第1話:すり減っていく私の人生と、底辺ババアと罵る娘
「……誠に申し訳ございませんでした。以後、十分に気をつけますので」
スーパーの薄暗いバックヤード。私は深々と頭を下げ、理不尽なクレームをつけてきた客の怒りが収まるのをひたすら待っていた。
ようやく解放され、タイムカードを切ったときには、予定のシフトをゆうに一時間過ぎていた。
ため息をつきながら見つめた私の手は、長年の水仕事とアルコール消毒でひび割れ、指先には痛々しい絆創膏がいくつも貼られている。
着ている服も、もう何年前に買ったか思い出せない、毛玉だらけのグレーのカーディガンだ。
美容院に行く余裕などあるはずもなく、パサパサに傷んだ髪は自分で適当に切り揃え、後ろで一つに結んでいるだけだった。
(……疲れた。でも、帰って夕飯の支度をしなくちゃ)
鉛のように重い足を引きずり、私はスーパーの特売コーナーへ向かった。
「あ、卵パック、まだ残ってた……よかった」
三十パーセント引きの赤いシールが貼られた卵と、見切り品のしなびた野菜をカゴに入れる。
わずか数十円の違いでも、今の私にとっては死活問題だった。
夫が病気で他界してから、私は自分の人生のすべてを娘の結衣に捧げてきた。
女手一つで育てるのは決して楽ではなかった。
自分の服など何年も買わず、化粧水も一番安いものを選び、ひたすら身を粉にして働いた。
すべては結衣が困らないように、人並みの幸せを掴めるようにと願ってのことだ。
『すべては、あの子のため。私がしっかりしなくちゃ』
冷たい夜風に身を縮めながら、私は自分自身にそう言い聞かせて、家路を急いだ。
しかし――古びた我が家のドアを開けた瞬間、私のささやかな願いは無残にも打ち砕かれることになる。
「あーもう、ルカくん尊い!! 今日の生誕祭、絶対最前列で見なきゃ! あ、グッズの開封動画も回さなきゃ!」
玄関まで響き渡る、結衣の甲高い奇声。
靴を脱いでリビングへ足を踏み入れると、そこには目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
足の踏み場もないほど散乱した、色とりどりのアイドルのポスターやCD。
テーブルの上には、食べかけのコンビニ弁当の容器と、開封済みの大量の「ランダムグッズ」の包み紙が山積みになっている。
そのゴミの山の中心で、ソファを陣取った結衣はスマートフォンに齧り付いていた。
「結衣……またこんなに買って。少しは片付けなさいって言ったじゃない」
「うるさいなー、今忙しいの! 生誕祭の特別グッズの予約合戦なんだから、話しかけないでよ!」
結衣は二十五歳。本来なら立派な社会人として自立している年齢だが、彼女は実家にパラサイトするフリーターだ。
稼いだお金のすべてを、地下アイドルの『推し活』に注ぎ込んでいる。
いや、彼女のわずかなパート代だけでは到底足りず、私が必死に稼いだ生活費すらも、このゴミの山に姿を変えていたのだ。
ズキリと、胃の奥が痛んだ。
今月の支払いもギリギリだ。これ以上彼女の好きにさせていては、本当に生活が破綻してしまう。
私は意を決して、スマートフォンから目を離さない娘に声をかけた。
「結衣、ちょっといいかしら。……来月からでいいから、少しでいいから生活費を家に入れてくれない? お母さん、もう限界で……」
その言葉を聞いた瞬間。
ピタリと結衣の手が止まり、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。
その表情は、先ほどまでの熱狂が嘘のように、夜叉のように歪んでいた。
「は? 家賃? 産んでくれって頼んでないんだけど」
氷のように冷たく、私の心をえぐる声だった。
「親なら、娘の幸せを邪魔しないでよ!」
「邪魔だなんて、そんなこと言ってないわ。ただ、今のパート代だけじゃ毎月の支払いも厳しくて。せめて三万円、無理なら二万円だけでも……」
「だから無理だって言ってんじゃん!」
バンッ! と結衣がテーブルを叩き、乱暴に立ち上がる。
「ルカくんの生誕祭があるんだよ!? 特別グッズも買わなきゃいけないし、投げ銭だって最低十万は積まないと認知が切られちゃう! なのに、どうして親が娘の生き甲斐を無償で支援できないわけ?」
「生き甲斐って……あなたはもう二十五歳なのよ。自分の生活くらい……」
「うるさい、うるさい、底辺ババア! あーあ、ホント毒親。こんな家に生まれた私が可哀想!」
喚き散らす結衣の視線が、ふと、私が手に持っていたパート用のカバンに向けられた。
「あ……」
結衣の目が、カバンの隙間から見えていた私の古い財布に釘付けになる。
「ちょっと、結衣……何をする気……?」
私が後ずさりするより早く、結衣は獣のように飛びかかってきた。
「どうせ大した額入ってないんでしょ? ちょっと見せなさいよ!」




