二百十六話 火山の洗礼①
突き上げるような揺れが襲い来て、シャーロットが悲鳴を上げる。
「きゃあっ!?」
「うおわっ!?」
そうしてそのまま抱き付いてきたので、アレンも裏返った声を上げてしまう。
乳白色の湯に隠れて見えないが、たわわな胸の間に腕を挟まれた状態だ。ぴったり密着する肌の感触に、体中の血管がぶわっと開く。頭部に血が集中して思考が完全に凍り付く。
幸いにして大きな揺れはすぐに止んだ。
しかし断続的に小さな揺れが続き、広い湯船に波紋が広がる。
シャーロットは不安そうにあたりを見回す。
「地震でしょうか……っ!?」
そこでアレンの顔がやけに近いことに気付いたらしい。
最初はきょとんと目を丸くしていたが、すぐにハッとしてその顔が真っ赤に染まる。バッとアレンから手を離したかと思えば、そのままざっと距離を取った。
「す、すみません。私ったら……」
「い、いや、気にするな。うん」
アレンは壊れた魔道人形のようなぎこちない動きで首を横に振る。
名残惜しいとか、大きかったな……などといった邪念が頭の九割九分を支配していたが、全力で見て見ぬ振りをした。
ともかくアレンは空を見上げる。
真正面にそびえるコンゴウ山。
頼りない月明かりのもとでも分かるほど、その山頂からは灰色の噴煙が立ちのぼっていた。アレンは目を細めてつぶやく。
「まさか……噴火が始まったか」
「噴火!?」
シャーロットがまたも悲鳴を上げる。
「あ、危ないじゃないですか! 早くみんなを連れて逃げないと……!」
「安心しろ。今すぐ逃げればどうにかなる」
火山はまだ煙を吹き出すだけで、噴火が始まってはいないようだ。
今すぐ全員でこの場を去れば被害は免れる。ただし、それはアレンたちに限定した話だ。
「だが、岩人族の里は甚大な被害が出るだろうな。あの山のふもとだ」
「っ……!」
シャーロットが蒼白な顔で息を呑む。
「早く助けに行きましょう!」
「も、もちろん放っておくつもりはないが」
ざばっと立ち上がったシャーロットにさっと背を向けて、アレンは頬をかいてぼやく。
「危ないから、おまえには避難してもらいたいんだが……」
「確かに私はアレンさんみたいに何でもできるわけじゃありません。でも、何かできることがあるのなら、お手伝いしたいんです」
「まったく。言うようになったものだな」
これは意地でも付いて来ようとするだろう。
アレンは軽くため息をこぼしつつも、どこか晴れやかな気持ちで言う。
「それなら行くぞ。岩人族らを助けに行こう」
「はい!」
「だが、その前に……」
アレンは後ろを向いたまま、脱衣所の方を指し示す。
やる気を燃やしていたシャーロットが目を瞬かせるのが気配で分かった。
居たたまれない気持ちになりつつ、か細い声で頼み込む。
「先に上がってもらえるか……俺はここのまま後ろを向いて待っているから」
「あっ……そ、そうですね! 分かりました!」
シャーロットは大慌てで湯船から上がっていった。ちらっと後ろを確認したくなるのをぐっと堪えて、アレンは湯に浮かぶ気泡を数えて気を紛らわせた。
シャーロットが出たあとで、アレンも手早く着替えを済ませて脱衣所を出る。
するとメーガスとマリオンが血相を変えて駆けてくるとことだった。
「大魔王どの!」
「ま、魔王さーん! シャーロットさんも無事でよかったわ!」
「おお、ちょうどよかった」
アレンは軽く手を振って、依然として噴煙を吐き出し続けるコンゴウ山を示す。
地響きも続いていて、時折突き上げるような揺れも来る。分かりやすい天変地異だ。
「山の様子はどうだ。噴火の規模はどれほどになる」
「始まってみないとなんとも言えませんけど」
メーガスは山を見上げて目をすがめる。
「中規模の噴火ってとこですね。このあたりまで被害が出るかも……」
「火砕流が起きる可能性もあるし、一刻の余裕もあらへんよ!」
「か、かさいりゅうですか?」
聞き慣れない言葉にシャーロットがきょとんとする。
「ま、平たく言うと火山の煙が降りてくることだ」
「煙ですか……それなら口を塞いでいればなんとかなるのでは?」
「火山ガスと破片状の岩石が混じり合い、数百度の高温と化した煙だぞ? それが凄まじい速度で山を駆け下りて、麓全体を覆う」
「そんなの死んじゃいますよ……!?」
