百二十三話 人気者の優雅な休日⑤
近衛兵団詰め所といえば、街の住民にとって近付きがたい場所だった。
半年ほど前に領主より派遣された彼女らは治安維持に非常に貢献したものの……少々真面目すぎるきらいがあった。
ゴミのポイ捨てのような軽犯罪も厳しく取り締まり、住民との付き合いも最低限。『悪い人たちではないのだが……』という感想を、たいていの住民は苦笑混じりに語るほどだった。
だからよほど困ったことがない限り、誰もそこには近づかない。
だが、今日はひっきりなしに人が訪れていた。
「どうもこんにちはー! パンケーキ特盛りセットの追加、お届けにあがりました!」
「お待たせいたしました〜。ネイルケアの出張サービスです〜」
「うっす! 全身揉みほぐしマッサージに来ました!」
「うむ、どんどん入ってやってくれ」
大皿のパンケーキを運んできた店員、ネイリスト、マッサージ師……手当たり次第に手配した者たちを、アレンはにこやかに詰め所の中へと招き入れた。
中は数多くの人で賑わっており、平時の堅苦しい空気が嘘のようだ。
それもそのはず。厳格なはずの団員たちが、羽目を外しまくっていたからだ。
テーブルを出してパンケーキをつつき合い、ネイリストに爪の手入れをしてもらったり、マッサージを受けたりしている。『イケナイことを実施する』という団長命令に全員最初はかなり戸惑っていたもの、今ではそれなりに順応しているようだった。
おかげで詰め所は明るい空気と甘い匂いで満ちて、女子寮のような様相を呈していた。
そしてその奥に――団長のジゼルが囚われていた。アレンは彼女のそばまで歩み寄り、ニヤリと笑う。
「どうだ、イケナイことのフルコースは。そろそろ観念する頃合いか」
「くっ……! ひ、卑怯ですよ、アレン殿!」
ジゼルは真っ青な顔で叫ぶ。
彼女は今や身動きが取れずにいた。拘束されているわけではない。
リクライニングチェアに腰掛け、湯の張られた桶に足を浸し、ネイリストによる爪のケアと、ミアハによるパンケーキの餌付けを受けていたからである。
ちなみにこの直前に鎧を脱がせ、全身マッサージも済んでいる。動きやすい衣服に身を包み、足湯のおかげか顔もつやつや。完全な無防備でされるがままの状態だ。
それでも彼女は気丈な言葉をつむぐ。
「私の自由を奪い、こんな無意味で非生産的なことをさせるなんて……! ここまでするとは聞いておりません! 即刻、解放して――」
「はい、あーんですにゃー。クリームたっぷりですにゃー」
「はむ……うっ……こ、こんな糖と乳脂肪と小麦の塊……絶対体に悪いのに……なぜ、拒否できないんだ……!」
ジゼルは顔を歪め、パンケーキをもぐもぐと咀嚼する。
苦しげな表情だが、しっかり味わって食べているようで嫌ではないらしい。ひと口を飲み込んでから、ジゼルはキッとアレンを睨むのだが――。
「いえ、もうこの際甘味に関しては見逃しましょう。先ほど受けたマッサージも悪くはないものでした。ですが、この爪の細工はなんですか。こんなものをしていては仕事に支障が――」
「あっ、お客様まだ動かないでくださいね〜」
「あうっ……す、すまない」
今度はネイリストに叱られて、ジゼルはしゅんっと大人しくなってしまう。
そんな彼女に、ネイリストはにっこり笑って。
「ご安心くださいませ。当店のネイルはどんなお仕事の方にもお楽しみいただけるよう、特殊な防御魔法を施します。たとえ強酸スライムの粘液を浴びて皮膚がただれても、爪には傷ひとつ付きません!」
「そ、それなら、まあ……あっ、塗ったあとで模様を描くのか?」
「そうですよー。どんな模様がお好みだったりします? リクエストにお応えできますよ」
「ならばそうだな、星座など……はっ!? い、いや、そんな軟弱なもの私には必要ない!」
