドの仏の正体は同一のものとして信仰されることになったのだよ。そうした中で、阿弥陀の極楽浄土信仰も大陸から流入してくる。

 阿弥陀の浄土ーー仏を教主とする世界のことを浄土というのだがーーこれをすなわち極楽浄土という。そこは理想郷とも言えるところで、いわゆるユートピアというわけだ。ディストピアではないよ。阿弥陀の名前を一心に唱えるものは、この極楽浄土に生まれ変わることができるという。こうした仏教の信仰と山上を死の世界とする日本の信仰が、日本の風土の中で、自然に合流していった。すなわち、日本人にとって極楽浄土というのは、教義上は西方にあったが、民間信仰のレベルでは山の上や海の彼方にあると思われていた。来迎図の阿弥陀は、死の世界ーーすなわち極楽浄土ーーである山から下ってきているのだ。それが表現されているのが、阿弥陀の来迎図だということを、わしは言いたかったのだよ」

 と胡麻博士は言い切ると、ふうと疲れた様子で、ため息をついた。


「そうなのですね。勉強になりました」

「喉が渇いてしまった。お茶をすまんがもう一杯……」

「どうぞ!」

 とのぞみは急須を取ると興奮のあまり、大量に溢しながら勢いよく注いだ。

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