「そう。俺たち岩人族もさすがにちょっと辛いんすわ」
絶句するシャーロットに、メーガスも渋い顔をする。
火砕流は火山災害でもっとも被害を生じさせる現象だ。
これ以外にも溶岩や噴石、火山泥流と恐ろしい現象はいくつもある。
「族長の話じゃ、三百年前に噴火したときはほとんどの同胞が死んじまったそうですよ」
「は、早くどうにかしないと……! どうしましょう、アレンさん!」
「とりあえず落ち着け。な?」
うろたえるシャーロットを宥め、アレンは軽くうなずいて続ける。
「それなら急いだ方がいいだろうな。ひとまず、おまえたちは里へ向かえ」
「おまえたちは、って……大魔王どのはどうするんですか」
「俺たちは――」
「大魔王」
そこで空気がピシッと凍り付いた。
冷え切った声にゆっくりと振り返れば、そこには寝間着姿のナタリアが立っていた。すっかり寝付いたはずだが、ギンギンになった目を極限までつり上げて、アレンのことを殺気全開で睨み付けている。どす黒いオーラが立ちのぼって、髪がうねうね揺れていた。
「大魔王、ねえさま同様に湯上がりのご様子ですが……まさか、ねえさまと一緒にお風呂に入っていたとか言いませんよね」
「ぐっ……こ、これはだな……」
嫌な汗が全身からぶわっと噴き出した。
状況証拠で言い逃れはできないが、肯定した瞬間に死闘のゴングが鳴らされる。
しどろもどろになるアレンだが、その横をシャーロットがすり抜けていった。ナタリアの肩をがしっと掴んであわあわと叫ぶ。
「ナタリア、大変なんです! 火山が噴火するって……!」
「ご安心ください、ねえさま。事態は把握しています」
ナタリアはシャーロットを励ますようにふんわりと微笑んでから、また鬼の形相に戻ってアレンを睨む。
「緊急事態ゆえ、ひとまずは不問にします。この件については後ほど話し合いましょう」
「心しておく……」
やはり訴訟は免れないらしい。覚悟を決めて、噛みしめるように首肯しておく。
するとナタリアはぶすーっと拗ねたような顔をしてシャーロットの腰にしがみついた。
「大魔王だけズルいです。あとでわたしともお風呂に入ってくださいね、ねえさま」
「いくらでも入りますけれども……な、ナタリアは早く逃げてください!」
「何故ですか?」
「何故って……危ないからですよ!」
「ですが、それは岩人族も同じでしょう?」
妹から問い返されてシャーロットは目を丸くする。
ナタリアは一歩たりとも引かない堂々たる立ち姿で、毅然として言う。
「ガレナたちが心配です。ねえさまが何と言おうが、わたしも里に参ります」
「ははは、やはりおまえたちは姉妹だな」
「うっ……でも、ナタリアはまだ子供で……」
「お言葉ですが、ねえさまより魔法の腕は立つと自負しております」
「それは、そうですけど……」
シャーロットは少しの逡巡のあと、小さくため息をこぼしてナタリアの頭をそっと撫でる。
「危ないと思ったら、すぐに逃げるんですよ。いいですね?」
「もちろんです」
シャーロットの言いつけに、ナタリアは力強くうなずいた。
そこでざっと小さな足音が響く。
「ようゆうたのじゃ、ナタリアぁ……」
暗がりからふらふらと現れたのは、やはり寝間着姿のリディで。
重いまぶたをこすりながら、むにゃむにゃと口上を述べる。
「わらわもガレナたちをすくいにゆくのじゃー……せいじょははいぎょーしたが、とものききにたちあがらずしては、おんながすたるとゆーものでー……むにゅー」
「おっと」
こぶしを天に突き上げた勢いで転びそうになったリディをアレンは慌てて受け止める。そうとう眠いようで、抱き上げるとたいへんホカホカしていた。
「おまえなあ……眠いなら無理せず寝ていていいんだぞ」
「いーやーじゃー……わらわだけなかまはずれにするでないー……」
アレンの首筋に顔をこすりつけるようにして、リディはいやいやと首を振る。
魔法で寝かせることもできるが……置いていった場合、後で確実にむくれるだろう。
アレンはため息をこぼしてメーガスに告げる。
「メーガス、すまないがこいつらを連れて行ってくれ。何かと役に立つだろう」
「了解しました。さー、おふたりさんは俺の上に乗りな」
メーガスはお子様ふたりを担ぎ上げ、ついでにマリオンを背負う。
