第1話 ユーナ
【プロローグ】
そこは岩山の中腹にある巨大な洞窟だった。
もとは火山の噴火口だったため、岩肌はゴツゴツとしており、ほとんど植物は生えていない。
まるで巨大な魔獣が獲物に食らいつくために大口を開けているような洞窟の入口には、石造りの神殿があった。
岩山に建ってはいるが、周囲にあるのは軽くて脆い火山岩のため、とても建材としては使えない。
そのため、この神殿は遠くの山から切り出された石をはるばる運んできて、それを積み上げて建てられていた。
二階建ての灰色の建物が、洞窟の入口を塞がないように、それでいて守るように建てられている。
現に24時間、365日、昼夜を分かたず、長い棒を持った神官が二人、洞窟の入口を見張っていた。
見張りの神官は時々、背後にある洞窟にも目を向けていた。
日の光が届かない奥の方は何も見えないが、それでもそこに巨大な何かがいる気配は感じる。
人間など、周囲に転がっている火山岩と大差がないほど圧倒的な力を持つ何かが。
今は昼間だというのに天候が悪く、黒くて厚い雲が岩山の山頂部分を覆い隠している。
山の麓にはこの国の王都があり、そこでは3万人の人間が暮らしていた。
この世界の、さらにこの時代にしては珍しく、その街には城壁が無い。
人間の軍勢はもちろん、人間以外の化物からも住民を守るために、ある程度人間が集まると、まずは柵を作るのだが、この王国は、それが必要にならないほど平和なのか、それとも城壁に代わる何かが抑止力として存在しているかのどちらかということになる。
おそらく、神官たちが見張りをしている巨大な洞窟と無関係ではないだろう。
「今日は寒いな」
一人の神官がそう言った。
「おい、私語は禁止だぞ」
相方の見張りの神官が小声でそうたしなめる。
「大丈夫だって、これだけ風が強かったら、声なんか聞こえないよ」
洞窟の入口から、彼らの住居兼職場である神殿まで100mほどしか離れていない。
「まだ秋だっていうのに、寒すぎて指の感覚が無くなってきたぞ」
「ここは風を防ぐ物が無いからな。この穴の中に入れたら少しはマシだろうけど」
「こちらの穴にお住まいの方は、かなり気難しいからな。最近は大人しいけど、俺の先輩が踏みつぶされてから、まだ2年しかたっていない」
「気を付けろよ。もし聞かれて気分を害されたら、骨も残さず燃やされるぞ」
「本当にオッカナイな」
そのような雑談を続けつつも、二人の目は周囲をくまなく警戒していた。
その時、山の麓から、一人の女性が歩きながら近付いてきた。
漆黒のローブの上に外套を羽織り、フードを目深に被っているが、それでも女性だと分かるほどスタイルが良く、物腰が柔らかい。
普通に考えれば、神殿に参拝しに来た巡礼者と思うだろうが、その女性は、まっすぐ二人が立っている洞窟へと向かってくる。
「そう言えば、フランが……」
ふと、一人の神官が何かを感じ取ったように言葉を止めた。
「ん? どうしたんだ? フランが何かしたのか?」
もう一人の方は何も感じていないらしく、キョトンとしている。
「何か、聞こえなかったか?」
「風の音しか聞こえないよ」
そう言う二人の間を、外套の女性がスタスタと歩きながら通り抜けていく。
どうやら二人には彼女の姿が見えず、足音も聞こえていないようだ。
「で、フランがどうしたんだ?」
「あ、ああ、あいつがさ……」
背後から雑談を続ける二人の声が聞こえてくる。
洞窟の中は、外に建っている神殿が丸ごと入るほど広く、天井も高かった。
その中央から、地鳴りのような唸り声が聞こえてくる。
それは複雑な洞窟の壁や天井に反響し、女性に覆いかぶさるように降りかかった。
まともな人間なら、それが聞こえた瞬間に腰を抜かすか、回れ右をして逃げ出すはずだ。
間違いなく、ここには何か巨大な生き物がいる。
それも、人間など餌としか考えていないような凶暴な奴が。
間違っても、モフモフしたくなるような毛むくじゃらの愛らしい動物ではない。
「初めまして。お休みのところ申し訳ございません」
女性がそう言ってフードを後ろにずらした。
