48 黒毛星牛フィレ肉のビーフストロガノフ
私が腕をふるう大食堂は、お城のすぐ近くにある。
鍛冶人族さんが作ってくれた体育館くらいの広さの施設で、毎日たくさんの魔族さんたちがタダで私のごはんを食べることができる。
質の良い赤木の床。暖色の間接照明とキャンドルライト。職人のハンドメイドで最高品質のテーブルと椅子が整然と並んでいる。そこはさながらリゾートホテルのレストラン。鍛冶人族さんたちが腕によりをかけて作ってくれた内装は、前世の私とは終ぞ縁が無かった最高級のお洒落空間を形成していた。
「城内に負けず劣らず美しい空間ですね……」
呆然とする付き人の高位森精族さん。
「エル。こういった空間では高貴な言葉選びを心がけないといけないのですわよ?」
神樹様はすまし顔で言う。
「そうなのですか?」
「ええ、そうなのですわ。コツはとりあえずですわを付けることね。それさえ抑えれば大体ごまかせるからですわ」
「…………」
楽しんでるなぁ、この人。
「わ、わかりましたですわ」
「ええ、上手ですわよ、エル」
別のテーブルでは犬人族さん、鍛冶人族さん、大鬼族さんたちがそんな高位森精族さんを信じられないという顔で見つめていた。
「ほ、本当に高位森精族がいます……」
「初めて見たぜ……なんて神々しい……」
「オ、同ジ空間ニイテイイノダロウカ」
入り口の壁に隠れつつ、片目だけ覗かせてその姿を見つめていた。
樹人族さんたちもいるんだけど、そっちの方は気にもならないらしい。三階建てくらいに大きい木の巨人っていうめちゃくちゃ目を惹くはずのビジュアルなんだけどな。それだけ高位森精族さんが強烈ということだろうか。
「一体どんなことを話してるんでしょうね」
「そりゃ俺たちには理解できないすげえ高尚な話に違いねえって」
「世界ノ行ク末ヲ憂エテイルニチガイナイ」
うんうん、と納得した様子でうなずく三人。
実際はただ似非お嬢様してるだけなんだけどな。こういうのは遠くで見ている方が美しく見えるものなのかもしれない。
別のテーブルではナクアさんが蜘蛛人族さんたちと、テーブルについていた。
「わ、私様友達の家でごはんお呼ばれするの初めてだわ。ちゃんとできるかしら」
落ち着かない様子のナクアさん。
付き添いの蜘蛛人族さんたちが言う。
「大丈夫です、ナクア様は素敵な方ですから」
「みなさんすぐにナクア様のことを好きになってくださいますよ。私たちはナクア様がお優しい王であることを知ってます」
ナクアさんは、少し涙ぐんで言う。
「あ、ありがとうみんな。私様がんばるわね」
「はい! その意気です!」
「ナクア様世界一!」
微笑ましい人たちだった。
ちゃんと楽しんで帰ってもらえるよう、おいしいごはんを作ってあげなくちゃ。
私は厨房の中で魔王厨房を起動する。
今日使うのは新鮮な黒毛星牛のフィレ肉。まずは下準備。肉をスライスし、塩、胡椒で下味をつけ、パプリカ、小麦粉をまぶし揉みこむ。
玉ねぎ、にんじん、ベーコン、パセリをみじん切りにする。熱したフライパンにサラダ油を入れ、玉ねぎを飴色になるまで炒めていく。強火にしてマッシュルームを加え焼き色を付ける。チキンブイヨンを加え、サワークリーム、バター、ピクルス、レモン汁を入れて塩、胡椒で味を調える。
フィレ肉を別のフライパンで炒め、ブランデーでフランベ。火が入ったらざるにあげ、余分な脂を切ってから、鍋に加えてからめる。
並行してバターライス作り。フライパンにサラダ油を敷き、みじん切りにした玉ねぎ、にんじん、ベーコンを炒める。焼き色が付いたらごはんを加えてさらに炒め、バター、塩、胡椒で味を調える。
バターライスをお皿に盛りつけ、上から鍋のソースとお肉をかけたら、黒毛星牛フィレ肉のビーフストロガノフ完成だ。
山盛りのチーズを乗せオーブンでこんがり焼いたオニオングラタンスープと、りんご、オレンジ、ナッツを加えた具だくさんポテトサラダ。デザートに金姫柑のシャーベットを添えて、本日のパーティーメニュー、できあがりである。
「ささ、どうぞ。食べてください」
「へえ。これが噂の料理ね」
値踏みするみたいに見つめる神樹様。
「他の魔族は騙せてもこの私の舌は騙せないですわよ?」
「まだ継続中なんですね、そのお嬢様口調」
「何せわらわは九千年以上、聖域のあらゆるものを食べて来ましたのですわ。こう見えてごはんにはうるさいんですの」
「あれ? でも、十七歳なんじゃ」
「そうだね。今のは冗談。十七だから、十七」
「…………」
やっぱりそこは譲れないところらしかった。
「それでは、いただきますわね」
礼儀正しい所作でとろとろのフィレ肉を口に運ぶ神樹様。
瞬間、翡翠色の瞳がぱっと見開かれた。
