夜のウサギ亭
夜の8時。真っ暗な町は居酒屋や食堂以外の店は締まり、閑散とした風景に変わる。特に繁華街ではない北エリアは人が少ない。そんなところにぽつんと営業中の看板が出ている店がある。
看板をしまい忘れたわけではないここの営業開始時間は夜の7時から翌朝の6時と昼夜逆転しているのだ。ボーっとしたランプの明かりが幻想的な店は、アイテムショップ。屋号は(夜のウサギ亭)。網タイツのお姉さんが出てきそうな名前であるが、れっきとした魔法の道具屋だ。
扱っているものが普通ではないのと店主が変わっているという点を除いてだ。日が落ちてからの営業と看板が目立たないことと、北エリアでも人通りが少ない裏路地にあることもあって、客として訪れるものは少ない。また、店に近づくにつれて感じる何とも言い様がない不気味さに一部の常連客以外は近づかないのだ。
右京はネイと一緒にこの店にやってきた。ここに来るのは久しぶりである。店が忙しかったこともあるが、ちょっと悪かったかなと右京は思った。
「こんばんは」
ドアを開けると頬杖をついた店主と目があった。店主は立ち上がって右京たちを指差す。
「あああっ!」
「やあ、クロア、元気だったかい」
「元気だったかい、じゃないよ~」
そう言って駆け寄ってきた店主は流れるような漆黒の黒髪を持つ美少女。揃った前髪と耳際の髪が長く揺れており、何故かモフモフの黒うさぎの耳付き帽子をかぶっている。
色白の顔は恐ろしい程の美形であるが残念なことに目の下のくまで台無しである。寝不足で病弱な感じをどうしても受けてしまう。まあ、これは彼女が特別な体質によるものであるが。体付きは長身のスレンダー系。魔法の道具屋らしく、黒いワンピース姿に黒マントで身を包んでいる。
右京にクロアと呼ばれた少女は、ごく自然に右京の首に両腕を絡ませた。その仕草はしばらく会っていなかった恋人が久しぶりに逢瀬を楽しむ瞬間のようであった。
だが、右京はそんな状況に流されない。とっさにポケットに忍ばせた銀製のアミュレットを握り締める。ホーリーに祈ってもらったものだ。クロアが口を開けて右京の首筋を噛もうとした瞬間にアミュレットを取り出して、少女のお腹に触れた。
「きゅううううっ~」
変な声を上げて、クロアは後ろへ飛ばされた。くるっと後方回転をして立ち上がるクロア。ふわふわフリルが付いた黒のワンピースを翻して、清楚な美少女とは思えないアクティブな動きだ。
「ひ、ひどいじゃない、ダーリン。ずっと放っておいた妻にその仕打ちなんて!」
「いきなり血を吸うなよ。それにお前は嫁じゃない」
「そんなダーリン~。いけずうううう~。ほんの200ccでいいのよ。ちょっとだけ~。ねえ~。お・ね・が・い」
「ダメなものはダメ。お前、200とか言ってもっと吸うだろ」
「だって~っ。ダーリンの血、とっても美味しいんだもの。体が熱くなって、クロア、とっても気持ちよくなっちゃうですもの」
「お前は気持ちよくても、こっちはあの世へ行ってしまうだろが!」
クローディア・バーゼル。通称クロア。年は一応22歳。本人はそう言い張っているが、本当のところは謎である。右京が21歳だと聞いてそれに合わせて22歳にしているように思えた。
一つ上という設定にして右京にお姉さん風を吹かせたい意思が垣間見える。ただ、精神年齢はもっと幼そうではあるが、もっている知識やこの世界での社会的地位を考えると22歳以上である可能性も十分にあると右京は思っている。
ここまでの彼女の言動からもう分かるだろう。彼女はバンパイアなのだ。バンパイアと言ってもこの世界ではちょっと変わった外国人扱いで、普通に町で暮らしている。市民権があるどころか貴族になっている者もいるのだ。
一応、人間の血を吸うのは原則禁止されていて、血の代わりに真っ赤なクコの実ジュースか赤ワインを飲むことにしている。それで我慢できるなんておかしな話ではあるが。