若い黒髪の美しい顔があらわになる。
さらに眼鏡をかけているため、学者か教師のような印象を受けた。
『誰だ、貴様?』
それは声ではなかった。
その証拠に、グルルルという不気味な唸り声は続いている。
『神官ではないな? 自ら我の餌に立候補しに来たのか?』
その物騒な台詞は、頭の中に直接響いてくる。
そして、暗闇に金色の瞳が二つ出現した。
巨大な生物なのは、その高さと目と目の間の距離から簡単に想像できる。
『幸いだったな。今は腹が減っていない。立ち去るが良い』
どうやら餌云々というのは、この巨大な生物なりの冗談のようだ。
眼鏡美人はそれを聞いて、フッと上品に微笑んだ。
「人間のペットに成り下がった大きな蜥蜴の分際で、随分と余裕がありますね」
彼女がそう言った瞬間、洞窟内の空気が明らかに変わった。
暗闇に浮かぶ二つの金色の瞳が、ゆっくりと上昇していく。
伏せていた巨大生物が立ち上がったのだ。
『安い挑発だな。何が目的だ?』
ボッと、その生物が口から小さく火を吐いた。
その瞬間、その姿が暗闇の中に浮かび上がる。
それは真紅の鱗に覆われた巨大なドラゴンだった。
この世界には、数は少ないが何種類ものドラゴンが生息していた。その中でも最も強大で知能が高く、神話の時代から生きているドラゴンのことを、人々は畏怖の念を込めてこう呼んでいた。
『古代竜』
まさに歴史上の存在であり、その鱗は人間が放つあらゆる攻撃を全て弾き返す。
城ですら吹き飛ばせるほどの強力な魔法の直撃を受けても傷一つ付かず、特殊効果が付与された勇者の剣で斬りかかっても、剣の方が折れる。
そのような、人間にとって神のような存在の古代竜を蜥蜴呼ばわりするなど、自殺志願者としか言いようがない。
『過去に、我に挑んだ人間は数えきれないほどいた。竜殺しの称号が欲しかったのか、勇者を名乗る者もいたが、しかし、目的を達成した者は一人もいなかったな』
ドラゴンは魔力の塊である。
自然界の常識から考えれば、これほどの巨体を陸上で活動させることはできない。
自重を支えるだけで精一杯で、まともに歩くこともできないからだ。
ましてや空を飛んだり、炎を吐いたりするなど、どのような進化を遂げても不可能だ。
それができるのは、全て魔力のおかげなのだった。
人間にも魔力を操る者はいる。魔法使いと呼ばれる人たちだ。
しかし、彼らが長い年月をかけて厳しい修行をし、何とか操ることができるようになる奇跡を、ドラゴンは呼吸をし、心臓を動かすだけで実行している。
当然だが、とても人間ごときが対抗できる相手ではなかった。
古代竜クラスになれば、人間の言葉を理解し、今行っているように念話で意思の疎通ができる。
『くだらない挑発で、我に何をさせるつもりだ?』
眼鏡美人の前にいる古代竜は、炎竜と呼ばれていた。
その名前の由来は、鉄をも溶かす炎の息を吐くからで、それに耐えられる盾も防御魔法も存在しない。
「本当に愚かですね」
『なに?』
「自分がこの世界最強だと錯覚し、余裕ぶっているその姿が滑稽だと言っているのですよ」
彼女がそう言った直後、炎竜が咆哮した。
それは、人間の精神を崩壊させるほど強力な魔力を含んでおり、それを近距離でまともに受けた彼女に身を守る術はない……はずだった。
まさに暴風のような悪意に満ちた魔力を真正面から受け止めつつ、眼鏡美人が懐から手のひらサイズの牙のような物を取り出した。
神滅歴555年 10月1日 コラボ島
この世界最大の大陸であるゴルトランドの南に、小さな島が浮かんでいた。
暖流の真ん中に浮かび、年間を通して温暖な気候が続くため、果実の栽培と、海流に乗って遊弋する魚を獲る漁業が盛んだ。
さらに、魚同様に海流を利用して海原を旅する交易船の中継地としても栄えている。
その港に、1隻の帆船が入港してきた。
3本のマストに掛けられた帆を1枚、また1枚と巻き上げ、速度を調整している。
「ボート下ろせー!!」
長年海の上で過ごしてきたベテランの船乗りならではの、聞き取りにくいが遠くまで響く怒鳴り声を合図に、舷側からボートがゆっくりと降ろされていく。
