変化
ライブ終了後、遙に言われるがまま2人は楽屋に向った。
沢山のライブ参加者がごった返している楽屋は、妙に男臭い。朝霧と瀬那は一瞬眉間に皺を寄せながら目当ての人間を探した。
他の人間の視線が、自然と遙と瀬那に向けられている事が解る。2人とも驚く程に美人である事を痛感させられる。遙は勿論そんな視線には気付かずに、目当ての人間を探している。
しかし、瀬那は違った。明らかに向けられる視線に気付き威嚇している。
そんな姿に、朝霧は自然と笑顔を浮かべていた。
と、1人の出演者であるのであろう男が近づいて来る。真直ぐに遙の側まで来た男はまじまじと遙を凝視した。
「あんた、男?随分と綺麗だな。暇なら、俺と遊ばない?」
明らかなナンパ。更に違う男が近づいて来て、今度は瀬那に声を掛けた。
「君、綺麗だね。これから食事でもどう?」
こちらもやはりナンパらしい。おいおい、と思う反面どっちを助けるべきか迷う。しかし直ぐにその悩みは解決された。瀬那の凄みの聞いた声が、騒がしい楽屋の中に低く響く。
「さわんじゃねぇ」
その妙な威圧感に相手の男が固まるのが解った。思わず苦笑が零れてしまう。なんだか相手が可愛そうに見えた。
瀬那の凄みに、遙にちょっかいを出していた男も固まる。其処に隼が姿を現した。
「ごめん、これ俺の連れ」
静かに男から遙を遠ざけ、朝霧と瀬那に視線を送った。
「壱伊、行くぞ」
朝霧の言葉に、周りを威嚇していた瀬那はその刃をしまい素直に従う。そうして隼の後に続き歩き始めた。
隼のバンドはどうやら人気があるようで、喧騒の楽屋の続きになっている扉が開かれ、次の間に個別の楽屋が用意されていた。扉を閉めると、隣の部屋の喧騒が嘘のように静かになる。
遙を庇う様に歩いていた隼が振り返り、瀬那を見た。
「“壱伊”くん、で良かった?」
隼の言葉に瀬那が小さく頷くと、隼は相好を崩した。人の良さそうな笑顔に瀬那は少し困惑する。
「ありがとう、君のおかげで遙が無事だったよ」
感謝の意を示されて、瀬那は余計に困惑した。
「・・・いや、別に遙先輩の為って訳じゃ・・・」
まるで、言い訳のような言葉に、しかしやっぱり隼は感謝を崩さない。
「そうかもしれないけど、君の言葉で遙が助けられたのは事実だから」
そんな事を云われてもやっぱり納得できなかった。もともと素行の良くなかった自分だからあれはごく自然な言葉で、しかしそれだけではなくて、朝霧の遙への視線が優しいものだったからつい苛立ってしまったのだ。だから決して隼に感謝されるような事ではなかったはずだ。
反論しようとした瀬那だったが、もう既にこちらの話になど注意を払っていない隼に溜息を吐くだけだった。
周りを気にせずにいちゃつく2人に、瀬那は朝霧が心配になった。自分の斜め後ろにいる朝霧をこっそりと見る。予想に反して朝霧は涼しい顔をし、かつ瀬那を見ていた。視線がかち合い鼓動が又高鳴る。とたんに苦渋に満ちたような顔に変わり、朝霧は口を開いた。
「なんだよ」
機嫌が悪いような言い草に、瀬那は泣きそうになる。ぐっと涙を堪え、目に力を込めた瀬那は朝霧を睨み返した。
「別に」
短く言い放ち、視線を外した瀬那の顔は絶望に満ちたそれだった。
美人がキレるのはなかなかに怖いらしい。
楽屋での瀬那の態度に驚きと、ある種の恐怖を感じた朝霧は、今自分の斜め前で隼に感謝されている小さな後姿を眺めた。
襟足の長めの赤い髪が、瀬那が首を振るたびにふわふわと揺れて思わず触りたくなる。
