【第四話】春・淡雪 二
ようやく雪が溶け、俺達の暮らす星影市にも遅い桜の季節がやってきた。遅いとはいっても、それは本州と比べてという意味で、道南に位置する星影の開花日は北海道全体と比べると少し早い方だ。そんなある日曜日。
「おーう、親父い」
庭に野菜の種を蒔いているじいさんを見守っていると、壮年の男が現れた。
「晴彦か」
じいさんが顔を上げる。
晴彦さんはじいさんの息子さんで、正月に家族で来ているのを見たことがある。
「どうしたんだい、今日は一人かい」
「親父、決めてくれたか?」
「だからその話はなかったことにしただろう」
顔を顰めて、じいさんは作業に戻る。
「なんでだよ、そのほうが絶対いいって。こんな田舎で孤独死したくないだろ? な、一緒に札幌で暮らそう。毎日孫の笑顔も見れるぞ」
正月に来た時もこの話をしていたな。
晴彦さんはじいさんの背中に向かって声をかけ続けている。
「なあ親父」
「儂はここから離れんよ。ここに骨を埋める覚悟で暮らしているからな。ここで、花や野菜の世話をし、やって来る鳥や動物を眺めるのが、儂の生きがいなんだ。……今日はもう帰れ」
静かな喋り方だったが、底知れぬ威圧感が漂っていた。いつも穏やかな分、こういう時はより怖く感じる。
じいさんは一つ奥の花壇へと移動して作業の続きを始めた。
「分からず屋! 馬鹿親父!」
晴彦さんの罵声が聞こえているのかいないのか、じいさんはさっきにも増して黙々と野菜の種を蒔いている。
「ったく、わざわざ答え聞きに来たのによ……。ん?」
晴彦さんは俺を見下すように見る。
「なんだ、お前まだいたのかこんなところに。こんなじじいのとこじゃなくて、お前にはもっといい住処があるだろうに、物好きな奴だな」
「余計なお世話だ馬鹿息子」
「親父、もし考えが変わったらいつでも言ってくれよ。迎えに来るからさ」
じいさんは答えない。晴彦さんは晴彦さんなりにじいさんを思ってのことなのだろうけれど、じいさんはじいさんでここを気に入っている。うーむ、難しい親子だ。
深い溜息をついて、晴彦さんは車に乗り込む。
「じゃあな親父、またみんなで来るから」
車のエンジン音に、知らず体が震えた。体の傷はもうほとんどないのに、心のどこかに恐怖が残っているというのか……。
「……じいさん、晴彦さん行っちゃったけど……」
「まったく、あいつは田舎のすばらしさを知らんのだ。そうは思わないかい時雨」
「いやあ、まあ、晴彦さんはじいさんのことを思うからこそああいうこと言ってんだと思うけど」
「時雨、儂はな、ここで生きることに喜びを感じるんだよ。ここが儂の生きる場所だと、いつからかそう思うようになったんだよ」
……生きる場所、か。
「俺にもそう思える場所ってあるのかな」
「時雨はここが気に入っているんだね。儂は嬉しいよ」
じいさんがやさしく笑う。初めて会った時と同じ、あのやさしい顔。
林の向こうの方から、以前も聞いたコツコツという音が聞こえてきた。
何の音なんだろう。
「どうした時雨、気になるのかい? あれはキツツキだよ。たぶんアカゲラだろうねえ」
……キツツキ、か。
木をつついているのだろうけれど、なんだか弱々しくて頼りないような、そんな感じがした。