これなら噴火が起こったとしても全員で逃げられることだろう。
そうこうするうちにお供の二匹も駆けつけてくる。
「よし。ルゥは山の動物たちの避難誘導を頼む」
『はーい! おばあちゃんはどうするの?』
『儂もルゥ殿とともに参りましょうぞ。二匹で手分けすればすぐに済みます』
ルゥもゴウセツもやる気だ。この二匹に任せれば被害は最小限で済むだろう。
それに安堵しつつも――アレンはそっと身をかがめてゴウセツに顔を近付け、声をひそめて尋ねる。
「おまえ……今夜も見張りをしていたはずだよな?」
『その通りでございますが何か』
「……俺とシャーロットが、風呂で出くわすのが分かっていたのでは?」
『もちろん気付いておりました』
ゴウセツは目を細めてかぴーと鳴く。
シャーロットの一番の配下を自負するこの地獄カピバラが、あっさりとアレンの暴挙を見過ごしたのが謎だったのだが……ゴウセツは地面を睨みながら低い声で続ける。
『我が主人の柔肌を汚そうなど万死に値する。八つ裂きすら生ぬるいわこんのむっつり破廉恥糞野郎が……と憤懣やる方なしでありましたが』
「口悪……」
『ですが、儂は思い直したのでございます』
かぴぴ……と噛みしめるように鳴いて。
『アレン殿はシャーロット様と夫婦になるわけですし。これくらい慣れていただかないと困るかな、と判断して見逃しました。何か間違っておりますかな?』
「いや……もういい」
アレンは顔を覆ってかぶりを振る。
本当に、それはそうだった。
そんな話をしている最中も――。
「きゃあ!?」
「うわっ」
ゴゴゴゴゴ……!
低い地響きが轟いた。火山からはさらなる噴煙が上がり、稲光を伴って空を覆いはじめる。足下から感じる揺れもさらに強くなっていた。もはや一刻の猶予もないだろう。
みなそれを感じたのか、顔を見合わせてうなずき合う。
「そんじゃ俺たちは里に参りますけど……大魔王どのはどうするんで?」
「俺たちとシャーロットは火口へ向かう」
「ええ、もちろん…………えっ?」
シャーロットも意気込んでうなずきかけるが、きょとんとしてアレンの顔と火山の頂上を交互に見やる。
「か、火口って……あの火口ですか?」
「おう。なんでもやると言っただろう」
アレンはシャーロットの肩を叩いてにかっと笑う。
「行くぞ、シャーロット。俺たちで噴火を止めるぞ」
「ええええええええっ!?」
◇
コンゴウ山の山頂は凄まじい環境だった。
体が持って行かれそうなほどの強風が吹き荒び、火口から噴き出す黒煙をかき混ぜる。
縁に立って火口をのぞき込めば、巨大なマグマ溜まりがうねりを上げていた。
まばゆく輝く灼熱の海は見ようによっては美しいかもしれないが、時折大きな柱が上がった。悠長に鑑賞する暇はない。
シャーロットも不安そうにあたりを見回しつつも感嘆のため息をこぼしてみせた。
「すごいです……こんなに近くにいるのに全然熱くも苦しくもありません」
「そういう障壁魔法を使っているからな」
風を体にまとわせる障壁魔法だ。有害なガスを弾き、体を適温に保ってくれる。
「ただし長時間は持たない。火山もいつ噴火するか分からんし、手早く済ませよう」
「あの、これから何をするんですか? 私がいる意味はあるんですか?」
「もちろんあるとも」
矢継ぎ早に尋ねてくるシャーロットにアレンは鷹揚にうなずいてみせる。
「俺は今から大規模魔法の準備に移る。そのためには詠唱と精神統一が欠かせないため、一歩たりとも動けなくなるんだが……」
「きゃっ!?」
そこでひときわ巨大な火柱が噴き出した。
噴き出したマグマは巨岩を伴ってアレンたちに襲いかかるのだが――。
「《氷結縛》」
それをアレンはろくに見もせず魔法で弾き飛ばした。じゅっと音を立ててあらぬ場所に落下したマグマの塊は急速に冷えて黒い塊と化すが、ひび割れた隙間からは煮えたぎった赤が覗く。
頭をかばって縮こまったシャーロットに、アレンは解説を続ける。
「こんなふうに岩やらマグマやらが襲いかかるだろうから、しばらく俺を守ってくれ」
「無理ですよ!?」
シャーロットが全力のツッコミを叫んだ。
しかしアレンは首をかしげる。
「どうして無理なんだ。魔法は練習しているだろう。これくらいなら可能なはずだ」