「これすごいっ! めちゃうまだよ! わらわびっくり!」
信じられないみたいに目をぱちぱちさせる。
「口の中一瞬で溶けちゃった。おかわりお願いして良い? やばっ、止まんない」
「はい。たくさん作ってるんで好きなだけ食べてください」
神樹様が食べたのを確認してから、エルさんもフィレ肉をすくって口に運ぶ。
妖精みたいに形の良い長いまつげが驚きに揺れるのを微笑ましく見つめてから、私は席を移動することにした。
「あれ? 行っちゃうの?」
「友達が来てくれてるので一緒に食べたいんです」
折角遠くから駆けつけてきてくれてるわけだしね。こういうの初めてらしいし、楽しんでもらって良い思い出をお土産にしてもらわなくちゃ。
歩み寄る私を見上げてナクアさんはぱっと薄紫の髪を揺らして微笑んだ。
「ナギ! これすっごくおいしいわ! 私様感動しちゃった!」
「よかった。気に入ってくれたみたいで何よりです」
夢中で食べる蜘蛛人族さんたちのテーブルにつく。
「ナクア様ったら最近はナギ様の話しかしないのですよ」
「今日なんて、ナギ様の国に高位森精族が攻め込んだって聞いて服を戦闘用のものに着替えるのも忘れて駆け出しちゃって」
「配下の者達みんなで着替えを手に必死で追いかけたんです」
配下の蜘蛛人族さんたちは面白おかしくナクアさんの話をしてくれた。
「ちょ、ちょっとみんな。大げさに言いすぎだって。私様そこまで慌ててたわけじゃ……ないとは言えないかもだけど」
顔を真っ赤にして小さくなるナクアさん。
かわいい。
「先ほどもナギ様と何を話せば良いのかしら、ってずっとシミュレーションをしてましたし」
「天気、季節の話題だけで戦おうとしてたんですよ」
「せめて趣味を話題にするくらいは思いついてほしかったです」
そんなこと考えてくれてたんだ。別に気にしなくていいのに。
でも、好いてくれて気を使ってくれるのはすごくうれしい。
「ちょっとそれ内緒! 言っちゃいけないやつだから!」
仲良しな蜘蛛人族さんたちだった。ナクアさん愛されキャラだなぁ、と思う。
「それを言うと、ナギも大分変なところがあってだな」
私の隣で言ったのはジルベリアさんだった。って、いつの間に。
「どこ行ってたの? 午後から姿見えなかったけど」
「いや、話し合いのとき我輩ぷっつんしてたであろう? あの怒りがなかなか収まらなくてだな。ストレス解消に駆け回って魔獣狩りをしておったのだ」
「そうだったんだ」
あのときは私のために怒ってくれてたよな、と思いだす。
仲間思いなんだよね、ジルベリアさんって。悪く言ってるの聞いたことないし。
「そしたら帰る途中の蛇王族一行とばったり会ってな。『強き者よ。是非手合わせを願う』とか言うから相手してやることにしたのだが、これがなかなか骨があるやつらでな。いやはや、あんなに愉しい戦いは久々だった」
「そ、そんなことになってたの?」
それは外交的には割と大事件では。
「もちろん我輩が全勝だったがな。また戦いたいと言っておったからそのうち訪ねてくるだろう。そのときは迎えてやってくれ」
「うん、わかったけど」
なんか仲良くなってるっぽい。
あれか? 河原で殴り合って友達になるやつか?
「それで、ナギの間抜けな話なのだがな。この前寝ぼけて我輩のことをママと」
「ちょっと! それ言っちゃダメ!」
みんなで楽しくお話をする。
「じゃあ、次はわらわがエルちゃんの間抜けな話を」
私の右隣で言ったのは神樹様だった。
「え? いつの間に」
「今の間にだよ。わらわ転移魔術得意だから。瞬間移動なのです」
「し、神樹様!? 神樹様が下界の魔族と気安く話すなんて!」
あわてた声で言うエルさん。
そうなんだよね。「神樹様と我々の席は他の魔族と離すようお願いします」と高位森精族さんたちに言われて、こういう席割にしてたんだけど。
「いいのいいの。そうやって変な壁を作ってるからお高くとまってるって思われるんだって。で、エルちゃんのお間抜けエピソードなんだけど。二百歳の誕生日が来るまでグレープフルーツをオレンジが腐って酸っぱくなったものって勘違いを――」
「言わないでください!」
顔を真っ赤にするエルさん。
「信じられない。私様、高位森精族と同じ席でごはん食べてるわ……」
「しかも、神樹様とご一緒なんて……」
呆然とする蜘蛛人族さんたち。
周囲の魔族さんたちが言う。
「お、俺たちもご一緒していいですか!」
「ぼ、ボクたちもお願いします!」
「ワ、我々モオ願イシタイ」
そんな魔族さんたちに、神樹様はにっこり笑った。
「もちろん。みんなで食べた方がおいしいもんね」
テーブルをくっつけてみんなでごはんを食べる。
楽しい時間はあっという間に過ぎていったのでした。