髭面の甲板長の指示で10人乗りのボートが海面に浮かぶと、縄梯子伝いに船員たちが乗り込んでいき、それぞれオールを手に持つ。
動力が風しかない時代の大型船は小回りが利かないため、岸壁に船を横付けするために、このボートで押したり引いたりするのだ。
その間に甲板上には、荷物を抱えた乗客たちが上がってくる。
ほとんどは、このコラボ島に商談に訪れた商人と観光客だ。
「いやぁ~、有難いね。一時期は海賊が怖くて、この島に来られなかったからね」
「まったくだ。この島でしか買い付けできない果物があるから、本当に困っていたんだよ」
乗客たちは、揺れる狭い船内に何日も押し込められ、何もしていなかったので身体がガチガチに固まっている。
それを伸ばしたりほぐしたりしつつ、皆でヤレヤレと雑談を始めた。
「何でも、冒険者が海賊を退治してくれたそうですよ」
「えっ? 軍隊じゃなくて?」
「軍隊が相手をするのは軍隊だけですよ。盗賊や海賊みたいな小者のためには動かない」
「賄賂を渡さないとね」
「その通り」
そう言うと、お互いに自嘲気味に笑う。
その時、甲板に一人の女の子が上がってきた。
年齢は10代半ばぐらいだろうか。どことなく品のある可愛らしい顔立ちで、その中でも人目を惹くのは、紅く深いルビーのような色の瞳だった。
白く透き通るような肌の色と相まって、高貴な家の令嬢に見える。
艶のある綺麗な金髪をショートカットにしていなければ、このような荷物と人間を雑多に積み込んで運ぶ貨客船の乗客には見えなかっただろう。
身長は小柄で、スタイルも妖艶からは程遠かったが、若さゆえの弾けるような魅力に満ち溢れていた。
服装は動きやすそうな白い襟付きワンピース。そして腰に防具を兼ねたコルセットを巻き、さらに革のベルトを締めてショートソードをぶら下げている。
あと、両肩と両腕には金属製の防具を付けていた。
ちなみにショートソードとは、片手で扱える剣のことで、両手で振り回す剣のことはツーハンデッドソード、その中間のサイズの剣をバスタードソードと呼んでいる。
この世界でそのような格好をする職業は一つしかない。冒険者だ。
騎士ならもっと全身を覆うようなプレートアーマーを身に着けているし、兵士でももう少し防御力の高い鎧兜を身に着け、さらに大量生産された剣や槍を持っている。
さらに言うと、彼らは仕事の時以外は鎧を身に着けたりはしない。
そのような物を普段から装備しているのは、身一つで旅をし、さらにいつどこで戦闘をするか分からない盗賊や冒険者ぐらいのものなのだ。
その女の子は、舷側の手すりに近づくと、大きく息を吸った。
眼下には出迎えの人たちが集まり、岸壁に沿って並んで手を振っている。
この船で里帰りをしてきた身内を出迎える者、商談相手の到着を歓迎している者、さらに宿屋の呼び込みが、船を降りた直後が勝負とばかりに待ち構えているのだ。
「ロープ投げるぞ!!」
「おう!!」
甲板上から船員がロープを投げると、岸壁で待機していた作業員がそれを受け取り、ビットに手早く巻き付けていく。
「それにしても、今回の航海は荒れましたね」
「まあ、ちょうど嵐がよく発生する季節ですからね」
この島の周辺は海水の温度が高い分、夏から秋にかけて台風がよく発生するのだ。
もちろん船乗りたちは、そのような嵐を避けて航海をしているが、それでも波はかなり高くなる。
金髪の美少女が空を見上げると、海鳥が旋回していた。
そして、今度は視線を前に戻すと、港から少し離れた高台の上に街がある。
この島は過去に何度か津波の被害を受けているため、船着き場や倉庫のような海辺に無いと仕事ができない施設を除いて、街は高い位置に作られているのだ。
彼女はそれらを確認し、再び眼下に集まっている出迎えの人たちに視線を戻した直後、
「オェエエエエエッ!!」
盛大に吐いた。
それまで笑いながら手を振っていた人たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。




