想いの丈を・・・
俺ってこんなに臆病だったか?
そんな事を思いながら、瀬那は授業に参加していた。
ふと窓からグランドを眺めると、其処には見たくもない人物の姿が見える。
瀬那が欲しても手に入れる事の出来ない想いを、1年もの間独り占めしている綺麗な人・・・。
自分の思考が卑しい物になっている事に気が付いて、瀬那は急いで視線を外した。
別に遙が悪い訳ではないのだ。
自分の今の気持ちと其れは多分別問題で、浅ましい嫉妬など御門違いである事は百も承知している。
いるけれど、やっぱり気持ちの整理なんか出来なくて、怖い顔で遙を見てしまっていた。
想いに耽っていた瀬那の耳に、終業を知らせるチャイムが聞こえる。これから昼休みだ。
開きもしなかったノートと教科書を机の中に押し込み席を立った。
教室に居る事に少しだけ慣れたけれど、いかんせんつるむのは大嫌いで、かまって来るクラスメートを煩わしく思う。だから、いつも急いで教室から抜け出していた。
最近の瀬那の居場所は、学校内の図書室。
殆ど人が来ないし、居る人間は他人に興味が無い、といった感じで自分の世界に浸っている。瀬那には好都合だった。不都合だったのは煙草が吸えない事。
屋上へ行きたい気持ちはあったけれど、朝霧に鉢合わせでもしたらたまった物ではない。
だから静かにこの図書室の一番奥。本棚で視界が阻まれる場所を居場所に選んだ。
最奥の場所に椅子など無いから、床に直接座り込む。
窓から流れてくる気持ち良い風が、留めきれてなかった淡い色のカーテンを、レース部分と共にはためかせていた。
その気持ち良いまでの空間に瀬那は思わずうっとりとしてしまう。少しだけ、と思い目を閉じた時、思いがけない衝撃が瀬那を襲った。
「やっと見つけた」
低い声が聞こえる。一瞬空耳?と自分を疑ってしまう程、それは思いがけない事だった。
スローモーションのように視線を上げて行くと、今1番逢いたくない、でも1番恋しい人の姿があった。ただ呆然とその姿を眺める事しか出来ない。
「めし」
一言言うと、その手が瀬那に差し出された。意味が解らなくて目をぱちぱちさせる。
そんな瀬那の反応に、何故だか少しイラついた様に舌打ちをした朝霧は、徐に瀬那の腕を掴み立ち上がらせた。そのまま歩き出す。
驚きに言葉もない瀬那は、だけれどこのままでは要らぬ事まで言ってしまいそうで、抵抗を試みた。
廊下に出た所で、引っ張られる腕を引き戻す。腕を離しはしなかったものの、歩みを止めてくれた。安堵から一つ息を吐く。
そんな瀬那を朝霧の意思の強い瞳が捉えていた。その視線に気付いた瀬那は、視線を足元に降ろす。きっと見詰め合ってしまったら、もうこの想いを押し留めておく事はできないから――――。
「突然なんですか?俺今忙しいんですけど・・・」
視線を上げる事なく口早に告げる。しかし、朝霧は表情を変える事なく言った。
「いいから付き合え」
言い放ち再び腕を強く掴むと歩き出してしまった。
どきどきが止まらない。
心臓が口から飛び出してしまうのではないか、と心配してしまう程だ。
連れてこられたのは、何時もの屋上。瀬那は朝霧の横に座らされ、その手に朝霧が買ってきてくれたのだろう、サンドウィッチが握らされていた。
瀬那の横には当然のように朝霧が座っていて、やっぱり買って来たのであろうおにぎりを頬張っている。
ちらりと視線を向けると、端正な横顔が大きな口を開け、最後の塊を口に放り込む所だった。色気のある口元が、放り込まれたおにぎりを咀嚼する。男らしい喉元が、咀嚼した食べ物を飲み込むのが解った。
その一連の動きが、妙に色気を発していて、瀬那は思わず赤面してしまう。
「食わないの?」
突然の言葉に驚く。何時の間にか朝霧の視線が瀬那を捉えていた。
正直、食欲は無い。しかし、折角用意してくれた物を拒否するのも失礼かと思い、仕方なくサンドウィッチの包装を破いた。
「・・・頂きます」
釈然としないけれど、一応感謝の意を込めつつ告げると、朝霧の怖いまでの顔が綻んだ。
その笑顔に持っていたサンドウィッチを取り落としそうになる。今までにない優しい笑顔に、瀬那はもう死ぬとまで思ってしまった。
急いで視線を外し、ハムとレタスが挟まれているサンドウィッチに口を付けた。シャリシャリとレタスを咀嚼する音が響く。何故だかそれだけで、緊張が解れて行く気がした。
