5.国家予算とか余裕で超えちゃってますよ!?
そして話は冒頭に戻る。
兄に騙されたもの同士傷を舐め合い、まぁお互い苦労してますね、なんて話して、まぁやるしかないかと腹をくくった、のも束の間。
すでに蘭華は後悔していた。きっと燕星も同じだろう。
いざ現れた帝の纏う空気、圧。
それは相対する者すべてを平伏させるのに十分なもので――これの影武者は無理だろ、と、まだ顔も見ていないのにそう確信していた。
「面を上げよ」
許されても中々、顔を上げる気にならない。
まんじりともせず平伏していると呼吸をするのも忘れてしまいそうだった。いや、目の前の存在の許可なしには――呼吸さえ、してはならないことのように思えた。
乾いて張り付く喉をなんとか引き剥がして、帝の呼びかけへの返答を絞り出す。
「は、い」
蘭華も端くれとはいえ貴族の一員。これまでに身分の高い人間と相対したことも、話したこともある。
だがこれは、格が違う。
それが蘭華の感想であった。
これが、この国の最上位。人の上に立つために、生まれた人間。
存在そのものが、自分のような人間とはまったくもって、異なっている。
まるで、別の生き物のようだった。
「そうかしこまるな。楽にしてくれ」
そう言われた瞬間、強張っていた身体から力が抜ける。
蘭華が心からほっとしたわけではない。目の前の存在にそう指示されたから、力が抜けたのだ。
だが、気は全くと言っていいほど抜けていない。
言葉一つで、他人の身体を思うままに支配する。目の前の相手にはそれが出来る、出来てしまう。
それが恐ろしく――蘭華は俯いたまま、顔を上げられなかった。
「白家の娘を影武者にというから驚いたが……ふむ。確かに背格好は似ているか? 顔を見せてみよ」
その言葉に促されて、顔を上げる。
瞬間、御簾越しではあるが帝の姿を直視した。
ぱん、と目の前で、花火が弾けたように……視界が光に包まれた。
蘭華の目には、まるで。
その男子が、光っているように見えたのだ。
光っている竹を切ったら中から光り輝く女の子が、とか。
人間というのはお伽噺でしか光らないものだと思っていたのだが、常識を完全に覆された。
目の前にいる、帝。
その桁違いの存在感に、くらくらと頭が揺さぶられる。
知らぬ間に数を数え始めていた。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、十万、百万、……ええと。兆の次は、京だっけ。
だんだんと蘭華の目つきがぼーっとしてくる。それを横目に見ていた燕星がぎょっと目を見開いた。
蘭華がまるで熱に浮かされたかのような顔をしていたからだ。
「っく、ふふ、ははは」
そんな蘭華をよそに、帝が杓で口元を抑えながら軽やかに笑う。
目を細めたその表情に、蘭華の心拍数がさらにぎゅんと上昇した。
「驚いた、まったく似ていないではないか。これで影武者とはずいぶんと豪胆だな」
これを直視し続けたら、ダメだ。目が焼ける。
そう本能が警鐘を鳴らす。
蘭華は何とかして視線を引き剥がして、俯いた。
まだ白くぼやけた視界の中で、必死に床板の木目を数えることに集中する。
「気に入った。そなたに任せる」
笑みの残った声でそう言った帝に、またぎゅぎゅんと心臓が跳ね上がるのを感じつつ、蘭華は頬の内側を噛んで堪えた。
「後ろの……」
「は、燕星と申します」
ぷるぷる震える蘭華を「マジかこいつ」という目で見ていた燕星だったが、ふっと話を降られて慌てて姿勢を正した。
「ああ、……燕家の」
帝が事情を察した様子で呟いた。
ぽやぽやと茹だった頭の蘭華でもかすかに引っ掛かる程度には、帝の纏う雰囲気が変わる。
少しの沈黙ののち、帝が言う。
「よく分かった。此度の謀、必ずや防いでみせよ」
「はっ!」
帝の命に、燕星と蘭華が声を揃えて返事をした。
帝との謁見を終えても、蘭華はまだ夢見心地の様子でふらふらと歩いていた。
廊下を踏み外しそうになるその肩を支えて、燕星がため息をつく。
「……お前」
「ふぁい」
「やめておけ。影武者など一時の惚れた腫れたで引き受けるものじゃない。しかも相手は帝――」
「いやだって見ましたか、燕星さん」
苦言を呈そうとした燕星を振り向いて、蘭華は鼻息も荒く言う。
「あの帝の」
「確かに見目麗しいだろうが」
「桁」
「けた?」
蘭華の口から飛び出した言葉が予想外で、燕星は思わず彼女の言葉を繰り返した。
けた? 桁と言うのは、桁違いに美しいとか、そういう話か?
混乱した燕星など気にも留めず、蘭華は興奮した様子で勢いよく話し始めた。
「京ですよ、京! そんな単位見たことないです、国家予算とか余裕で超えちゃってますよ!? 分かります!? 一人の人間の値段が国超えるって、そんな馬鹿な!!」
「は??」




