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19 若宮食堂のふたり

 のぞみはもやもやしながらも、湯上がりのみずみずしい体をふんわりとしたタオルで拭き、脱いだ服を来て、ドライヤーを使用して髪を乾かすと、脱衣室を後にした。


 ふたりはその日帰り温泉施設からわずか十メートルの距離にある若宮食堂という、古めかしい飲食店に向かっていた。

 白く濁ったショーウィンドウの中には、一昔前の食品サンプルが置かれている。ここはソースカツ丼が有名ということだった。

 ガラガラと音を立てて、のぞみが戸を開くと、右側には座敷、左側にはテーブル席が並んでいて、奥に厨房があるようだった。

「いらっしゃいまーせー」

 と言いながら、いかにも気の良さそうな四十代ぐらいの女性が、白いエプロンをひらめかせて駆けてきた。

「おふたり様ですか。お座敷にします? それともテーブル?」

「せっかくだからお座敷にしよっか」

 と楓は座敷が好きなものらしく、のぞみの方をちらと見ながら、訴えるように言った。

「そうしようね」

 のぞみはどっちでもいいと思っていたが、楓の顔を見て、そう答えた。


 座敷に上がろうとして、のぞみが右側に一歩足を踏み入れると柱の影に隠れていた一画に、ふたりの男性が向かい合って座っているのが見えた。

 黒い前髪がさらさらとして、美しい切長でありながら優しい目にわずかな憂いを宿し、誠実そうに口を一文字にとじて、静かにお茶を飲もうとしている二十代くらいの美男子と、灰色の髪に顎髭をたたえて、丸眼鏡をつけている異様な風体の年寄り風の男性がなにか朗々と語っている。

(このふたり、何者……)

 とのぞみが思った瞬間、

「お、お父さん!」

 と楓が叫んだ。


(お父さん?)

 のぞみが驚いて、楓の顔を見たのと同時に、その年寄り風の男性が振り返り、あっと叫ぶと、座敷からすくっと立ち上がった。

「楓!」

 男性は、目を見開いた恐ろしい形相で、靴下のまま、座敷から土足の床に飛び降り、楓のもとに飛び込んできた。

「うわっ!」

 のぞみは驚いて、その場から離れようとし、近くのテーブルにぶつかって、メニューがばらばらと床に落ちた。

「なんだ、お前も温泉に来ておったのか! 羽黒さん。これが先ほど噂した、わたしの娘の楓ですぞ」

 羽黒さんと呼ばれた青年はすっと立ち上がり、驚いた様子で丁寧にお辞儀をした。

「君が楓さんですか。はじめまして、私立探偵の羽黒祐介と申します」

「えっ、羽黒さん……?」

 楓は素っ頓狂な声を上げた。その名前に聞き覚えがあるらしかった。


「君はもしや、楓のお友達かな」

 と年寄り風の男性ーー要するに胡麻博士なのだがーーが震える声でのぞみに尋ねてきたので、のぞみはその異様なオーラに怯えて、発声できず二回、高速で頷いた。

「そうか。そうか。楓にもようやく友達ができたか…….」

 と今にも泣き出しそうな声で胡麻博士が言ったので、楓が手を横に振って、

「以前から友達はいるよ!」

 と訂正した。


「いや、それにしてもだな、こうしてお前が友達と一緒に温泉を訪れているなんて、わしからしたら嬉しいもんじゃよ。雨の日も風の日も、育ててきて本当によかった。ああ、よかった。鼻水が……」

 胡麻博士がハンカチで鼻を拭う。楓は小さく、きたな、と呟いた。

「こんっなに小さかったあの楓が……」

 と言いながら、胡麻博士は小鳥程度のサイズを両手でつくる。

「そんなに小さくないよ!」

 楓が叫ぶ。

「これからもうちの楓をよろしく……」

 と胡麻博士は、のぞみに深々とお辞儀をした。


 その時、座敷に立っている羽黒祐介が小さく頷いて、パチパチと拍手を打ち始めた。店内にいた三人の店員(店主を含む)も、それに倣って、拍手をはじめる。店内には拍手の音が響き渡る。

「違う! そんな感動的な状況じゃないから!」

 と楓が恥ずかしくなって、まわりを抑えようと焦る。


「いいお父さんじゃない」

 とのぞみは楓に感想を伝えると、楓は、いやーと頭を掻いている。あなた、本気で言っていますか、と楓は言いたいのだろうけれど、まわりの賞賛する雰囲気に押されて、黙っているようだった。

「そこのお父さんたちの席にお座りなさい。今、おしぼりとお水持ってくるからね!」

 丸々とした女将さん風の店員が指をさして、ふたりは、胡麻博士と羽黒祐介の隣に座ることになったのだった。

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