【第三話】春・淡雪 一
雪が溶け始めた。降る雪も淡雪に変わり、春がすぐそばまで来ていた。あれ以降、夕さんは来ていない。
「最近夕ちゃん来ないねえ」
じいさんは寂しそうに言った。
「時雨はよく来るけど」
はい、すいません。住んでます。
じいさんはテレビのニュースを聞きながら、「この春は何を植えようか」と花や野菜の種の袋を見比べている。仕事早すぎないか?
『都市部ではカラスによるゴミステーションの被害が相次いでおり――』
真面目そうなアナウンサーの男がそんな文を読み上げる。札幌の街でゴミ置き場を漁るカラスの群れと、それを追いかける自治会のおじさんの姿がVTRで流れた。
「ああ、夕ちゃんはどうしてしまったのかなあ」
髪や髭と同じ色の眉毛が大きく下がる。夕さんの話振りだと結構長い付き合いのようだったから、相当寂しいんだろうな。
「時雨、おまえは突然いなくなったりしないよな」
「えっ? なんだよいきなり」
「いつも来る子が来なくなるのは寂しいなあ……」
じいさんの元気がないのと同様に、ユキも目に見えて元気がなかった。
「時雨、あんた夕さんのこと最近見た?」
「あの日以来見てねえよ」
「あーあ……。もう諦めるしかないのかなあ」
くりくりしたかわいい目を伏せて、ユキは首を振る。いつも通りに窓から顔を出したこいつを、いつも通りに眺めているだけでいいのだろうか。
窓枠を越えて、そっと抱きしめてやろうか。
待て、時雨。何を考えているんだ。
ユキが小さく震えた。
その次の瞬間、俺の体が動いた。
「えっ、ちょっ、えぇっ?」
ユキの体が強張るのが分かった。しかし、拒絶の意思は感じられない。俺はユキを抱きしめる。
「ユキ、俺じゃダメか」
「何よいきなり……。無理よ、だって、立場が違い過ぎる……。夕さんもあんたも、結局は二人とも――」
「ユキー、ごはんー」
お姉さんの声がした。俺はユキから飛び退く。
「え、えと、ごめん、いきなりこんな……」
ユキはふるふると首を振った。
「ユキー、ごはんだよー」
お姉さんが部屋に入ってきた。俺を見つけて、その顔が少し怪訝そうに歪む。
「あなた、おじいちゃんのとこによく来てる子でしょ。あなたはいいの、あいつとは違うし。それにほら、あなたってさ……。まあ、ユキに変なことしたら許さないけどね」
「分かっていますお姉さん」
「うーん、よく見ると結構かっこいいんだねえ」
「あざっす」
「ユキ、おいで」
お姉さんが部屋を出ていく。ユキもそれに続く。部屋を出る直前、ちょっと俺のほうを振り向いたけれど、恥ずかしそうに顔を伏せてさっさと出ていってしまった。
俺も夕さんも、ユキとは置かれた場所の異なる存在だった。ユキには一緒に暮らす家族がいるし、美味しいご飯を毎日食べられるし、暖かい部屋にいられる。けれど俺達は……。
叶うのならばユキのように暮らしてみたいとも思うけれど、それは無理なことだ。理由は至極簡単なことで、俺が俺で、夕さんが夕さんだからだ。青や黄色を纏ってみれば何か変わるかも? なんて、不可能なことを考えるのはこれくらいにしておこう。
ユキのいなくなった窓辺にしばらく佇んでいると、遠くから何かがコツコツと鳴る音が聞こえたような気がした。




