49 夜、温泉にて
その夜、私は温泉に浸かってまったりしていた。
眠る少し前に温泉で一日の疲れを洗い流すのは私のお決まりの生活習慣だ。高位森精族さんたちを案内したときにも一度入っているのだけど、温泉は一日一度までなんてルールはどこにもない。
むしろ一日中だって入ってたいくらいだし。
「ああ、しあわせ……」
上質な温泉を毎日心ゆくまで楽しむことができる。
贅沢ってこういうことを言うのだろう。
脱衣所の扉が開いたのはそのときだった。誰か入ってきたのかな、と視線を向ける。
芸術品みたいに美しい足首とふくらはぎ。雪のような肌はきめこまやかで透き通るように白い。そこにいたのはこの世のものとは思えない妖精のような美人さんだった。
というか、実際妖精に近い魔族さんだった。
「あ、エルさん」
「こんばんは……」
エルさんは気恥ずかしげに言う。
「ご一緒してもよろしいですか?」
「はい、もちろんです」
私たちは二メートルほど距離をあけて温泉に浸かった。着やせするタイプらしく、エルさんの胸部装甲は小さめのメロンくらいの大きさがあって、私はやり場のない怒りを脳内で創造主にぶつけることになった。おい責任者出てこい。
鈴虫の声が、やけにはっきりと聞こえる夜だった。エルさんはちらちらと私の方をうかがっていて、だけど何も言おうとはしなかった。
一体どうしたんだろう?
まさか胸部装甲でマウントを取ろうとしてるわけでもあるまいし。
もしそうならその場で戦争である。最弱の私が高位森精族のエルさんに勝てるわけはないのだけど、それでも戦わなければならない状況が世の中にはあるのだ。
「…………」
エルさんはやっぱり私の様子をうかがっている。
何か話したいことでもあるんだろうか。
じゃあ、話しやすいように話題を振ってあげよう。よし、ここはナクアさんに習って必殺の天気殺法で――
「いやー、今日は良い天気ですよね」
「え? そ、そうですか? 雲が多いように見えますけど」
「…………」
失敗だった。
完全なる失敗だった。
星も月も全然見えないし。エルさん、この人大丈夫かなって戸惑ってるし。
しかし、どんなときでも前向きでいるのが私の得意技だ。失敗は笑い話にすればいい。よし、追撃で好きな気温の話題を――
「私、ナギさんにどうしてもお伝えしたいことがあったのです」
しかし、私が口を開くのよりエルさんが覚悟を決める方が早かった。
「お伝えしたいこと?」
「話し合いの場でのことです。この国のことをよく知りもせず、随分ひどいことを言ってしまいました。そのことを謝りたくて」
エルさんは姿勢を正して私に言った。
「いえいえ、気にしないでください。警戒するのも当然の反応だと思いますし」
「本当に申し訳ありませんでした」
顔が湯船に浸かるんじゃないかってくらい深く頭を下げるエルさん。
頭の上でまとめた金糸の髪が湯気に照らされて光っていた。
「ご丁寧に、ありがとうございます。ジルベリアさんにも伝えておきますね」
「いえ、それは私が自分の口で謝らないといけないことですから。あとであの方にも謝りに行こうと思います」
しっかりしててすごいなぁ、と思う。
さすが森の頂点に立つ存在。
「正直に言いますと、私たちはナギさんを聖域に侵入した悪しき魔族の仲間だと勘違いしていたのです」
「聖域に侵入した悪しき魔族?」
「先日、黒い法衣を着た男が聖域に侵入し、狂化の呪いが含まれた霊酒で数十の仲間が暴走。聖域は大混乱に陥りました」
「黒い法衣の男……」
似た話を私は知っている。
大空洞の大鬼族さんを狂わせた実行犯。
「それ、うちの大鬼族さんたちもやられた相手かもしれません」
「そのようですね。私たちも大空洞周辺を聞き込みしてその情報は掴んでいました。そしてその大鬼族たちの新たな主となったナギさんを男の仲間である可能性が高いと判断していたのです」
「ああ、そういうことだったんですね」
それで大軍で攻めてきたというわけか。
たしかに、そういうことならあの警戒ぶりもうなずける。一人で大鬼族さんたちを暴走させ、聖域を大混乱させるような相手。それが国を作って仲間を増やしてるとなれば、できるだけ早くなんとしてでも対処しなければ大変なことになるし。
「ちょうど秘密裏に黒妖精族、蛇王族、樹人族と交渉して大同盟を構想していたのは幸運でした。疑いあい消耗すること無く、協力して行動することができましたから」
「大同盟?」
「はい。上位種族同士で協調して共に森を守っていこうという構想です。明日ナギさんにも神樹様から正式にお話があると思います」
「お話というと?」
「是非ナギさんにも同盟に参加し、共に『神樹の森』を守っていただきたいのです」
エルさんはじっと私を見つめて言う。
「どうかお願いできないでしょうか。何とぞ……何とぞお願いいたします」
その言葉には切実な響きがあった。
「もちろん。私で良いなら、喜んで参加させて頂きますけど」
私からすると願ってもない話だ。森の上位種族さんたちと一気に友好関係を築くことができる。
そうなると、少なくとも『神樹の森』の中には脅威となる存在はいなくなるわけだし。
「ありがとうございます。よかった、安心しました」
エルさんはほっと胸をなで下ろして言う。
「実を言うと心配していたのです。私の軽率な言葉のせいで、ナギさんが同盟への参加をお断りになったら、私は神樹様にどう償えばいいのだろう、と」
ああ、なるほど。そういうことだったんだ、と納得する。
私としては気にしてないどころか、もうほとんど忘れてたくらいなんだけど。代わりにジルベリアさんが怒ってくれたしね。
「ただ、今のはあくまで私の意志なので。国の方針として正式に答えたわけじゃないですからね? ジルベリアさんや他のみんなの意見も聞かないといけませんから」
こういうのは注意して発言しなきゃだよな、と念のため私は補足する。
「とは言え、この件に関しては参加しない手はないと思ってるので、私もなるべく参加の方向に説得したいなとは思ってるんですけど」
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします」
エルさんはもう一度頭を下げて言う。
「同盟は神樹様の最期の願いなんです。何としてでも実現させて、憂えなく幸せに送り出してあげないといけないんです」
「最期?」
たしか、黒妖精族の女王様もそんなこと言ってたっけ。
聞き返した私に、エルさんははっと息を呑んでから言った。
「ごめんなさい、忘れてください」




