苦しみ
眠れないだろうと思っていた瀨那だったが、何時の間にか眠りに落ちていてカーテンの隙間から差し込む朝日にその目を開いた。
抱き締められていた腕は、腕枕の様になっていて瀨那は顔を赤く染める。
そうっと朝霧の顔を見ると、切れ長の目を隠す瞼が小さく揺れた。
起こさない様に身体をずらし、ベッドから這い出る。
「・・・何やってんだよ、俺・・・」
小さく呟き、どうしたものか考えた。
そうして出された答えを実行すべく、借りたTシャツと短パンを脱ぎ着替える。丁寧に寝巻をたたみ、起こさない様に朝霧の部屋を出た。
軋む階段を踏みしめながら玄関に向かい、外に出る。携帯の液晶を確認すると朝の6時だった。
住宅街だからか、車の音はしないけれどジョギングをする青年の靴音と、犬の息遣いが響いている。瀨那は人に顔を隠すように下を向き、歩き出した。
昨晩、ただ付いて歩いていただけだったが、抜群の記憶力のおかげで帰り道を覚えている。静かな住宅街を抜け、小さな公園を右手に見ながら歩き続けると、見慣れた道へと辿り着いた。この道を左に曲がれば寮が見える。
瀨那はフッと後に顔を向けた。其処には勿論誰もいないけれど、急に朝霧の寝顔を思い出し1人で赤面する。そうして自分の気持ちを再確認した瀨那は戸惑う。
「ほんと・・・何やってんだろ、俺・・・」
頭を振り、1人呟いたのだった。
部屋の扉が静かに閉まる音が聞こえた。
朝霧はそーっと目を開け、扉を見る。小さな足音が聞こえ、やがて玄関が開閉される音を確認し身体を起こした。
そうして自分の行動に驚き頭を押さえる。サイドテーブルにきちんと畳まれている衣服を見、小さく息を付いた。
昨晩、何故だか急に瀨那を愛おしく思い抱き締めてしまった自分に心底驚く。ビクリと肩を震わせながら、しかし静かにそのままで居てくれた瀨那。小さな寝息を聞いていたら、自然と自分も眠くなってしまい闇に落ちていったのだ。
瀨那が起きる少し前に、朝霧も目覚めていた。腕の中で寝息を立てている綺麗な、愛らしい顔を何時までも見ていたいと思いそのままで居たのだが、瀨那の瞼が揺れ、起きる気配を察した朝霧は急いで寝たふりをしたのだった。
朝霧は静かに煙草に火をつける。そうして想いを馳せた。
突然の言葉とキスに、困惑した。
つっぱっているけれど時々見せる幼い表情に笑顔が浮かんだ。
屋上での時間が、いつの間にか楽しい物に変わって行った時、やっぱり時々見せる悲しげな表情にどきりとした。
隼のライブ会場で、他の男に言い寄られている姿を見た時、嫉妬で気が狂うかと思って怖くなった。
そうして昨晩、この腕の中に包み込んだ時、全てを理解した。
あぁ、俺はあの子の事が好きなのだな、と確信した朝霧はその口角を小さく微笑ましたのだった。
寮に帰った瀨那は、1人思い悩んでいた。
自分の気持ちを自覚してしまえば、もう“身代わり”になどなれない。
あの大きくて暖かい腕を欲しがってしまうから・・・。
1日目は仮病を使って学校を休んだ。しかし、直ぐに里親から様子伺いの電話があって、次の日から休めなくなった。
登校し、何時もなら直ぐに屋上へ向かうけれど、もうあそこには行けない。朝霧に逢ってしまえば、この想いをぶちまけてしまいそうで怖かった。
“身代わり”は自分から言い出した事だったのに、それが瀨那を苦しめる。まして、朝霧の気持ちは自分にはない事を、嫌という程解っていたから、この恋は始まった時から終わっていたのだ。
そんな事は解っているけれど、はち切れんばかりの想いが瀨那にのしかかっていた。
珍しく、1限目から出席している瀨那に、担任はおろかクラスメートまで驚く。しかし、やっと勉強する気になったか、と喜ばれもした。
ただ行く所がなかっただけだけれど、クラスの喧騒が今の瀨那には丁度良かったのかもしれない。煩く付きまとうクラスメートにウンザリしながらも、屋上へ行かなくて良い口実を見つけ、密かに息を吐いたのだった。
