118話
呼吸が止まっていたかのような感覚の後、琉生は目を覚ました。そのせいか、少し息が乱れている。
目に入ってくるのは真っ白な天井。横を見ても真っ白な壁それに淡いベージュ色のカーテン。そして自分を覆っているのも真っ白な布団だった。
……病……室?
呼吸は整ってきたものの、何となく目が霞む。頭も妙に重たくて痛む。ずっと眠っていたからだろうか。
少し身じろぎすると、体の一部も痛んだ。腹と背中だ。そちらはずきりと鋭い痛みがある。
一体、俺、は……。
ぼんやりとする。とても長い夢を見ていた気がする。
……夢? 夢……いや、違う。夢じゃない。俺は夢を見ていたんじゃない。
痛む体をかばうようにして片手を布団から出した。するとそこには白く淡く光っているように見える輪があった。
これは……そう、そうだ。絆の輪だ。
絆の輪がある。
そうだ、夢じゃない。俺は今まで、違う世界にいて、そう、リキと一緒にいて、ずっと学んだり戦ったりして……。
そう考えるとまるで夢か妄想のような話だ。だが間違いなく手首には絆の輪がある。
俺は……帰って、きた?
こちらの世界に多分帰ってきたのだろうが、この輪から確かに絆が繋がっていると感じられた。
よかった。夢じゃない。
もう片方の手に、そして何か握っている感覚がする。そういえばと琉生はもう片方の手も慌てて布団から出そうとしてずきりと痛みを感じ、改めてゆっくりと出す。
手にはあの飾り紐がしっかりと握られていた。何気に首もとに触れると、ローザリアがくれたネックレスもあった。
ああ、やっぱり夢じゃない。ちゃんと現実だ。
とりあえず琉生はその飾り紐をぎゅっと握り直し、手から出ている房にキスをする。
よかった、と思いながらも嬉しいのか悲しいのかわからない。何だかあちらにいた時よりも混乱している気分だった。
先ほどからずっと見ていたにも関わらず、そして今気づいた。アスルガルタの言っていた通り、確かに時間は遡っているようだ。琉生の手は成人男性の手ではなかった。
小さい……。
その時、シャッと音がしてカーテンが開かれた。誰かが来た、と思う間もなく何かが落ちる音が聞こえる。
「る、琉生? 琉生……? っ琉生! ああ、琉生、琉生……! 目が、目が覚めたのね、琉生……っ」
……母、さ……ん?
落ちた音は多分母親が持ってきた琉生の着替えやらなにやらの鞄だろう。花瓶とかじゃなくてよかった、などと場違いなことが頭によぎる。まだ混乱しているらしい。
母親はすがるように横たわったままの琉生に、だがそっと抱きついてきた。遠い遠い記憶の中で、母親からこんな風に抱きしめられた記憶はない。
そういえば日本人ってあまりこういうこと、しなかった、んだっけ。
何かあるとぎゅっと抱きしめてくれたカルナを思い出す。もう懐かしい。
だけど。
琉生の目がとても熱い液体で満たされる。鼻の奥がツンと痛んだ。
華奢な体と手で優しく琉生を抱きしめ、頭を撫でてくる女性に、琉生は表現しがたい感情が湧き上がった。
とても懐かしくて温かくて、とても会いたかった母親の感触だ。そして、ちゃんと思い出せなくなっていた、声だ。
母さん……。
母さん。
ずいぶん久しぶりだし、もう何年経ったのかわからなくて、嬉しくて切なくて。
だが琉生には先に言わなければならないことがあった。
母さん。母さんに大切な伝言があるんだ。
早く言わなきゃ。
早く、早く。
でないと、自分の記憶から消えてしまいそうな気がした。ただでさえ戻ってきただけで混乱していた。
あの世界での記憶がこの先も鮮明に残っている保証がない。
だが声に出そうとしても喉から上手く音が出せない。それに掠れて上手く言葉にできそうにない。
母さん……大切な伝言、が……。
母親はそんな琉生の状態をわかっているのか、耳を傾けてくれていた。聞き取ろうとしてくれた。
リキが言ってたんだ。
絶対伝えるってそれに言ったんだ。
大切な伝言なんだ。
母さんに、帰ってあげられなくてごめんってね、言ってた。
ずっと思ってるからって。
父さんにも言わなきゃ。
一緒にキャンプ行けなくてごめんって。
ずっと忘れないからって。
声が上手く出ないのも掠れるのも、病室にいるからかと思ったが、違った。それもあるのかもしれないが、琉生が泣いていたからだった。
もう泣かなくなってたのに。昔の俺じゃないのに。強くならなきゃって思って、泣かなく、なってたのに。
もしかしたら成人した記憶まであっても、体や精神は九歳だからなのかもしれない。感情の高ぶりなどのコントロールが上手くできないのかもしれない。
でも、これだけは伝えたいんだ。
母さん。
「……母、さ……ん。……会い、たか、った」
声、出た……。
「あと、リキ、が……」
手首の輪の存在を感じる。だが体力がかなり低下しているのか、ますます声にならない。
「リキが、ね……帰ってあげられなくてごめん、って……ずっと思ってるからって……絶対、忘れ、ない、って……」
言えた。なんとか声になった。
母親は涙を流し、頷いている。ホッとして、琉生も涙を流しながら意識を手放した。
夢の中で絆の輪を見つめ、琉生は流輝に語りかけていた。
「言ったよ。でも確か俺、刺されたんだよね、あの時。だからか結構きつくて」
「だよな。でもお前なら絶対すぐ元気になるよ。そして剣の名手、はそっちじゃ難しいから、あれだ、フェンシングとかそういうので有名になんじゃね?」
いつの間にか流輝がそばにいて笑っている。
「何その適当なの。それに別に有名にならなくていいよ」
「絶対モテんのに」
「だからそういうのいいって。もう」
「……言ってくれてありがとうな」
夢の中で、流輝が優しく微笑み、頭を撫でてくれた。




