ゲロ子と黄金の左指
「うぎゃ!」
滝のような場所からゲロ子は滑り落ちて、大きなプールのようなところへトポンと落ちた。すぐさま、得意の犬かきで水面へ上がり、縁を目指して泳ぐ。どうやら、屋敷内の水浴場にたどり着いたらしい。ぴょんとゲロ子は地面に飛び降りた。
「ゲロゲロ……。どうやら1階のようでゲロ。こんなところに出るとはラッキーでゲロ」
ゲロ子はそう言ったが、ゲロ子のような体が小さい生物じゃないとここには来られないだろう。プールを出たゲロ子はそっと辺りをうかがう。警備兵がウロウロしているが、ゲロ子が小さくて分からない。
分からないついでにゲロ子は一番偉そうな警備兵のブーツにへばりつく。偉そうな警備兵は隊長であった。彼は状況を伝えにアーウィン子爵の元へ定期的に足を運んでいた。つまり、ゲロ子の奴はちゃっかりターゲットのところへ一番最初に侵入したのだ。
隊長が部屋に入るとゲロ子はそっとブーツから離れてドアの陰に隠れる。部屋に入ったとはいえ、体長15センチの自分がアーウィン子爵からブローチを奪取することは不可能であった。
ゲロ子にできることは、それを奪う時にサポートすること。腰に付けた手榴弾状のものをそっと触った。全部で2つ腰に括りつけられている。これは特性の煙幕手榴弾。作動させると爆発はしないが真っ白な煙が発生して、視界を奪うのだ。その隙をついて、右京なり、ネイが奪い取ればよいのだ。
(早く、主様、来ないでゲロか~)
「アーウィン様、煙突から侵入しようとした者をとらえました。太っているので途中で引っかかって身動きできないところを確保しました」
「なんて間抜けな奴だ。しかも、煙突はこの3階には通じていないぞ」
真っ黒なススで顔が汚れたシーフの男が連行されてきた。これで雇った5人全員が捕まった。右京は一人に30Gのアルバイト料を払っているが、こんなに早く捕まっては意味がない。
(役に立たないでゲロ……。主様は捕まっていないみたいでゲロが)
「報告します」
「なんだ?」
「商人の男を確保しました」
(主様、あっさり捕まったでゲロか?)
「この男、わざわざ、我々の控え室に入ってきたところを捕まえました」
(ゲコ! 主様、もっとマヌケでゲロ)
5分ほどで右京が後ろ手を縛られて、連行されてくる。1階から侵入したものの、真っ暗な建物の中でどう動いて良いか分からず、とりあえず、手近な部屋で作戦を考えようと思って入ったら、警備兵が休憩している部屋だったのだ。せめて、ドアに耳を当てて、中に人がいるかどうかを確かめるべきであった。
(残念!)
だが、右京は部屋へ入った瞬間にゲロ子の気配を感じた。いつも一緒にいる相棒だ。バレないようにそっと部屋の中を見回す。するとドアの陰にゲロ子がひょっこり顔を出しているではないか。
(ナイスだ、ゲロ子)
ゲロ子の奴がどうやってここへ来たのかは謎だが、これは千載一遇のチャンスである。ゲロ子さえうまくやれば、一発逆転できると右京は確信した。
「商人よ、今晩のゲームは少しつまらないぞ。あっという間に侵入者は捕らえてしまい、ハラハラドキドキすることもない。あとはあのハーフエルフの娘を捕らえるだけだ」
ゲロ子を忘れてないかと右京はツッコミを入れたかったが、アーウィンが忘れているならそれはそれでラッキーである。
「子爵殿。ゲームはこれからですよ」
右京はそう余裕の顔で言った。アーウィンはちょっと興味をもった。あと一人はまだ捕まってはいないとは言え、最年少の少女だ。右京の余裕がどこから来るのか、アーウィンは面白そうに尋ねた。
「ここからどうやって挽回するというのだ?」
「それは秘密です」
「ふん。出来もしないことを言わないでくれ」
部屋の片隅に捕まえたシーフ5人と右京を座らせ、2名の警備兵を配置している。後は屋敷中を探索している警備兵がじきにハーフエルフを捕まえるだろう。