「承知いたしました〜。それじゃあこのストーンを並べてお星様を作りましょうか〜」
「はわ……キラキラしてる……」
ネイリストの細やかな作業を、ジゼルはぽやんとした表情で見守るばかりだった。
傍目にもウキウキわくわくしているのが隠しきれていない。
アレンはそれを見て喉の奥で笑うのだ。
「くっくっくっ……いやはや、ミアハには感謝せねばな。爪をいじるなど、俺では逆立ちしても出てこない発想だった。業者の手配料に色を付けておこう」
「わーい、さすがは魔王さんですにゃ。これからもご贔屓に〜♪」
ミアハが満面の笑みで敬礼してみせる。
今回はパンケーキを含めさまざまな手配を代行してもらったのだが、かなりいい仕事をしてくれた。
アレンひとりでは単にパンケーキを食べさせて終わっていただろう。
「ふっ……俺もまだまだということだな。今後はもっと広い視野をもって、イケナイことのレパートリーを増やさねば。とりあえず次はシャーロットに爪いじりをさせてみて……」
「魔王さんはいったいどこに向かうつもりなんですかにゃー。あと爪いじりじゃなくてネイルアートですにゃ」
取り出した手帳にメモを書き連ねていくアレンのことを、ミアハは半笑いで見守った。
そんな折、詰め所の扉がどんどんと叩かれる。こちらが応答する前に、ドアが開いて、グローとその手下たちがひょっこりと顔を出した。
「大魔王さーん。とりあえずご命令通りに街のパトロールに行ってきましたけど……」
「田舎から出てきたご老人が道に迷ってらしたんで、お孫さんの家まで送り届けてきましたー」
「あとは酒飲んで騒いでた奴らがいたんで、物理的に静かにさせて来ましたー」
「よしよし。引き続き仕事は任せたぞ」
「はいはい。まったく、俺らのことなんだと思ってんだか……」
そんな文句を言いつつも、グローたちは詰め所のドアを閉めていった。
近衛兵団としての業務に支障が出ないよう、暇をしていたグロー一味をバイトに雇ってアフターケアも万全である。
だがそれが面白くないのか、ジゼルはむすっと顔をしかめてみせた。
「パトロールは私どもの仕事です。この場にいる部下たちを向かわせれば、代行していただかなくても結構ですのに」
「そう言うな。彼女らも息抜きくらい必要だろう」
「なにをおっしゃいます。私の部下どもはこのような軟弱なもの、興味などございません」
「そうは言うが……その部下どもを見てみろよ」
アレンはすぐそばのテーブルを雑に指し示す。
そこでは団員数名が鎧を脱いで、巨大パンケーキをつついていた。全員神妙な顔をしてフォークを動かしているので、舌に合わないのかと思いきや――。
「いやあ……さすがはあの店のパンケーキだな」
「うっす。お忍びで何度か行きましたよね」
「やっぱ甘いものは沁みるわ……」
小声で話し合うのは、そんなしみじみした感想だった。
おかげでジゼルはぎょっと目を見張る。
「貴様ら! このような高カロリーの甘味を私に隠れて食していたのか!? 公職に就くものとして、体調管理は大事だとあれほど……!」
「うう……すみません団長……」
「うちら正義の近衛兵団ですけど、それ以前に女子ですので……」
「この店ってパフェもうまいんすよ。大魔王さん、おかわりいいっすか?」
「まだ食うのか……まあ、好きに注文するといい」
「わーい! 悪人面なのに意外といい人なんですね!」
一言多い団員たちは、きゃっきゃとはしゃぎながらおかわりの相談をはじめる。ほかの面々も同じような調子で、誰も彼もが幸せそうに顔を綻ばせていた。
それを目の当たりにして、ジゼルはしばしぽかんとしていたが――鎮痛な面持ちでうつむいてしまう。
「そうか……みな、私に遠慮していたんだな。私の方針は間違っていたのだろうか」