そう言えば、ライブ中気分が悪くなり外に出たまま暫く帰って来なかったが、体調は大丈夫だろうか。ふと心配になった朝霧は、更にジッと瀬那の後姿を眺めた。
視線に気付いたのか瀨那が振り返る。その綺麗な顔に思わず見とれた自分に驚き、顔を歪めてしまう。
「なんだよ」
それを誤魔化すように冷たい言葉が出てしまった。失敗した、と思ったがもう遅く、瀨那の表情が曇りそうして視線を外されてしまう。何か声を掛けなければと思うけれど、上手い言葉が出て来なくて仕方なく口を噤んだ。
ふっと視線を前に向けると、いちゃつく2人が見える。けれど朝霧の胸は前の様にはざわつく事は無く、微笑ましくも思えて来る。そんな自分の変化に朝霧は驚いていた。
そうして、そんな風に自分を変えてくれたのは、もしかしなくても瀨那のおかげである事が分かっていた朝霧は、再度瀨那の後姿を眺めていた。
暗い夜道を朝霧は瀨那を連れて歩く。1人で帰れる、と言っていた瀨那を強引に納得させ、駅で遙と隼の2人と別れ学校の寮まで歩いた。
特に会話をする事もなく歩き、あと少しで寮に付くという所でぴたりと瀨那は足を止める。
不思議に思い振り返ると、綺麗な顔が困惑で歪んでいた。
「どうした?」
朝霧の言葉に視線を泳がす。可笑しい、と思い瀨那に近づくと、瀨那は急いで口を開いた。
「あ、の俺、友達の家に泊まるんで・・・」
今まで、そんな事一言も言わなかった。不審に思い更に瀨那に近づく。
「どういう事だ?」
自分でも驚く程低い声が出た。
「え、と・・・」
しかし、何かを思案するように瀨那は言葉を濁す。やっぱり可笑しい。どういう事だ?と妙にイラついた朝霧は細い瀨那の腕を掴んでいた。
「はっきり言え」
威圧的に告げると、瀨那は諦めたように息を付き口を開いた。
「・・・門限・・・」
小さく告げられた言葉に眉間に皺を寄せ、え?と聞き返す。
瀨那は大きく息を吸い、一気に言い放った。
「だから、門限10時なんだよ!」
一瞬何を言っているか解らなかった。門限とは、寮の門限だろうか。
瀨那は親元を離れ、寮にその身を置いている。高校の寮なのだから門限があるのは当たり前で、そんな事に思い至らなかった自分を呪った。ライブなんぞに付き合わせた事も申し訳なく思えてくる。だから、だったのかもしれない。押し黙っている瀨那の顔を見た。
「俺の家に来い」
そんな事を言っていた。勿論、瀨那は困惑そうな顔をする。
「門限、破っちまったのは今日俺が誘ったのが原因だろ?責任はちゃんと取る」
そう告げるとその腕を掴んだ。そうして掴んだまま歩き出す。
「ちょっ、だ、大丈夫だよ!!」
ぐいっと力を込め瀨那は声を上げるけれど朝霧は振り返る事はせずにそのまま歩き続けた。
始めの内は、ぎゃんぎゃんと文句を言い何とか腕を振り払おうをしていた瀨那だったが、腕力には敵わない事を悟り大人しく引かれるままになる。其の内、引っ張るのも可哀そうかと思い、朝霧は腕から手を離すと替わりに瀨那の手を握った。
一瞬瀨那の身体が震えたけれど、やっぱり振り払われる事はなくそのままになる。瀨那の顔は、今にも火を噴きそうな程真っ赤に染まっていた。
朝霧に手を握られ、顔が何時までも熱い。瀨那は戸惑いながらもその手を振り払えずにいた。
どの位歩いたか解らなかったけれど、いつの間にか閑静な住宅街に辿り着く。
きょろきょろと視線を這わせながら朝霧の背中に視線を向けると、ある一軒家の前で立ち止まった。
