99 山門と阿頼耶識
のぞみは数日前に見上げた山門をまた見ている。杉林と青空を背にして、この古めかしい山門はいつも以上に重々しく、苔むした石段と色の黒くなった柱の木の肌がかえって乾いた印象を与えていた。
のぞみはこの山門も、森羅万象の一つであり、自分もまたこの山門とどこかでつながっているんだと思った。そうして、すべての存在が数珠のようにつながり根源的なところで一体化している、魂の息吹きのようなものをのぞみは感じながら、山門をくぐった。
左右の金剛力士像を見つめると、甲の塗りの剥げたところが歴史の持続を感じさせる。降り積もった時間が具現化しているようにすらのぞみには感じられる。
「さっき、潜在意識って言ったね」
と楓が言った。
「うん? 阿頼耶識のこと?」
とのぞみは先程、自分が何を喋ったのかを思い出しながら言った。
「そう。その潜在意識には色々なトラウマや、過去の体験が溜め込まれているの?」
のぞみは静かに頷いた。
「そうだね。仏教ではそう考えられているよ。阿頼耶識自体、あくまでも観念的なものだから、あるようでないものなんだけど……。たとえば、この世のありとあらゆるものは原因や条件の組み合わせで仮に生じているでしょ。それらが解ければ、消滅してしまう。そういう幻のようなもの。でも、この世には持続するものがある。たとえば人間の感情は、何度滅しても、また同じような感情が生じてくる。それは心の深層のところに、そういう気持ちを起こす原因が残っていて、心を生じさせているからだよね」
その途端に、楓ははっとしてのぞみの顔をまじまじと見つめた。
「それじゃ、やっぱり心はずっと変わらないんだね!」
楓は、相馬が語っていた、心は幻のようなものだから常に変化し、愛し合うことなんてことは叶わないというような話を論破した気持ちになったのだろう。のぞみはそんなことは知らないから、とりあえず頷く。
「そうかもね。仏教では、色々な気持ちを生み出す原因を蓄えておく深層の心を阿頼耶識っていうの。一般的には、煩悩のもとになる種子が蓄えられているところなんだけど……。でも、それもあくまでも観念的なもので、いずれも心作用ばかりで、実体があるようでないものなんだけど……」
楓はその説明に満足したようだった。つまり恋愛の心が深層のレベルでは不動であることが認められたような気持ちになったのだろう。
この世のありとあらゆるものは仮に生じた存在で、刹那に消滅してしまう。しかし次に生じる存在へと内容を相続する。不連続のようで連続しているというのが仏教の変化に対する考え方である。
これに対して、一度消滅したはずの感情が再び湧き起こってくるのは、潜在意識になにか感情を生じさせる力が残っていると考えられる。
唯識仏教において、阿頼耶識と呼ばれる深層心は、すなわち潜在意識であって、存在を生み出し、持続させる心の根源である。
具体的には阿頼耶識(深層心)に貯蔵されている種子が、自我意識であるところの末那識と概念をつかさどる意識というふたつの識を生み出し、五感である五識と合わさって、さまざまな存在の錯覚を生み出すとされる。
それが「自分」や「自分のもの」という自我の観念を生み出し、空であるはずの事物を「実体のある存在」という風に錯覚させてしまう。そしてこのために人は「自分」に固執し、「自分以外の存在」にも固執してしまうのである。
ありとあらゆるものの実体がないはずの現象界に、阿頼耶識は主観をもたらし、客観を仮設して幻のような対象をありありと映し出す。そうした認識をつかさどることで、対象を実体のあるものと錯覚させるのである。
しかし楓はそれを恋愛の心と捉えたようだった。
こうして、のぞみと楓は山門をくぐり抜けて、石段を登って行った。