しかし、そんな事を思ったのも束の間、朝霧はとんでもない事を言う。瀬那は思わず口に入れていた食べ物を吹き出す所だった。
「なんで屋上に来ない」
不意に核心をつかれる。視線は先程のような優しい物ではなくて、苦しそうな物だった。
「俺は毎日ここで壱尹を待ってた。でもお前は来ないし、まさか1年の教室に行くわけにもいかないから・・・」
待っていた、と朝霧は言った。瀬那は自分の耳を疑う。きっと聞き間違いだ、と自分に言い聞かせ、口腔内に残っていた食べ物を飲み込んだ。そうして、言わなければならない事を早く終わらせたくて瀬那は口を開いた。
「俺が言いだした事ですけど、“身代わり”の件・・・あれ、終わりにしたいんです」
ずっと考えていた。
初めは朝霧の悲しい顔が可哀そうで、始めた事。
何度も屋上で過ごした時間があまりにも楽しくて、自分の気持ちに少しずつ変化が生まれた。
遙の事を見詰めるあの優しい眼差しが、自分に向く事は無いと悟った。
そして、あの腕に抱きしめられた時、自分の気持ちに気付いてしまったのだった。
その時から、自分が始めた“身代わり”はもう無理である事を悟ってしまう。
そして、なるべく早い段階で、自分の胸に刻まれた傷が浅い内に、手を引くべきだと思ったのだ。しかし、臆病な自分は、朝霧に逢う事はおろか、伝える事すらできないでいた。
だけれど今日こうやって強引に屋上に連れてこられて、その時が来たのだと思ったのだ。
「・・・なんで?」
地を這うような低い声が聞こえる。恐る恐る朝霧の顔を見ると、息を飲む程格好良い顔が能面のように表情を失っていた。
「なんでって・・・?!」
言葉を発した時、影が陰り能面のような顔が目の前に有った。次の瞬間、衝撃が走る。
胸倉を掴まれたかと思ったら、瀨那の唇に何かが宛がわれた。驚く程の近さに、朝霧の閉じられた瞼が見える。まるでスローモーションのようにゆっくりと唇が離れて行き、其れに伴い朝霧の顔がはっきり見えるようになった。
掴まれていた胸倉が放される。
瀨那は何がおきたのか理解できずに、瞬きすら忘れただ正面を見つめていた。
「俺が言いだした事ですけど、“身代わり”の件・・・あれ、終わりにしたいんです」
瀨那の言葉が木霊する。
やっと捕まえて、なんとか屋上まで連れて来たのはそんな言葉を聞きたいからではなかった。表情を無くしながら朝霧は、ただ横にいて欲しいだけなのにやっぱり俺の想いは伝わらないのか?と自問自答する。しかし、想いを伝えていないのだから伝わるわけがない。
親友に、遙に背中を押してもらったではないか。
伝えなければ何も始まらない。
其処に思い至った時、朝霧は行動を起こしていた。
自分を見ない瀨那の胸倉を掴み、自分の方を向かせる。そうして、その艶めかしい程赤い唇に自分の物を押し当てた。
言葉も無く、赤い瞳を見開く瀨那を尻目に、その唇を堪能しそうして放してやる。掴んでいた胸倉も放してやると、瀨那は人形のようにそのままの形でフリーズし、ただ正面を向いていた。
朝霧は失敗したかも、と思う。
想いを伝える前に、行動をおこしてしまったのだ。
瀨那が驚き、何も言えなくなるのは解っていたはずなのに・・・と後悔する。
けれど、艶めかしい程の唇が思った以上にしっとりとしていて、もう1度堪能したいと思ってしまった。
「瀨那・・・?」
けれど、反応してくれないのでは困る、と思い、初めて名前を呼んでみる。
まるでロボットのような動きで瀨那はゆっくりと振り向き、見開きっぱなしのその瞳に朝霧を映した。その顔が驚く程不自然に笑顔を作る。
「え、なに?」
だからもう1度、今度は首の後を掴み口付けた。瀨那の身体が大きく揺れる。そうして思った以上に強い衝撃で、押し返された。赤い唇をもっともっと堪能したかったけれど、しかたなく放してやると、大きな赤い瞳には涙が浮かんでいる。
「な、な、なにすんだよ!!」
顔を真っ赤にしながら瀨那は叫んだ。
「キスしただけだろ?」
そう言ってみると、赤い唇をわなわなさせて黙ってしまう。その反応があまりにも可愛すぎて、あぁ、やっぱり俺はこの子が好きなのだと、朝霧は思った。
「・・・瀨那が先にしたんだろ?」
もう1度名前を呼んでみる。いつかの屋上でのキスを揶揄しながら告げると、瀨那は今度こそその瞳から大粒の雫を零した。
「な、何言ってんだかわか」
「好きだ、瀨那」
瀨那の言葉を掻き消すように告げ、もう1度唇を奪う。
