1.特等席の彼女
「ゆきとー、これ2番さん」
カウンターにコーヒーカップを置きながら、母親が呼びかけてきた。
「はいよ」
ソーサーを持ち上げると、淹れたての芳醇なコーヒーの香りが漂ってきた。
オーダーのあったテーブルに注文の品を手際よく運ぶ。
俺の実家はカフェをしている。
一階がカフェ、二階が居住スペースだ。
地元住民はもちろん、観光客っぽい人たちも時々訪れてくれる。
切り盛りをしている母親の様子を見る限り、それなりに儲かっているのかもしれない。
ただ、そんな家の息子なのだから、無論、カフェの手伝いをさせられるに決まっている。
中学校までは子供のお手伝いの延長、ぐらいで手伝っていたのだが、高校への進学を機に母親は俺のシフトをがっつり入れるようになった。
おかげで小遣いも弾んでいるのだが、こちらの予定をフル無視でシフトが組まれているため時々困ったことになる。
「母さん、俺来週テストなんだけど」
「あんた、どうせテストなんて言っても大して勉強しないじゃない」
「いや、さすがに多少復習はするよ」
「そう?なら、シフト入れても問題なさそうね」
何が「なら」なんだろう。
復習すると伝えたはずだが、こちらの話をまるで聞いていないようだ。
ただ、忙しそうな母親を放っても置けない。勉強もそこそこに、シフト通りに出ることにした。
テスト一週間前のある日、その日もカフェの店員に勤しんでいた。
「あの子、今日も来てくれてる」
食器の片づけをしていたところに母親が話しかけてきた。
母親の視線は窓際の二人掛け用のテーブルに向いている。
そこには机に問題集を広げ、険しい顔でシャーペンを動かす少女の姿があった。
穏やかに過ごすであろうカフェという場所には似つかわしくない表情だ。
「誰?」
「はー、あんた知らないの?」
「知らないよ」
「あんたってほんと人に興味ないのね…」
「で、誰?」
「私も名前は知らないんだけど。去年の秋ごろかな、それぐらいからだからもう一年くらい、毎週のようにうちに通ってくれてる子なの」
「いつもあんな感じ?」
「そうね、いつも勉強してる。メニューも頼んでくれるし、学生として勉強頑張ってるんだから追い出すのもなんだかなーと思って、通ってもらってる」
カフェのオーナーとしてはあまり長居されたくないというのが本音だろうが、常連さんを無下にできないのもまた本音だろう。それが学生ならなおさらだ。
「せっかくだから、あんた、コーヒーのおかわり要るか訊いてきて」
「え、俺?」
「店員なんだから経営者の言うことを聞きなさい」
「職権乱用だろ…」
経営者もとい母親にそう言われれば仕方がない。
しぶしぶ例の彼女のもとへ向かう。
「あの、コーヒーのおかわりいかがでしょうか?」
こちらの声に驚いたのか、びっくりして顔を上げる。
焦ったからか、目が大きく見開かれていた。
問題集を睨みつけていた表情とは打って変わって、とても幼げに見えた。
「え、あ、じゃあ、いただきます…」
「かしこまりました」
コーヒーカップを持ち上げ、コーヒーを注ぐ。
「あの、三島くん、ですか?」
コーヒーを注いでいた手が止まる。
「え?なんで俺のこと…」
「あ、やっぱり。私のこと、分かりませんか?」
こんな子とどこかで知り合っただろうか、少なくとも小学校、中学校時代の知り合いではない。
見た目からして年は近そうだ。
「もしかして同じ高校?」
「そうです。でも『もしかして』ってことはやっぱり私のことご存じではないんですね」
「すみません…」
「あ、いいんです。謝らないでください。私のことは知らなくて、いいんです。」
彼女はうつむく。
彼女のことを知らなかったことで彼女を傷つけてしまっただろうか。
しかし今は仮にも勤務中。一旦は離れることにした。
「もしなにかございましたらお気軽にお申し付けください」
「ありがとうございます…」
なんだかんだ客足が途絶えず、バタバタしているうちに閉店時間が近づいていた。
机にかじりついていた彼女もやっと勉強道具を片付け、会計をするため伝票をもってレジへ来た。
「お会計860円になります」
彼女から1,000円札を受け取り、140円を渡す。
「あの、三島くん。」
「はい、なんでしょう?」
「私に1位を譲ってくれませんか」
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