【第九話】秋・白露 二
巣から落ちたスズメの雛を見付けたことがあった。通りかかった親子がいて、子供がスズメに駆け寄る。助けようというのだろうか。幸いにも近くに野鳥を扱う動物病院があり、スズメはそこに運ばれた。体調が戻るまでの間、親子が世話をするという。飼いたいという子供に対し、親はこう言った。
「鳥さんは元気になったら森に返さなきゃいけないのよ」
と。
まるで飼われているようだった。
寝床に食事、生活に必要なものは全てここで賄っていた。
それでもいいと思っていた。
気付かれることがなければ、このままでいられると。
気付かれないなんて、そんなの無理で、いつか必ず見つかってしまうのに。
窓辺に佇んでいた俺は、じいさんが倒れるのを目撃した。苦しそうで、もがくことすらできないようだった。
「じいさん!」
どうしたんだ一体。俺は呆然と家の中を見つめる。
窓を割って室内に入り、声をかけるなり事によっては救急車を呼ぶなり、それが俺のすべきことじゃないのか。世話になってきたじいさんだぞ。あの時雨の日、俺を助けてくれた命の恩人だ。ふと窓の方を見たじいさんと目が合った。じいさんの口が力なく「しぐれ」と動く。
こんな、こんな時に何もできないなんて、そんなの……。
窓ガラスに黒い影が映っていた。
本当は助けることもあまりよくないのよ。自然のことなんだから。
スズメを拾った親が言っていた言葉。それが自然の理ならば、俺達には逆らうことはできないのだろうか。けれど、どうするか決めるのは自分自身だ。
俺は身を翻し、隣家へ向かう。相変わらず窓が少し開いていて、ユキの姿が見えた。ものすごい速さで突っ込んできた俺に驚いているのが分かった。
「ユキ、じいさんが倒れた!」
「え」
「お姉さんに……!」
窓辺でばたばたとやっている俺に気が付いたのか、お姉さんがこちらへやってきた。
「時雨? どうしたの……」
「オネエチャン!」
ユキが声を張り上げた。
「オジイチャン! オジーチャン!」
「え、何? おじいちゃんがどうしたの」
「ハヤク! ハヤク!」
「早くしろ!」
「何なのー、もうー」
お姉さんはジャンパーを羽織り、部屋から出る。ほどなくして玄関から出てきたお姉さんは、俺に連れられるままじいさん宅の窓辺へ向かう。
「何……。……お、おじいちゃん!?」
中の様子を見て、お姉さんはすぐに携帯電話を取り出した。
これで助けが来るだろう。俺にできることはこれくらいだ。
緊張した面持ちで携帯をポケットにしまったお姉さんは、地面にへたり込む俺を見て困ったように笑った。
「あなたのおかげだね。いてくれてありがとう、時雨」
じいさんは結局ぎっくり腰だったらしく、命に別状はなかったらしい。
あくる日、俺が行動に出たのはきっと、「俺はじいさんを助けることができた」とか、そういう理由ではない。それこそ巣から落ちてしまったスズメを助けてしまいたいと思うのと同じ気持ち。
ブナの幹にしがみ付いている白と黒の斑模様に声をかける。
「おまえさ、もしかしてだけど、木に穴開けられないの」
赤いアクセントの入ったその小さな鳥は俺を見て笑った。
「えへへ」
えへへじゃない。
「死活問題だろ、キツツキにとってそれって」
「だから時雨さんの力が必要なんですよ。それに、この辺りには僕と時雨さんしかいないでしょう。細かい種類が違うとか、関係ないです。協力して生きて行きましょうよ」
協力? 一方的に俺が頑張らなくてはいけないような気もするが、まあいいか。
「俺考えたんだよ。じいさんに依存しすぎないようにしつつ、ここから離れないにはどうするべきか。……おまえの力になってやる」
「いいんですか?」
「孤独に生きる辛さっていうのは俺も分かる。だから、おまえと一緒にいてやるよ。いい女がこのブナ林にやってくるまでの間な」
アカゲラはいままでよりも幾分か勇ましい顔になり、「よろしくお願いします。時雨さん」と言った。しかし直後にいつもの美少女顔に戻る。
「ああ、仲良くやってこうな、白露」