「いや、規律正しく生きようとすること自体はいいことだろう」
そんな彼女に、アレンは軽く笑いかける。
「大事なのは、たまの息抜きだ。己を幸福にできぬ者に、他者の幸せを守れるはずがないだろう?」
「息抜き……か」
「お客様、完成しましたよ〜」
ちょうどそこで、ネイリストの仕事も終わったらしい。
ジゼルは手を翳して、自分の爪を見つめる。薄ピンクのマニキュアが塗られた上には、細かなストーンが散りばめられていた。
「こんな風に爪を飾るなど、初めての経験ですが……不思議と気分がいいものですね。貴殿がいなければ、きっと一生知ることもなかったことでしょう。つまりイケナイことというのは……視野を広めるために必要なこと。そうなんですね?」
「えっ? うーん。うん、たぶんそうだな」
「誤解していた自分が恥ずかしい。シャーロットさんに虐待を加えていたのではなく、彼女の世界を広げていた、と……深い……深いですね、イケナイこと……」
「うむうむ、貴様もわかってきたようだな」
悟りを開きはじめるジゼルに、アレンは適当に話を合わせる。
シャーロットを保護した当時、そこまで深く考えていたかと聞かれるとかなり答えに窮する。それまで虐げられてきた分、いい思いをさせてやろうとしか思わなかった。
(ともあれなんとか丸く収まったようだが……うん、爪をいじって何が楽しいかはさっぱり分からんな)
塗りつぶすという点では、他人の書いた荒い魔法論文に、ツッコミをびっしり書き込む感覚に近いのかもしれない。
しかしそこでふと、シャーロットが爪を塗ってお洒落をしたらと想像する。
何色にしようか悩んだり、どんなデザインにするか迷ったり、完成したネイルを見て顔を綻ばせてみたり……。
「あ、それはいい。とてもいいな。うん」
「なんの話ですか?」
「いやいや、こちらの話だ」
惚気は心の中に包み隠し、アレンは朗らかに笑う。
何かを察したらしいミアハがジト目を向けてくるが、気付かないふりをしておいた。
「部下たちの表情もいいですし、今後は懇親会をかねてイケナイことに取り組みます。そのためにもアレン殿……いや、師匠!」
ジゼルは立ち上がり、アレンの手をぎゅっと握る。真っ向から向けられるのはキラキラした尊敬の眼差しだ。
「師匠! どうか私に、もっと色々なイケナイことを教えてください!」
「ふはははは! いいだろう! よし、それではシメのラーメンでも食いに行くぞ! ほかにも食える者たちはついてくるがいい!」
「「「おー!」」」
そろそろしょっぱいものが欲しくなっていたのか、多くの団員たちが沸き立った。
しかしミアハがギョッとして慌てはじめる。
「えっ、魔王さんお外に行くつもりですにゃ? それはやめといた方がいいかと……」
「何を言う。ラーメンを食いに行くだけだぞ、何の問題があるというんだ」
「いや、ラーメンは問題ないのですが――」
「なら問題ないな! 行くぞ、ものども!」
「「「はい! 師匠!!」」」
声を揃えてそんな返事が返ってきて、気分が良くならないはずもない。
アレンはミアハの忠告も無視して、意気揚々と詰め所のドアを開く。
詰め所は街の表通りに面しているため、行き交う人々が数多く見えた。
そしてその中に――。
「あれ、アレンさん……と?」
「あっ……!?」
ゴウセツとルゥを連れた、シャーロットがいた。アレンを見て最初はぱあっと顔を輝かせたが、その後ろにいるジゼルならびに近衛兵団団員たち――もちろん全員、若い女性たちだ――を見て、さっと表情が曇る。
おかげでアレンはその場でピシリと固まってしまった。
(あっ、まずい……! これは非常にまずいよな……!?)
あと一回で終わるつもりが、長くなったのでもう一回。申し訳ない……。
次回もまた来週の今頃更新予定です。