表札を見ると『相良』と書いてある。どうやら辿り着いたようだった。
朝霧はポケットから鍵を取り出すと、静かに玄関を開ける。そうして瀨那を招き入れた。
玄関のすぐ側にある階段を上り、1つめ目の扉を開ける。どうやら其処が朝霧の部屋らしい。
殺風景な程物が少ない部屋は、随分と閑散として見える。しかし朝霧はそれが落ち着くと言った。
「取りあえず座れば?」
そう促され、瀨那はローテーブルの前に腰を下ろした。それを見届けた朝霧は一旦部屋から出ると、お盆に載せたカップを持ち戻ってくる。湯気の上ったそれは、香りからも解る様に珈琲のようだ。差し出され大人しく受け取った。朝霧が瀨那の前に座ると、いよいよ気まずくなる。視線を彷徨わせた瀨那に朝霧は小さく笑った。
「今日は悪かったな。門限の事もそうだけど」
告げられた言葉にどう答えたら良いのか解らずに、珈琲に口を付ける。
「明日ちゃんと送るから」
何故だか優しい視線を送られ、瀨那はやっぱり何も言えなかった。
珈琲を飲み干しカップを置くと、朝霧は口を開く。
「俺の家に客様の布団なんて無いから、一緒に寝るぞ」
その言葉に瀨那は固まった。ちらりと視線をベッドに移す。キングサイズではないけれどそれなりに大きいそれは多分セミダブル、というものだろう。一緒に寝る、という事をリアルに頭に思い描いた瀨那は急いで首を振った。
「俺、床に直に寝るからいい!」
勢い任せて断りを入れた瀨那に、しかし朝霧は許さない。
「お前に風邪なんかひかれたら、俺がたまらない」
妙に熱の籠った言葉に瀨那は声を出せずにいた。困惑している瀨那をそのままに、朝霧はクローゼットを開け、何かを引っ張り出す。それを瀨那に投げて寄こした。
キャッチしたそれはロングTシャツと短パン。訝しげな視線を送ると、それに着換えろとの事だった。
どうやら寝巻の変わりらしい。反論を許さない朝霧の視線に仕方なく着替えると、朝霧も寝巻変わりのスエットに着替える。朝霧のロングTシャツはやっぱり大きくて、瀨那が着ると妙にぶかぶかだった。朝霧が小さく笑う。
「やっぱりでかいな」
しみじみとそう言われ、瀨那はちょっと不貞腐れセミダブルのベッドに素早く入り込んだ。
「お休み」
朝霧の声が聞こえ、ぱちりと電気が消される。そうしてセミダブルのベッドが小さく軋しみ朝霧が入り込むのが解った。
ただ一緒のベッドで寝るだけなのに、瀨那の心臓は馬鹿みたいに鼓動を早める。その鼓動が朝霧に聞こえないかと冷や冷やしながら瀨那は目を閉じた。
しーんと静かになった部屋には、時計の秒針の音と規則正しい呼吸音しか聞こえない。
目を閉じた瀨那だったけれど、緊張が解ける事はなくて眠れそうにない。ゆっくりと目を開けると白い壁が見えた。
どうにも眠れなくて、瀨那は仕方なく寝返りを打つ。そうしてギクリとした。
眠っているだろうとタカを括っていたが、朝霧の目は開けられており瀨那を見つめていたのだ。
驚きのあまり声も出ない。どうしたものか思案する瀨那に、更に衝撃が走った。
徐に伸ばされた朝霧の腕が、瀨那を掴みグイっと引っ張る。抵抗する暇も無くその男らしい腕に包まれていた。焦って胸を押し返そうとしたが、更にギュッと抱き締められる。
「・・・いやか?」
静かにそう聞かれ、瀨那は頭を振るしかなかった。一気に体温が上昇する。きっと耳まで赤くなっているはずで、暗闇で良かったとつくづく思ったのだった。