15 円悠の縁結び論
山門の入り口の両側には、肩の筋肉を盛り上がらせた金剛力士がいかにも厳めしい出立ちでそびえ立ち、歌舞伎の見栄を切るかのように宙を睨みつけているのだった。
楓は、ふんふんと鼻歌を歌いながら、その二体のうち、右側の金剛力士を見上げている。その様子を後ろから見つめているのぞみは、楓があまり仏像に抵抗を示していないことにほっとして胸を撫で下ろした。
のぞみは、本堂の方へと楓を案内した。山門から入って、石段を登った正面に、巨大な屋根のいかにも重たそうな本堂があった。それは大きいものの、大仏殿というほどの大きさはなく、外見は風変わりなものでもないので、右手の五重塔の方が目を惹いたのだろうか、楓は何も言わなかった。
「ここが本堂だよ……」
のぞみがそう言うと、楓は、
「じゃあ、御本尊が祀られているんだね」
と言った。
「そう。お参りしていくよね」
「うん」
「御本尊は阿弥陀様なんだ……」
「ああ、そうなんだ。じゃあ、縁結びの効果はあるのかなぁ」
「さあ……」
のぞみはこの日まで阿弥陀様に縁結びのご利益があるかなんて考えたこともなかった。それどころか、一年前までは阿弥陀如来も釈迦如来も薬師如来も同じ「仏様」としか思っていなかった。
(わたしに質問されてもなぁ……)
こんな時に円悠がいてくれたら、どんなに助かるだろうと思った。
ふたりが本堂の観音開きの扉の中に入ると、甘いようなすうっとするお香の香りが立ち込めているのが分かった。薄暗い堂内には、柱が何本も並んでいる。天井には金色のシャンデリアのような天蓋が吊るされていて、視線を落とすと、ゆらゆらと蝋燭の灯が燃えている。大きな檀の上に蓮華座があり、金箔のところどころ剥げた阿弥陀が座っていて、両手で印を結んでいる。その印は、阿弥陀定印という印だとのぞみは知っていた。
阿弥陀は、大きな両眼を半分閉じて、どこか眠たげにのぞみを見つめていた。のぞみは背中がゾクリとした。それは自分の心を見透かしている目だった。
(わたしの恥ずかしいところや悪いところを何もかも知っている目だ……)
のぞみはわずかに恐怖を感じた。阿弥陀の表情の中に、自分のよいところも悪いところも、希望も不安も、鏡のように映っているように見えた。
「この仏像はいつ頃つくられたものなの?」
と楓が尋ねてきた。
「えっ、平安時代だそうだよ」
と言ったのぞみは、わずかに不満を感じていた。
「へぇ、平安時代なんだ。ちょうど授業でやっているところだよ。ニホンザルって呼ばれている先生の仏教史の講座なんだ……」
(ニホンザル……)
のぞみはその言葉に、楓が自分ほどは仏像に感動していないことを悟った。
「平安時代も終わり頃の十二世紀につくられたらしい……」
とのぞみは誤魔化すように説明を付け加えた。
「そうなんだ……」
ふたりの会話はどこかぎこちなかった。のぞみが本心を隠しているせいでもある。楓が自分の知らない仏教史を知っていると想像するとのぞみは若干、癪に触った。
「お賽銭は五円でいい?」
と言いながら、楓は財布から五百円をつまみ出し、それをもう一度、財布に戻して、五円玉を取り出した。
「うん」
楓は、棺桶のような大きさの賽銭箱に、五円玉を放り投げた。五円玉は、金属と木のぶつかる音を立てながら、賽銭箱に呑み込まれてゆく。
それから楓は合掌し、何事か念じ始めた。のぞみは合掌すると、
「南無阿弥陀仏……」
と小さく唱えた。
のぞみは阿弥陀に想いを馳せたかったが、隣の楓が何を願っているのか気になってしまった。
(一体、誰との縁結び……)
楓の枕元に置かれていた密教の法具、金剛杵……。
(そもそもあれは楓が縁結びのためにどこからか仕入れてきたものなのかな、金剛杵にそんな呪力があるとは聞いたことがないけれど、ないとも言い切れないのが信仰の世界だよね)
とのぞみの想像は膨らむ。
そこでふたりの背後から、
「森永さん!」
と呼ぶ声が聞こえてきた。
のぞみが驚いて振り返るとそこには円悠が立っていた。円悠は、のぞみの隣に立っている楓をちらりと見て、それでものぞみの方へと歩み寄ってきた。
「いらっしゃっていたとは知りませんでした……」
「うん」
のぞみはわずかに恥ずかしくなって、楓の前で少し円悠に会えた喜びを誤魔化した。
「わたしは自由人だからね。あ、この子はルームメイトの胡麻楓ちゃん……」
と一応、楓の紹介をする。
「胡麻さん……」
と円悠は、意味ありげに繰り返した。
「この人は、円悠。このお寺のお坊さんなんだ」
とのぞみは楓に円悠を紹介した。
「そうなんですか。あの、ちょっとお尋ねしたいんですけど……」
と楓は円悠に言った。
「なんでしょう」
「阿弥陀様に縁結びをお願いしたんですけど、叶いますか?」
「縁結び……。まあ、縁結びの御守りを販売していますからね。御本尊である阿弥陀様にお願いをすれば、それ相応の御利益はあると言ってよいでしょう。しかし叶うか叶わないかはわたしには分かりません」
と言うと、円悠は少し節目がちになった。
「人生においては、願いごとが叶わないこともあります。しかし、その時にはまた別のご縁があるというもの……。天より授かったものこそ大切にすべきもの。それが本当の縁結び……」
とあまり嬉しくないことを若い僧侶が語り始めたので、楓はちょっと不満げに唇の端を噛んでいる。
「それじゃ意味ないんです」
「残りものには福がある、という言葉もあります」
と円悠はしみじみと語り始める。
「いえ、わたし、まだそんな諦めるような段階じゃないんで……!」
のぞみはふふっと笑った。円悠は、恋愛ごとにはまったく疎いらしい。そんな円悠を、のぞみは可愛らしく思った。
「少し風に当たりましょうか……」
と円悠は言った。