(おい、ゲロ子。こっちへ来て俺たちの縄を切れ)
右京はそう目でゲロ子に合図した。いつも一緒にいる相棒だ。目で合図するだけでゲロ子に通じるはずだ。ゲロ子にこっそり縄を切らせ、そして煙幕を爆発させて混乱したところでアーウィンを取り押さえる。それで一発逆転である。2人の警備兵はいるが5人で襲いかかれば、絶対にいけるはずだ。
右京の視線でゲロ子も頷いた。以心伝心とはこのことだ。
(分かったでゲロ。煙幕をはるでゲロな)
コクコクと頷くゲロ子。全然、以心伝心じゃない。ゲロ子は腰の煙幕弾を2つ、取り出すと右京たちの方へ2つ投げつけた。
「ば、馬鹿やろう! まず縄を切ってからだろうが!」
右京が怒鳴るがもう遅い。ポンと煙幕弾が爆発する。ものすごい煙で咳き込む右京。部屋の中が煙で覆われる。アーウィン子爵も咳き込む。2人の兵士が慌てて窓を開放して煙を外へ出した。唯一の攻撃チャンスも縄で縛られたままでは動くこともできない。
「子爵様、変なカエル娘を見つけました」
警備兵の一人が、これまた煙幕弾の煙で目を回したゲロ子をつまみ上げた。万事休すである。
「ゲロ子、お前の脳みそはどこにあるんだ」
「ちゃんと頭に詰まっているでゲロ」
「じゃあ、まず、縄を切ってから煙幕だろうが!」
「主様が目で煙幕弾投げろって合図したでゲロ」
「してねえよ!」
「ゴホゴホ……。全く、こんな隠し球を用意しているとは、ちょっとだけおもしろかったが、お前たちが間抜けだったおかげで助かったよ。ごほごほ……」
アーウィンはちょっと咳き込む。するとドアが開いてメイドがワゴンを押して部屋に入ってきた。夜中の4時を回り、あと1時間もすれば夜が明ける。喉を痛めたアーウィンに心地よいハーブティを入れて持ってきたのだ。
トポトポ……とお茶の良い香りが漂う。
「おい、まだ、ハーフエルフの娘は見つからないのか」
「はっ。全力で探していますが、まだ、見つかっておりません」
「ふん。諦めて逃げてしまったのではないか? まあいい。まもなく、夜が明ける。夜が明ければ私の勝ちだ。実につまらんゲームだった」
そうカップを片手にアーウィン子爵は右京たちを見下ろす。だが、右京とゲロ子の視線は別のところにあった。ワゴンを押して出て行くメイド。部屋を出るときに茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「アーウィン子爵」
夜が明け始めた。まばゆい太陽が徐々に昇ってくる。
「なんだ? 商人」
「どうやら、俺たちの勝ちのようです」
「はあ? 何言ってるんだ。勝負は私の勝ちだ。青い宝石は太陽の光を浴びて、勝利の輝きを放っている……って、ない、ない、ないぞ!」
「ゲロゲロ……。マヌケでゲロ。今日の間抜けベスト3に入るマヌケでゲロ。3番は煙突でつっかえたおデブなシーフ。2番は警備兵の部屋へ飛び込んだ主様。そして1番は盗まれたことも気づかない貴族でゲロ」
「俺は意味もなく煙幕を使ったゲロ子が一番だと思う」
「ウルサイでゲロ」
「いつ、いつなくなった。どうやって盗ったのだ~っ!」
太陽が完全に地上に顔を出した。ドアを開けて入ってきたのはメイド姿のネイ。ネイは最初に忍びこんだ屋根裏部屋がメイドたちの部屋だと知って、一計を案じたのだ。
メイドの格好で近づいて隙あらばスリ取るのだ。右京とゲロ子が間抜けなことをしてくれたおかげで、アーウィンも思わず注意力が低下した。お茶を差し出す間にすばやくスリ取ることなど、黄金の左手を持つネイには朝飯前だったのだ。
「くーっ! 負けた。もってけ、泥棒め」
アーウィンも負けを認めざるを得ない。こうして青い水眼石が手に入った。右京はすぐにボスワースのところへ行く。カイルに仕上げてもらったブレード部分に加えて、金銀で装飾し、水眼石をあしらったチンクエディアは、元の姿を凌ぐ美しさを醸し出していた。




