百二十七話 久方ぶりの帰省③
幼少期、身を粉にして働く母親にわがままを言えるはずもなく。さらに、母親が亡くなって公爵家に引き取られてからは、本音を言える相手はひとりもいなくなって。
だから喧嘩などしたことがないのだと、シャーロットはぽつぽつと語った。語るごとにその顔色はどんどん暗くなっていく。
アレンはそれを最後まで聞いて――さっぱりと笑った。
「だったらこれから変わっていけばいいじゃないか」
「えっ」
「おまえは妹と……ナタリアと会うんだろ」
「っ……」
シャーロットの手を取って、その顔をのぞきこむ。
妹の名が出たとたん、彼女の目に強い光が宿るのをアレンは見逃さなかった。その顔に落ちていた影が一気に薄くなる。
だから、大丈夫だと思った。
アレンはぎゅっとその手をにぎって続ける。
「妹に会って、喧嘩ができるような仲になればいい。それで憧れの喧嘩がいくらでもし放題だ」
「でも、なれるでしょうか……」
シャーロットは不安そうに眉を寄せる。
「私、あの国から逃げてきたんですよ……お尋ね者の悪女です。ナタリアにも、きっと迷惑がかかっているはずです」
「それは冤罪だろう。妹もいつかきっと分かってくれるはずだ」
実家で唯一、彼女の味方をしてくれていたという妹。
彼女ならきっとすべて説明すれば理解を示してくれるはずだ。
アレンはそう確信しつつ、ごほんと咳払いをしてからすこし格好つけたことを言ってみせようとするのだが――。
「安心するといい、俺も力を貸そう。おまえのためなら俺は――ぎゃふっ!?」
『我らもお助けいたしましょうぞ』
『なんかわかんないけど、ルゥもルゥも!』
後ろからゴウセツとルゥに飛び乗られてしまい、決め台詞は半ばで途切れてしまった。
地面に倒れたアレンと二匹を前にして、シャーロットは目の端に涙を浮かべてじーんとする。
「あ、ありがとうございます。みなさん」
「そーそー。深く考えすぎちゃだめだよ。あたしも味方だしね」
エルーカもまたシャーロットの肩に手を置いて、笑顔で励ましの言葉を送る。
和気藹々としたいい空気だが、アレンはうつ伏せで倒れたままだ。
「くっそ……どけ貴様ら! 重いわ!」
『これはこれは不躾なことを。レディに体重の話は禁物ですぞ』
『わーい。アレンってふみ心地いいよねー』
「えっと、ふたりとも、そろそろその辺にして……」
なおもアレンを踏み続ける二匹に、シャーロットはおろおろとするばかり。
それを見てエルーカは感心したように顎を撫でるのだ。
「おにいも変わったけど、シャーロットちゃんも明るくなったよねー。これならうちのパパも安心して……ありゃ?」
エルーカが何かを言いかけて、ふとやめる。
視線を向けるのは埠頭の一角だ。つられてアレンも目をやれば、そこにはいつの間にか人だかりができていた。
「ああ? なんだてめえ! やる気かこら!」
「そっちこそやんのか!?」
互いに胸倉を掴み合うのは、人間の青年と魚人族の青年だ。その仲間たちなのか周囲には人間と魚人族がそれぞれ複数人ずついて、互いに火花を散らし合っていた。どうやら些細なことから口論となったらしい。
ほかの者たちは遠巻きに見つめるばかりで、仲裁に入ろうとする者はいないようである。
このアテナ魔法学院は国内外にその名を轟かせる教育機関だ。
様々な種族の者が集まるため、こうした揉め事は日常茶飯事である。
「言ったそばから喧嘩のようだな……」
「あ、あの喧嘩はダメな気がします。止めた方がいいんじゃないですか?」
「うーむ、そうだなあ」
地面に倒れたまま、アレンは考え込む。
正直言って他人の喧嘩になど興味はない。だがしかし、シャーロットを悲しませる元凶となれば話が違ってくる。
迅速に場を鎮め、彼女を安心させるのがアレンの仕事だ。
ゴウセツたちを跳ねのけて、起き上がろうとするものの――。
「おや……?」
そこでちょうど、人混みの中に見覚えのある銀髪を見つけてしまった。
続きは3月7日(土)に更新します。
そして書籍発売とコミカライズ開始を記念して、来週あたりから四月頭くらいまでは毎日更新予定です。お楽しみいただければ幸いです!