ポロポロと零れ落ちる涙を指で拾い上げながら、抱き締めてみると、今度は押し返される事はなかった。
腕の中で小さな体が震える。涙交じりの声が耳に届いた。
「・・・あんた、勘違いしてる。俺が“身代わり”だったから遙さんへの気持ちと混同してるんだ」
それはある意味当たっているように思うけれど、この胸から溢れんばかりの想いはきっと勘違いではないはずだ。今目の前で、遙と瀨那が危険なめに遭っているとしたら、間違いなく瀨那の事を助けるだろう。“身代わり”がいつの間にかそれよりも上になったのだ。
「勘違いなはずないだろ。俺の気持ちは俺にしか解らない」
伝わって欲しいと思いながら、朝霧は強い程の想いを小さな体にぶつけた。
真っ赤な顔を朝霧の腕の中に隠しながら、瀨那は零れる涙を止める事が出来なかった。
これは夢だ、と思いながら、しかし欲しかった温もりを与えられ、拒む事ができない。
なんとか伝えた拒絶の言葉も、強い口調で退けられてしまった。
朝霧は間違いなく“好きだ”と言った。そうして3度もキスされた。
瀨那の頭の中はグチャグチャになってしまい、ギュッと握っていた拳を開いて、朝霧の大きな背中に恐る恐るその手を伸ばす。身体全体で朝霧の温もりを感じ、小さな溜息を吐いた。
「あんた・・・卑怯だ・・・」
本当にいいのだろうか。
この温もりを貰っても・・・。
耳元でフッと小さな笑い声が聞こえる。それが朝霧のものだと理解すると、やっぱり騙されたのだと思った。だから、突き飛ばそうと思ったのに、小さなアクションで察したのか朝霧は抱き締める腕の力を強めた。
「お願いだ」
苦しそうな声に動きを止める。
「逃げないでくれ・・・」
続いた言葉に、もう頭は沸騰寸前だった。
もういいや・・・。
騙されていたとしても、もうどうでも良い。
自分が好きになってしまったのだから、それで良いではないか。
好きな人が、こうして自分の事を必要としてくれている。
今は、それだけで充分ではないか・・・。
瀨那はそう思い、再度その大きな背中に腕を回した。
「逃げねぇ~よ。・・・俺が始めた事だ。最後まであんたに付き合ってやるよ・・・」
少しだけ、自分に逃げ道を作り瀨那は決意ともとれる言葉を伝える。
朝霧の小さな吐息が、聞こえた気がした。
何時もの屋上で2人は背中を合わせ座っている。
通り過ぎる風に、瀨那の赤い髪が巻き上げられた。
パタパタとネクタイがはためき、幸せな一時に瀬那は小さく笑う。
瀬那の背後で、単行本を読んでいた朝霧は顔を上げた。
「瀬那?」
名前を呼ばれるのには相変わらず慣れない。顔を見られていない事を良い事に、瀬那は大いに赤面した。
「何かあったのか?」
再度声を掛けられ、瀬那は言葉を捜す。
ふと視線を這わせると、グラウンドに遙と隼の姿を認めた。2人は仲良さそうに笑顔を湛え、グラウンドのベンチに腰を降ろしている。多分昼食を摂るのだろう。
試すような事をしてはいけない、と思うけれど、やっぱり自分の事を好き(・・)と言う朝霧の言葉が嘘のようで、瀬那は言葉を紡いだ。
「遙さんと隼さん」
そう言い、朝霧の顔を確かめた。
瀬那越しに遙と隼の姿を確認する。
相変わらず自分をいまいち信じてくれていない、愛しいビスクドールをちらりと見た。
これは多分試されているのだろうな、と漠然と思いながら朝霧は言葉を紡ぐ。
「あぁ、相変わらず仲良いな」
ジッと、自分の顔色を見詰める瀬那に頬が緩む。
この頑固な恋人は、次に続く言葉を聞いたらどんな顔をするのだろう。
そんな事を思いながら、朝霧は言葉を続けた。
「俺も、あれ位瀬那と仲良くしたいんだけど?」
とたんに瀬那の顔が赤く染まった。
この人は本当に卑怯だ。きっと、自分の気持ちは嫌というほど伝わってしまっている筈で、敗北感を感じる。
視線を外し、精一杯虚勢を張った。
「・・・ばかじゃね~の?」
瀬那の言葉に、朝霧は満足する。
まだ自分たちは始まったばかり。
焦る事はない。
時間はまだあるのだ。
ゆっくりとその時間を使い、このビスクドールに自分の想いを刷り込んで行こうと心に誓い、朝霧は瀬那の赤い唇に己の其れを落としたのだった―――――。
この作品は、“友達から始める恋”でのヒール役だった朝霧の物語でした。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。