あと、全てのバンパイアがそういう体質なのかは分からないが、クロアはほとんど眠らない。というか、1ヶ月に1度だけ眠れば良いらしいのだが、その割に目の下にくまができているのはどういうわけだか。
この世界のバンパイアは、ゲームの世界と同じで魔力に優れており、耐久力もすごいので、冒険者として活躍する者もいる。だが、パンパイアは普通、日中は太陽の下には出られず、銀製の武器には弱いので大抵はひっそりと暮らしている。
クロアもそんなバンパイアの一人なのだ。そして、右京はこのクロアとは浅からぬ縁がある。この世界に飛ばされた右京は、彼女には随分助けられたからだ。この世界の恩人と言ってもよいだろう。商売上の恩人なのであるが、右京は右京で彼女を助けたこともある。その時にだいぶ血を吸われたのでそれでチャラだということになるが。
「右京さん、この人は誰じゃ」
ネイの奴、空気を読まずに強大な魔力をもつバンパイアに失礼なことを言う。知らないということはある意味最強である。バンパイアはそんな礼儀知らずのハーフエルフに目をやった。
「ああ、そこのションベン臭いハーフエルフの娘、消えてしまっていいわよ。今からクロアはダーリンと熱~い夜を過ごすのだから」
そう言ってクロアがネイをにらみつける。ほんわかした言葉の割にはクロアの赤茶の瞳がだんだん赤く変化し始めたので慌てて右京は間に入る。クロアの瞳が赤くなると魔力全開になり非常に危険になるのだ。
「まあまあ、落ち着けよ、クロア。紹介するよ、コイツはネイ。ハーフエルフでシーフをやっている。今回の問題を持ち込んだトラブルメーカーだがその説明は後で。ネイ、こっちはクローディア。人間じゃないのは分かるな」
「バ、バンパイア?」
ネイがやっと気がついた。細い足がブルブルと震え始めた。か弱い生娘の自分はまるで生贄みたいに感じたのだ。
「やっと分かっちゃった? だったら、すぐ逃げた方がいいと思うけどなあ。でないと、悪いバンパイアのクロアは、お主の血を吸ちゃうぞ~」
そう言ってかぱっと口を開けるクロア。冗談のつもりだろうが、可愛い犬歯が2本見えて正直シャレにならない。右京は空手チョップでクロアの頭をコツンとする。
「うごおわわっ!」
舌を噛んで口を抑えるクロア。
「脅すのはそこまでにしておけよ。第一、血を吸うのは禁止されてるだろ……原則」
原則というのは、吸っても良い場合があるからだ。例えば、相手の合意があるというか、パートナー契約を結んだ相手なら吸っていいのだ。無論、献血する程度の量じゃないと死んでしまうから、気をつけて吸わないといけないが。
「イタタタッ……。ダーリン、相変わらず、クロアに対して恐れを知らないですね。そこも好きな理由の一つですけど。ああ、そう言えば、いつものカエル娘の姿が見えないですけど。あの忌々しい使い魔はどうしました? クビにでもしたのかな」
「ゲロ子は熱が出て寝ている。ここに来たわけは……」
クロアは片手を上げた。言わなくてもわかるという合図だ。
「ダーリンの体とそこのションベン臭いハーフエルフから妙なエネルギーを感じるわね」
「わ、分かるのか?」
「ダーリン、忘れたの? これでもクロアは魔法使いだよ。そして魔法のアイテム屋の女主人」
「な、ならば、呪いのアイテムについて詳しいのかや?」
ブルブルと震えていたネイが希望の光が見えてきたように声を弾ませた。だが、それはちょっと違う。クロアは希望の光かもしれないが、救いの女神さまでもないのだ。
「ふん。ハーフエルフの娘。あなたのようなガキでは分からないと思うけど。クロアの能力はそれこそ魔王級……フォホホホッツ」
クロアの奴、黒いマントを羽織ってテーブルの上に立ち上がり両手で広げた。これでネイを脅そうとしたので、右京もテーブルの上に上がっては再び、空手チョップをクロアの脳天にかます。
「ゲフ」
舌を噛んで転げまわるクロア。右京は焦っているのだ。早く本題に入らないと時間がないのだ。クロアのピン漫才に付き合う暇はない。




