第9話 呪いではありません
学術委員会の議場は、地下にあった。
大理石の階段を降りると、半円形の部屋が広がっていた。天井にガラスの天窓があり、自然光が差し込んでいる。中央に演壇。その周囲を、五つの高い椅子が取り囲む。委員席。傍聴席が後方に数列。
足元が冷たい。大理石の床。靴の裏から冷気が伝わってくる。ここには土がない。
委員が入ってきた。三名の魔法学者と、二名の文官。マティアスが文官の一人として席についた。眼鏡を直しながら、こちらを見ている。もう一人の文官は高齢の男で、名前を知らない。魔法学者の三名は、白い法衣を着ていた。
ゲルトルートが傍聴席の最前列に座った。筆頭植物魔法師として、証言者の立場だ。
「フローラ・ブルーメンタール。前へ」
演壇に立った。五つの視線が集中する。
「本日の審理は、ブルーメンタール式水脈浄化術の正当性に関するものです。まず、技術の概要をご説明ください」
呼吸を整えた。ポケットの中の土に触れた。荒野の土。指先に砂の感触。これがあれば大丈夫、とは思わない。でも、触っていると声が出しやすくなる。
「ブルーメンタール式水脈浄化術は、植物の根系を利用した地下水の自然浄化技術です。深根樹の根を地下水脈に到達させ、浄化蘭の根が不純物を吸着し、月光草が余分な水分を蒸散させる。三種の植物による循環系を構築することで、化学的処理なしに水質を維持できます」
技術的な説明を続けた。データを並べた。グリューネヴァルトの土壌分析結果、水質の推移、植物の成長記録。数字は嘘をつかない。十三年間書き続けた日誌が、私の代わりに語ってくれる。
委員たちが頷いている。技術の概要には問題がない。問題は、次だ。
「ゲルトルート・フォン・ハイデンベルク。証言を」
ゲルトルートが立ち上がった。傍聴席から演壇の横に移動する。背筋が伸びている。
「私は、この技術に異議を申し立てます」
声が議場に響いた。冷たくて、硬い声。
「ブルーメンタール式水脈浄化術は、自然の水脈を人為的に操作する技術です。水脈は本来、地下を自由に流れるもの。それを植物の根で誘導し、特定の方向に導く。これは『浄化』ではなく『支配』です」
支配。
喉の奥が焼けるように熱くなった。
「そして、この技術は術者に極度に依存しています。ヴァイスフェルト領の崩壊がその証拠です。フローラ・ブルーメンタールが去った瞬間、インフラが崩壊した。術者がいなくなれば全てが壊れる。それは技術ではありません」
ゲルトルートの目が私を捉えた。
「それは、呪いです」
議場が静まった。呪い、という言葉の重さ。禁術認定に直結する言葉。
指先が冷たくなった。怒りの反応。土を握りしめている。ポケットの中で、荒野の土が指の間から零れる。
趣味と呼ばれた。十三年間。そして今度は、呪い。
私の仕事は、いつも名前を間違えられる。
「フローラ・ブルーメンタール。反論はありますか」
委員長が促した。
立ち上がった。いや、立っていた。演壇にいるのだから。でも、身体が一段高い場所に持ち上がった感覚。足の裏が大理石の床を掴んでいる。靴を脱ぎたい。土に触れたい。でもここは大理石の床で、土はない。
ポケットの土を握った。
「ゲルトルート様の指摘には、一部、正しい点があります」
ゲルトルートが僅かに目を見開いた。反論ではなく同意から入ると思わなかったらしい。
「属人的であること。それは事実です。私がいなくなればシステムが崩壊する。その脆弱性は認めます」
委員たちが視線を交わした。自分の技術の弱点を認めた。
「しかし」
声が大きくなった。制御できていない。
「呪いではありません」
議場に反響した。大理石は音をよく返す。自分の声が壁から跳ね返ってくる。
「根です」
「根が水を運んで、根が土を繋いで、根が」
言葉が詰まった。順番が狂っている。頭の中で組み立てた論理が崩れている。でも止まれない。止まったら、十三年分の沈黙に呑まれる。
「……深根樹は地下三十メートルまで根を伸ばします。目に見えません。誰にも見えません。見えないから趣味と呼ばれて、見えないから呪いと呼ばれる」
息が足りない。吸う。吐く。
「でも、根はあるんです。あったんです。十三年間、毎朝四時に起きて、水をやって、魔力を注いで、日誌を書いた。それを趣味と呼んだ人がいて、今度は呪いと呼ぶ人がいる。名前が違うだけで、やっていることは同じだ——私の仕事を、なかったことにしようとしている」
声が裏返った。構わない。
「ならば公開します。全てを。祖母は『誰にも教えるな』と言いました。その遺言を破ります。秘匿するから属人化する。属人化するから脆弱になる。脆弱だから呪いと呼ばれる。この連鎖を、私が断ちます」
議場が静まった。完全な沈黙。天窓から差し込む光の中で、埃が舞っている。
「論文を提出します。ブルーメンタール式水脈浄化術の全工程を記述した論文を。猶予をいただけますか」
委員長が他の委員を見た。頷き合っている。
「十日。猶予は十日です。その間に論文を提出し、実技試験に臨んでください。それをもって判定します」
「受けます」
◇◇◇
議場を出ると、エーリヒが廊下の壁に背を預けて待っていた。腕を組んでいる。傍聴席にいたのだろう。
「聞いていた」
「全部?」
「全部」
沈黙。廊下に差し込む光が、エーリヒの横顔を照らしている。何かを言おうとして、言葉を探している顔。
「よく言った」
短い。でもこの人の「よく言った」は、他の誰の長い賞賛よりも重い。
「十日、あります」
「足りるか」
「足りなくても、やります」
エーリヒが頷いた。それだけだった。それだけで充分だった。
廊下を歩きながら、指先がまだ冷たいことに気づいた。怒りはまだ残っている。でも、別の温度もある。声を出した後の、喉の熱さ。叫んだことの余韻。
十三年間、叫ばなかった。叫ぶ権利がないと思っていた。
今日、叫んだ。大理石の議場で。五人の委員の前で。
震えた声だった。でも、届いた。