「し、していますけど……もし私がしくじったりしたら危ないじゃないですか!」
「なあに安心しろ。そのときは俺の全力をかけて、おまえだけは生き残るよう守ってやるから」
「私だけは……? あの、アレンさんはどうなるんですか?」
「はっはっは」
「ダメです!」
シャーロットが腕で大きくバッテンを作る。笑って誤魔化す作戦は失敗だった。
「そういうことなら、私なんかよりゴウセツさんの方が適任です。今すぐ呼べばきっと駆け付けてくれますよ!」
「まあ確かに、今回のメンバーならば一番使えるのはあいつだろう」
安全策を採るならゴウセツ一択。そんなことはアレンももとより承知の上だ。
それをしなかったのは、ただのワガママにすぎない。
「命を預けるならおまえがいいと思ったんだ」
「っ……!」
シャーロットが口を大きく開けて固まった。
やがてその眉が吊り上がり、口をきゅっと引き結んだかと思えば、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「も……もう! そういう言い方は卑怯ですよ!」
「む、ダメだったか。ならば前言撤回して――」
「それはしなくていいです!」
シャーロットはぴしゃりと言い放った。
大きなため息を吐いてから、ゆっくりとかぶりを振る。
「分かりました。私も腹をくくります。ナタリアたちも頑張っていることですし」
「よし、よく言ったぞ」
アレンはニヤリと笑ってシャーロットの肩をたたく。
「とはいえそこまで意気込むことはない。アテナ魔法学院で、襲いかかってくる生徒どもを魔法で眠らせただろう。あのときの感覚を思い出せばいい」
「あのときとはずいぶん状況が違うと思うんですけれども……」
「なにも変わらないだろう。俺とおまえで脅威に立ち向かう。これはいつも通りのドタバタ劇だ」
「自然災害は初めてでは……いいえ。もうあれこれ言いません」
シャーロットは杖を取り出してアレンの前に立つ。
そうして背中越しに振り返った顔はマグマの明かりに照らされて勇ましく映った。
「どうぞ、アレンさん。今回は私がお守りします!」
「助かる!」
アレンは快哉を叫ぶ。そのまま即座に詠唱に入った。
「顕界に眠る精霊たちよ。我が命のもと、永久なる安寧を――」
舌先で刻むのは、大地に満ちる魔力に直接干渉する魔言語。
いつもならば省略可な行程だが、今回はイレギュラーゆえきっちりとした下準備を行う。
噴火間際の活火山は大地の力に満ちていて、いくらでも魔力を調達することが可能だった。とはいえそれを操る力量がなければ暴発の危険すらあるのだが……アレンがそんなへまを犯すはずもない。着実に一単語ずつ手順を踏まえていく。
そこでまた巨大な火柱が上がった。
詠唱を続け、無防備なアレンへと溶岩の柱が押し寄せて――。
「あ、《氷結縛》!」
シャーロットがたどたどしい呪文を唱えた途端、火柱が氷の蔦に絡め取られて固まった。
じゅうと音を立てて氷は溶けるが、急激に冷やされた火柱は黒い塊と化してボロボロと崩れ落ちる。
シャーロットが飛び跳ねるようにして歓声を叫ぶ。
「や、やった! やりましたよアレンさ……って、きゃあああ!?」
ドゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
次の瞬間、これまでとは比べものにならない揺れが襲いかかる。
揺れはどんどん強まって、眼下のマグマ溜まりも瞬く間に膨れ上がっていく。噴火が本格的に始まったのだ。
「か、火山が……! これはもう私じゃ無理ですよ!?」
「大丈夫だ任せておけ! おまえはよくやった!」
シャーロットが悲鳴を上げたところで、ちょうど詠唱が終わった。
アレンは彼女の腰を抱き寄せて、力強く地面を蹴り付ける。浮遊魔法で空高くまで飛び上がると同時、眼下にそびえる火山めがけて右手を突き出し力ある言葉を解き放つ。
「《大氷結法円陣》」
莫大な魔力が放出され、絶対零度の凍てつく風が山頂を包み込んだ。
続きはまた来週更新です。本日はこれからアニメ十一話放送!
来週はアニメ最終回となりますが、abemaさんで放送直前特番が放送決定しました。
出演声優さんによる豪華番組です!夜九時からabemaアニメチャンネルで放送予定です。ぜひともご覧ください!