「朝霧!」
ぼーっとしていた朝霧を呼ぶ声がする。振り返ると、其処には遙の姿があった。
もう、彼の姿を見てもこの胸は痛まない。それが瀨那のおかげなのだと改めて思った朝霧は、しかしここ1週間、その姿を見ていない事に苛立ちを募らせていた。
点けたばかりの煙草を乱暴に消し、遙に向き合う。
そんな朝霧の苛立ちを察しているのだろう遙は、少しばかり表情を曇らせ、しかし無理矢理笑顔をたたえる。そうして朝霧の横に立った。
「どうしたの?又元に戻っちゃったみたいだね」
始め、何を言っているのか解らなかった朝霧は、遙を睨むように見る。
「何が言いたい」
短く告げられた言葉に、以前の遙であれば尻込みしてしまいそれ以上何も言えなかったはずだった。けれど、1年という時間が流れている。
遙は1度大きく深呼吸をし、朝霧に向き合った。
「この1年、朝霧はおかしかったよね?・・・原因は多分僕にあるんだろうけど。でもここ数カ月は、あの事がある前の朝霧に戻ったみたいだったよ。・・・僕が言っている意味、解る?」
言葉を選びながら、だったけれど今の朝霧には充分良く解った。だから遙から視線を外す。
「以前は、僕が一杯朝霧に甘えてたよね。何かあると直ぐに朝霧を頼った。・・・僕も少しは大人になったんだよ?」
遙が言おうとしている事は、なんとなくわかった。けれど、やっぱり苛立ちだけが募ってしまう。
「回りくどい事言ってないで、はっきり言ったらどうだ?!」
おもわず遙の胸倉を掴み上げていた。視線を遙に向けると、真っ直ぐに朝霧を見詰める真摯な視線が迎え撃つ。
朝霧の負けだった。掴み上げていた胸倉をゆっくりと離し、そうして座り込んでしまう。
遙は襟元を直した後、静かに朝霧の横に腰を下ろした。
「・・・俺、好きな奴が出来た・・・」
小さな朝霧の声に耳を傾ける。
「うん。それで?」
まるで子守唄の様な優しい声音に、朝霧は観念したように瀨那との出会いから、自分の臆病なまでの想いを話したのだった。
最後まで言葉を挟む事なく聞いてくれた遙は小さく息を吐く。そうして複雑なまで揺れ動く朝霧の目を捉えた。
「朝霧、ちゃんと言葉にして伝えないと駄目だよ。・・・僕は今でも朝霧を1番の親友だと思ってるよ?だから朝霧には辛い思いはして欲しくない」
まっすぐな眼差しで、こちらが赤面するような事を言う。
ついつい照れ臭くなり視線を外そうとした時、遙は朝霧の腕を軽く叩いた。
視線を外すな、という事らしい。
朝霧は観念し、視線をその綺麗な、輝かしいまでの遙の顔を見詰め返した。
「ちゃんと言葉にして、そうして幸せになってよ」
息を飲む程の、びっくりする程綺麗な笑顔の遙はそんな事を言い、朝霧を残し屋上を後にした。
遙に背中を強く押された気がする。しかし、一歩が踏み出せない。
そうして、何時の間にか陽が傾き出した空を眺めた。
自分が吹き出した紫煙が、赤紫に染まる空に消えて行く。
1年前に憶えた煙草の味が、妙に舌を刺激し眉間に皺を寄せる。
遙の事が死ぬ程好きだったはずなのに、今自分の胸を占めるのは瀬那だ。
何時の間にか横に居るのが当たり前になっていたから、想いを伝える事を躊躇った。
そんな臆病な自分に嫌気がさして、そして1年前の、同じ過ちを繰り返すのか?と自問自答する。
遙に、・・・親友に背中を押されたのだ。
何を躊躇う事がある?
気持ちを伝えて、ダメなら仕方ないではないか。
又、1人になるだけだ。
でも多分1年前のように腐ったりはしないはずだ。だって俺には、こんな俺の事を今でも“親友”と言ってくれる、元想い人が居るではないか・・・。
朝霧は吸っていて煙草を揉み消し、何かを決意するように1度空を睨みつけるように眺め、そうして屋上を後にしたのだった―――。




